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揺らめく美酒に僕らは溺れて
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案の定、要が美作の自宅へ訪ねる話をすると、泉はいい顔をしなかった。
「興味ないね」
「そう言わず……。泉のために年代物のワインを開けてくれるらしいよ?」
「お前は行くのか?」
「もちろん」
これも仕事のうちだ、と言えば、泉は不承不承といった風で納得した。
「じゃあ、俺も行く」
「あんなにもいい人なのに、泉はあまり美作監督に懐かないね。五条監督の時は割と従順に見えたのに」
「いい人がいい人かは、外面だけじゃ分からないもんだぜ、イオチャン。それに、美作監督がいい人だろうと関係ない」
「へ?」
クシャクシャした要の前髪をツンと引っ張り、泉は要と額を突き合わせて言った。
「お前に気安い奴は、全員俺の敵だ。妬かせるなよ」
「……は……」
一瞬、言葉の意味が理解できずにフリーズする。ようやく意味を嚥下すると、要はのぼせたように真っ赤になった。
(……こ、この……! 何言ってるんだ……!)
世界中の女性を虜にしてしまうような美貌で、どうして要の心臓を撃ちぬくのだ。要は耳のあたりで脈がバクバクと音を立てるのを感じながら、ギュッと胸を押さえた。
美作の自宅は、赤坂にあった。撮影後、一度自宅に戻った要と泉はタクシーに乗り赤坂のタワーマンションを訪ねる。
インターフォンを押すと、シックな黒エプロンを付けた美作が笑顔で出迎えてくれた。
「今つまみの用意を終えたところだよ。さあ、上がりたまえ」
「お、お邪魔します」
要がくたびれたパーカーを羽織ってきたことを後悔するほど、美作のマンションは洒落ていた。広いリビングの壁は一面を黒い棚に作り替えており、過去にメガホンを撮った作品やトロフィーが並んでいる。
間接照明の光を受けて燦然と輝く黄金のトロフィーや盾を目にした要は、レンズ越しに大きな瞳を瞬いた。
「こ、これ、日本〇カデミー賞の監督賞を受賞した時のですよね?」
「ああ。そうだね」
「すごいや……泉、見て!」
泉の袖を引っ張り、要はトロフィーを指さす。興奮気味の要とそれに付き合う泉をキッチンから眺めながら、美作は照れくさそうに言った。
「いくつになっても、くすぐったいものだね。さあ、先に乾杯をしないかい?」
「あ……っ! す、すみません。オレ、夢中になっちゃって、手伝います……!」
慌ててキッチンに駆けこみ、要は皿の用意をする。とはいえすでに美作がテーブルへと料理をいくつも並べていた。
マグロと長芋のタリアータや、鯛とズッキーニのカルパッチョ、香味チップスの添えられたローストポークが並んだテーブルを見て、要は歓声を上げる。泉は片眉を吊り上げただけで何も言わなかったが、エプロンを外した美作がワイングラスを手にダイニングへやってくると、大人しく椅子にかけた。
「二人とも好き嫌いはないかな?」
「大丈夫です」
泉が答えると、美作は杖を椅子の背にかけて「それはよいことだ」と言い自分も座った。
「では、映画の成功を祈って。乾杯」
「乾杯」
三人の声が唱和する。タクシーで来ていたため要は赤ワインを遠慮なく飲むことにした。要が細い喉仏を上下させる隣で、泉はグラスをクルクルと揺らす。
「おや、泉くんは下戸かい? 君のための酒だ。ぜひ飲んでくれたまえ」
美作がそう言う向かいで、要は泉の様子を気にして箸を止める。もしやまだ要のことで美作に不要なやきもちを妬いているのだろうか。
相手は日本〇カデミー賞をとるような監督だぞ、という気持ちを込めて要がテーブルの下で泉の足を小突くと、泉は小さく溜息を噛み殺しグラスに口をつけた。
「俺は一応自粛の身なので、飲んでもいいのか躊躇っただけですよ。いただきます」
「ああ、なるほど。悪いことをしたわけじゃないんだ。堂々としていたまえよ」
美作は映画監督よりも心理学者や精神科医の方が向いていると思うほど聞き上手だった。彼は人の思い出の引き出しを開けることが上手で、話していて心地がよい。酒が入ったこともあり、要は脚本家に話した以上の内容を美作に語る。
「……番組を打ち切られてから数年……芸能人に戻りたいとは、思いませんでした。でもあの光輝く世界が好きで……。燻っていたオレを、羽虫みたいな俺を、佐和社長は見捨てずマネージャーの仕事をくださったんです。そこで、泉と出会いました」
「ああ、いけないよ。自分を貶めるような呼び方はやめたまえと前にも注意したはずだ」
美作は手を振り、もう一方の手で空になった要のグラスに赤黒いワインを注いだ。
「すみません……。そこで……えっと、何だっけな……。ああ、でも驚きましたよ、泉が女性恐怖症だったことは……オレ、つい最近まで知らなくて……」
「泉くんが女性恐怖症?」
美作はにわかには信じがたいという目で泉を見た。
「ぽよゴンのキーホルダーがある時は大丈夫なんれすよ。ね、泉。とにかく泉がオレの世界を変えてくれて……」
「ほう」
酒が回ったのか、要は段々呂律が回らなくなってきたことを自覚した。頬は熱を持ち、次第に大粒の瞳が潤みはじめる。
「ありぇ、おかしいな……。そこまで飲んでいないはず、なんだけど……」
視界がぐにゃりと曲がり、思わずテーブルに手をつく。平衡感覚が保てない。向かいで相変わらず快活な笑みを浮かべた美作が、組んだ指の上に顎を乗せて要を眺めていた。
「おやおや、美青年は二人とも、お酒が弱いことだ」
「え……?」
二人とも、という言葉が気になり、要はスポンジのように膨張した思考を搾る。要自身は決して酒が強い方ではないが、泉はザルだったはずだ。
「いず……」
「……おい、何を盛った……」
要の隣で、泉が唸る。ぼやけた双眼で横に視線をやれば、目をかろうじて開けた泉が美作を睨んでいた。
そういえば、先ほどからずっと泉は黙りこんでいた……。
(何……? 何が、起きて……)
「ちょっとした睡眠薬を盛っただけさ。大丈夫。直に目覚める」
眼前の美作が、うっそりと笑う。快活ないつもの笑みのはずなのに、要は背筋にぞっとした寒気が走った。しかし、その感覚も強烈な眠気の前では薄れてしまう。
「どうし、て……」
(監督が睡眠薬なんて……?)
今にもひっつきそうな瞼をこじ開けて要が問う。けれど美作の薄い唇が言葉を紡ぐ前に、要と泉の視界はブラックアウトした。
「興味ないね」
「そう言わず……。泉のために年代物のワインを開けてくれるらしいよ?」
「お前は行くのか?」
「もちろん」
これも仕事のうちだ、と言えば、泉は不承不承といった風で納得した。
「じゃあ、俺も行く」
「あんなにもいい人なのに、泉はあまり美作監督に懐かないね。五条監督の時は割と従順に見えたのに」
「いい人がいい人かは、外面だけじゃ分からないもんだぜ、イオチャン。それに、美作監督がいい人だろうと関係ない」
「へ?」
クシャクシャした要の前髪をツンと引っ張り、泉は要と額を突き合わせて言った。
「お前に気安い奴は、全員俺の敵だ。妬かせるなよ」
「……は……」
一瞬、言葉の意味が理解できずにフリーズする。ようやく意味を嚥下すると、要はのぼせたように真っ赤になった。
(……こ、この……! 何言ってるんだ……!)
世界中の女性を虜にしてしまうような美貌で、どうして要の心臓を撃ちぬくのだ。要は耳のあたりで脈がバクバクと音を立てるのを感じながら、ギュッと胸を押さえた。
美作の自宅は、赤坂にあった。撮影後、一度自宅に戻った要と泉はタクシーに乗り赤坂のタワーマンションを訪ねる。
インターフォンを押すと、シックな黒エプロンを付けた美作が笑顔で出迎えてくれた。
「今つまみの用意を終えたところだよ。さあ、上がりたまえ」
「お、お邪魔します」
要がくたびれたパーカーを羽織ってきたことを後悔するほど、美作のマンションは洒落ていた。広いリビングの壁は一面を黒い棚に作り替えており、過去にメガホンを撮った作品やトロフィーが並んでいる。
間接照明の光を受けて燦然と輝く黄金のトロフィーや盾を目にした要は、レンズ越しに大きな瞳を瞬いた。
「こ、これ、日本〇カデミー賞の監督賞を受賞した時のですよね?」
「ああ。そうだね」
「すごいや……泉、見て!」
泉の袖を引っ張り、要はトロフィーを指さす。興奮気味の要とそれに付き合う泉をキッチンから眺めながら、美作は照れくさそうに言った。
「いくつになっても、くすぐったいものだね。さあ、先に乾杯をしないかい?」
「あ……っ! す、すみません。オレ、夢中になっちゃって、手伝います……!」
慌ててキッチンに駆けこみ、要は皿の用意をする。とはいえすでに美作がテーブルへと料理をいくつも並べていた。
マグロと長芋のタリアータや、鯛とズッキーニのカルパッチョ、香味チップスの添えられたローストポークが並んだテーブルを見て、要は歓声を上げる。泉は片眉を吊り上げただけで何も言わなかったが、エプロンを外した美作がワイングラスを手にダイニングへやってくると、大人しく椅子にかけた。
「二人とも好き嫌いはないかな?」
「大丈夫です」
泉が答えると、美作は杖を椅子の背にかけて「それはよいことだ」と言い自分も座った。
「では、映画の成功を祈って。乾杯」
「乾杯」
三人の声が唱和する。タクシーで来ていたため要は赤ワインを遠慮なく飲むことにした。要が細い喉仏を上下させる隣で、泉はグラスをクルクルと揺らす。
「おや、泉くんは下戸かい? 君のための酒だ。ぜひ飲んでくれたまえ」
美作がそう言う向かいで、要は泉の様子を気にして箸を止める。もしやまだ要のことで美作に不要なやきもちを妬いているのだろうか。
相手は日本〇カデミー賞をとるような監督だぞ、という気持ちを込めて要がテーブルの下で泉の足を小突くと、泉は小さく溜息を噛み殺しグラスに口をつけた。
「俺は一応自粛の身なので、飲んでもいいのか躊躇っただけですよ。いただきます」
「ああ、なるほど。悪いことをしたわけじゃないんだ。堂々としていたまえよ」
美作は映画監督よりも心理学者や精神科医の方が向いていると思うほど聞き上手だった。彼は人の思い出の引き出しを開けることが上手で、話していて心地がよい。酒が入ったこともあり、要は脚本家に話した以上の内容を美作に語る。
「……番組を打ち切られてから数年……芸能人に戻りたいとは、思いませんでした。でもあの光輝く世界が好きで……。燻っていたオレを、羽虫みたいな俺を、佐和社長は見捨てずマネージャーの仕事をくださったんです。そこで、泉と出会いました」
「ああ、いけないよ。自分を貶めるような呼び方はやめたまえと前にも注意したはずだ」
美作は手を振り、もう一方の手で空になった要のグラスに赤黒いワインを注いだ。
「すみません……。そこで……えっと、何だっけな……。ああ、でも驚きましたよ、泉が女性恐怖症だったことは……オレ、つい最近まで知らなくて……」
「泉くんが女性恐怖症?」
美作はにわかには信じがたいという目で泉を見た。
「ぽよゴンのキーホルダーがある時は大丈夫なんれすよ。ね、泉。とにかく泉がオレの世界を変えてくれて……」
「ほう」
酒が回ったのか、要は段々呂律が回らなくなってきたことを自覚した。頬は熱を持ち、次第に大粒の瞳が潤みはじめる。
「ありぇ、おかしいな……。そこまで飲んでいないはず、なんだけど……」
視界がぐにゃりと曲がり、思わずテーブルに手をつく。平衡感覚が保てない。向かいで相変わらず快活な笑みを浮かべた美作が、組んだ指の上に顎を乗せて要を眺めていた。
「おやおや、美青年は二人とも、お酒が弱いことだ」
「え……?」
二人とも、という言葉が気になり、要はスポンジのように膨張した思考を搾る。要自身は決して酒が強い方ではないが、泉はザルだったはずだ。
「いず……」
「……おい、何を盛った……」
要の隣で、泉が唸る。ぼやけた双眼で横に視線をやれば、目をかろうじて開けた泉が美作を睨んでいた。
そういえば、先ほどからずっと泉は黙りこんでいた……。
(何……? 何が、起きて……)
「ちょっとした睡眠薬を盛っただけさ。大丈夫。直に目覚める」
眼前の美作が、うっそりと笑う。快活ないつもの笑みのはずなのに、要は背筋にぞっとした寒気が走った。しかし、その感覚も強烈な眠気の前では薄れてしまう。
「どうし、て……」
(監督が睡眠薬なんて……?)
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