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あのね彼が知らない僕のこと
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タクシーで事務所へ向かうまでの道のり、泉は四年前の出来事を思い出していた。
「イオちゃんが体調不良でお休みだから、代わりの人間を寄越せだぁ?」
事務所の屋上に置かれたベンチで紫煙をくゆらせていた社長は、現れた泉に向かって怪訝そうな顔をした。変装のためサングラスとパーカーのフードを目深に被った泉は「ああ」と短く頷く。
「ついでに女じゃなく男にしてくれ」
「どうりでイン〇タの更新がなかったわけね」
SNSのイン〇タは事務所の指示で泉が仕方なく始めたものだ。とはいえ、SNSを好まぬ泉が更新することはほとんどなく、代わりにマネージャーの要が毎日マメに更新していた。
それは泉の稽古中の様子だったり、家で猫のように寛いでいる様子だったりと多岐にわたったが、要がレンズを向けると泉はいつもより屈託なく笑うので、ファンは生唾が出そうなくらい楽しみにしている。
「一々チェックしてんのかよ」
パーカーのフードを脱いだ泉が眉間にしわを寄せて言う。社長は当然でしょ、と足を組みかえながら言った。
「ファンサービスは大事よ。ほら、ご覧なさい。ツ〇ッターのファンの反応は阿鼻叫喚よ」
ラインストーンでゴテゴテと装飾された社長のスマホを、泉は遠目に眺める。ツ〇ッターの反応を覗けば
『泉の成分が足りない~~っ』
『泉がたまにアップするマネージャーの手料理写真がないと、彼の食生活不安になる』
『泉の無邪気な笑顔はイン〇タでしか見れないのに何で更新されないのー!』
そんな嘆きが、百も千も投稿されていた。
たった一日更新されなかっただけで、たいそうな騒ぎようだと泉は思う。しかし、逆に言えば要はしっかりと需要を捉えファンの望むものを毎日届けていたのだ。泉の人気を保つために。
そんな彼を傷付けたことに、胸の奥がズキリと痛む。泉がデビューしてからずっと、要は献身的に泉を支えてきてくれた。その要を自分は、傷つけ、泣かせ、奪って犯した。
始末に負えないのは、そんなひどいことをしたのに罪悪感だけでなく、要を手に入れたという征服感まで昨晩の自分が味わってしまったことだ。
「最低だな、俺……」
「何か言った? でも、変ねぇ。イオちゃんは子役時代から風邪で休んだことなんてないのよ。むしろ体調不良を押してでも収録に行くような子だったんだから。ねえ泉、貴方本当はイオちゃんに何かしたんでしょう。でなきゃ考えられないわ」
だんまりを決めこむ泉に、社長は煙草の灰を地面に落として言った。
「無言は肯定と取るわよ。何したの。まさかいじめてないわよね? あんな真面目に頑張ってるいい子に、貴方――――」
「人見知りのくせに、本当に馬鹿真面目だよな」
パーカーのポケットに手を突っ込み、泉は目をそらした。ポケットの中で握った拳の手のひらに、深く爪が食いこむ。
「でも、そのくそ真面目さが、たまに嫌になるんだよ。何で仕事のためにあんな……っ」
「あんな?」
目敏く反応した社長に、泉は唇を噛んだ。
「――――何があったのか話しなさい、泉」
社長は立ちあがり、泉の胸倉を掴んだ。ブラウンのシャドウが引かれた目元が、三角に吊りあがる。
「アタシは社長よ? アンタたちを管理する必要があるの。さあ、言えよオラ!」
男時代を彷彿とさせるドスのきいた声で揺すぶられ、泉は目を閉じた。どうせ黙っていてもいつか要の口から社長の耳に入る。泉は昨晩の出来事を洗いざらい話した。
話し終えると、区切りと言わんばかりに清風が泉の柔らかい髪を遊ばせた。光に溶けこみそうな泉の髪を眺めながら、座りなおした社長は力なく言った。
「なるほどねえ、イオちゃんが泉の為に竜胆ななせと寝ようとしたと」
あのメギツネ、と社長が毒つく。泉は整った顔を歪めていきり立った。
「意味が分からねえ! 何で要は仕事のためにそんなことすんだよ! 俺はそんなこと頼んじゃいねえ! 俺はアイツが俺のために身を売るような真似望んじゃいねえんだ!」
「……そりゃ、するでしょうね。イオちゃんなら、泉のためなら自分の体を売ることなんて安いものだと考えたはずよ」
「だから何で……!」
「泉、貴方はイオちゃんの……要の希望なのよ。貴方はあの子のスターなの。ヒーローなのよ」
「……な、にがスターだ……」
怒りが腹の底から湧いてくる。要に希望と言われ、嬉しかったことは事実だ。でも、そのせいで要が自分をないがしろにするなら、それは泉にとって少しもありがたくなかった。
「希望ってなんだよ。スターなんて……本当は俺じゃなくたって、アイツ自身、十分芸能界でやっていける顔してるだろ! 俺に希望を見出すより、自分がスターになった方が早いじゃねえか!」
出会ってから四年間、ずっと疑問で、でも無視していたことだ。要に必要とされることが嬉しくて、なぜ薄幸の美少年のように整った要がマネージャーの道を選んだのか、一度も要に確認しなかった。
「普段は自分のことを羽虫だミジンコだって卑下してるくせに、子役時代も、竜胆ババアに色仕掛けしてる時も、俳優の俺も真っ青なくらいの演技力だったぜ?」
竜胆を落とそうとした時の要は、止まっている壁にさえ謝るくらい内気な普段の要とはまるで違っていた。自身の甘い美貌を理解しつくした、魔性という言葉がピッタリの男を見事に演じきっていたのだ。
泉の発言を聞いた社長は、二本目の煙草を指からポトリと落とす。
「イオちゃんが、枕営業をしようとした時に演技をしてたの……?」
「ああ、名脇役も白旗を上げるくらいのな!」
「……そう」
何か考えこむような表情で、社長は火のついていない煙草を拾いあげた。泉は気炎を上げる。
「俺のために枕営業するくらいなら、自分がもう一度芸能界に戻ればいいじゃねえか」
「……それは無理よ。イオちゃんは、もう演じられないもの」
「――――は……?」
そこで初めて、泉は頭に上っていた血の下がっていく感覚がした。社長は砂のついた煙草を持て余すようにいじる。
「あの子は、自分のためには演じられないの。……泉、貴方、イオちゃんがどうして芸能界を辞めてマネージャーになったのか聞いたことはある?」
「いや……」
「挫折したからよ」
社長が、指で弄んでいた煙草を折る。泉にはそれが、要の姿と重なった。
「イオちゃんが子役としてデビューした時、その圧倒的なセンスに驚いたわ。スターの器だと思った。でも、すぐに気づいたの。あの子は大好きな母親の期待に応えようとして演技しているんだって。誰かのために頑張る子なんだって」
「母親の……」
要の口から、母親という単語が出たことは一度もない。それどころか、家族の話をしたことすらなかった。
それは家族に恵まれなかった泉に配慮してのことだと泉は思っていたが、どうやら理由はそれだけではなかったらしい。
泉は、心臓がざわつくのを感じた。
「泉の好きな……イオちゃんが出演していた教育番組はとっても好評だったわ。イオちゃんの母親は不安定な人でね、あの子を生きがいにしていた節があったんだけど、イオちゃんがお茶の間の人気者になった時まではとても喜んでくれていたの。でも」
社長は言いにくそうに言葉を切り、それから覚悟したように言った。
「イオちゃんにとって初めての――――そして最大の挫折があったの。テレビ局の上層部の奥さんが、イオちゃんを気に入らないって一言漏らしたそうでね」
「……それで」
「視聴率は好調だった。イオちゃんの人気もあった。でも、上層部の奥さんの一言で、イオちゃんの番組は打ち切りになった」
「――――芸能界じゃ、ままあることだな」
中途半端な権力を持った第三者の一言で、簡単に淘汰されてしまう。まして一介の子役など。そんな理不尽がまかり通る世界だ。
二十歳の泉はもうそれを知っている。でも、子供だった要は? テレビ画面の向こうで花が咲いたような笑みを浮かべていた彼は、その理不尽をどう受け止めたのだろうかと、泉は思った。
社長は折れた煙草をしまい、伏し目がちに言った。
「努力だけでは叶わないことがあると、イオちゃんは幼くして知ってしまった。そして、もっと打ちのめされたのはイオちゃんの母親の方だった。イオちゃんのテレビでの活躍を生きがいにしていた母親は、普通の子供としてのイオちゃんに価値を見出せなくなったの。そして……」
当時を思い出したのか、社長は額に手を当て、暗い顔で言った。
「心を病んで、要を残して死んでしまったわ」
泉は形の整った唇を引き結んだ。
ふと要の姿が脳裏を過ぎる。挙動不審で自信なさげな要は、不思議と泉の前ではいつも笑っていた。だから、彼の過去について深く考えたことはなかった。多くの他人と同じように、健やかに育ってきたものとばかり思っていたのだ。
「それから、イオちゃんは今みたいなネガティブな性格になり……以前のように演じられなくなったの。天才子役の名を欲しいままにしていたのが嘘みたいにね。演じる意味をなくしてしまったんだもの。当然よね」
「……じゃあ、何であの時……」
泉は口ごもった。竜胆を誘惑した時の要のプレイボーイぶりはなんだったのだ。
「だから、あの内気なイオちゃんが枕営業をするために再び演技をしたっていうなら」
社長は語気を強めて言った。
「それくらい、貴方が大事ってことよ。泉」
頭を殴られたような衝撃だった。演技を封じこめてしまった要が、自分のために演技をしたことが信じられなくて、翡翠の桃花眼を揺らめかせる。
社長は真っすぐに泉を射貫いて言った。
「芸能界は実力だけじゃ足りない。運も強かさも必要だって分かってるイオちゃんが、泉の才能が理不尽な大人の手によって潰されたりしないように、守るために演じたのよ」
もし、そうなら。
もし、そうなら……抱きしめたいと思った。何も知らなかった。要がどんな気持ちでいたかなんて。
いつも兄のような温かさで泉のわがままを受けとめてくれるから。母のような穏やかさで泉の活躍を見守ってくれたから、他人に寛容で、簡単に自己犠牲を選んでしまうのかと思っていた。
でも本当は、他人と話すたびにどもる要が、竜胆とセックスするなんて大胆なことを簡単に選べたはずがない。
きっと吐きそうなくらい緊張したに違いない。膝が笑うほど怖気づいたに違いない。それでも竜胆の元へ行ったのは……。
(一度は諦めた夢を、今度は俺と一緒なら叶えられるって、希望を見出してくれてたのか……)
平気なはずないのに、どうして力任せに奪うしかできなかったのだろう。
怒りに任せて、要の気持ちに気づいてやれなかった己を泉は恥じた。そして、足元から喉へと駆けあがってくる衝動に、いてもたってもいられなくなった。
今すぐ要に会いたい。
「……ちょっとぉ! 仕事はちゃんと行きなさいよ泉!」
走りだした泉の背中へ、社長が釘をさした。
「……何で俺の勢いを折ろうとすんだよオカマ!」
「貴方が仕事をサボッたらイオちゃんが気に病むじゃないのぉ!」
「――――……っくそ! 今すぐ抱きしめてぇのに……っ」
前髪を乱暴にかきあげた泉に、社長が興奮めいた野太い悲鳴を上げる。
「きゃーっ。アタシ、興奮しちゃう!」
「そのまま昇天でもしてくたばれ」
「やぁよ! でも泉……分かってるわよねぇ……?」
泉の頬が引きつるほどねっとりとした声で、社長が脅した。
「今度アタシの可愛いイオちゃんに無理やりエッチしたら、アソコもぎとるわよ」と。
「イオちゃんが体調不良でお休みだから、代わりの人間を寄越せだぁ?」
事務所の屋上に置かれたベンチで紫煙をくゆらせていた社長は、現れた泉に向かって怪訝そうな顔をした。変装のためサングラスとパーカーのフードを目深に被った泉は「ああ」と短く頷く。
「ついでに女じゃなく男にしてくれ」
「どうりでイン〇タの更新がなかったわけね」
SNSのイン〇タは事務所の指示で泉が仕方なく始めたものだ。とはいえ、SNSを好まぬ泉が更新することはほとんどなく、代わりにマネージャーの要が毎日マメに更新していた。
それは泉の稽古中の様子だったり、家で猫のように寛いでいる様子だったりと多岐にわたったが、要がレンズを向けると泉はいつもより屈託なく笑うので、ファンは生唾が出そうなくらい楽しみにしている。
「一々チェックしてんのかよ」
パーカーのフードを脱いだ泉が眉間にしわを寄せて言う。社長は当然でしょ、と足を組みかえながら言った。
「ファンサービスは大事よ。ほら、ご覧なさい。ツ〇ッターのファンの反応は阿鼻叫喚よ」
ラインストーンでゴテゴテと装飾された社長のスマホを、泉は遠目に眺める。ツ〇ッターの反応を覗けば
『泉の成分が足りない~~っ』
『泉がたまにアップするマネージャーの手料理写真がないと、彼の食生活不安になる』
『泉の無邪気な笑顔はイン〇タでしか見れないのに何で更新されないのー!』
そんな嘆きが、百も千も投稿されていた。
たった一日更新されなかっただけで、たいそうな騒ぎようだと泉は思う。しかし、逆に言えば要はしっかりと需要を捉えファンの望むものを毎日届けていたのだ。泉の人気を保つために。
そんな彼を傷付けたことに、胸の奥がズキリと痛む。泉がデビューしてからずっと、要は献身的に泉を支えてきてくれた。その要を自分は、傷つけ、泣かせ、奪って犯した。
始末に負えないのは、そんなひどいことをしたのに罪悪感だけでなく、要を手に入れたという征服感まで昨晩の自分が味わってしまったことだ。
「最低だな、俺……」
「何か言った? でも、変ねぇ。イオちゃんは子役時代から風邪で休んだことなんてないのよ。むしろ体調不良を押してでも収録に行くような子だったんだから。ねえ泉、貴方本当はイオちゃんに何かしたんでしょう。でなきゃ考えられないわ」
だんまりを決めこむ泉に、社長は煙草の灰を地面に落として言った。
「無言は肯定と取るわよ。何したの。まさかいじめてないわよね? あんな真面目に頑張ってるいい子に、貴方――――」
「人見知りのくせに、本当に馬鹿真面目だよな」
パーカーのポケットに手を突っ込み、泉は目をそらした。ポケットの中で握った拳の手のひらに、深く爪が食いこむ。
「でも、そのくそ真面目さが、たまに嫌になるんだよ。何で仕事のためにあんな……っ」
「あんな?」
目敏く反応した社長に、泉は唇を噛んだ。
「――――何があったのか話しなさい、泉」
社長は立ちあがり、泉の胸倉を掴んだ。ブラウンのシャドウが引かれた目元が、三角に吊りあがる。
「アタシは社長よ? アンタたちを管理する必要があるの。さあ、言えよオラ!」
男時代を彷彿とさせるドスのきいた声で揺すぶられ、泉は目を閉じた。どうせ黙っていてもいつか要の口から社長の耳に入る。泉は昨晩の出来事を洗いざらい話した。
話し終えると、区切りと言わんばかりに清風が泉の柔らかい髪を遊ばせた。光に溶けこみそうな泉の髪を眺めながら、座りなおした社長は力なく言った。
「なるほどねえ、イオちゃんが泉の為に竜胆ななせと寝ようとしたと」
あのメギツネ、と社長が毒つく。泉は整った顔を歪めていきり立った。
「意味が分からねえ! 何で要は仕事のためにそんなことすんだよ! 俺はそんなこと頼んじゃいねえ! 俺はアイツが俺のために身を売るような真似望んじゃいねえんだ!」
「……そりゃ、するでしょうね。イオちゃんなら、泉のためなら自分の体を売ることなんて安いものだと考えたはずよ」
「だから何で……!」
「泉、貴方はイオちゃんの……要の希望なのよ。貴方はあの子のスターなの。ヒーローなのよ」
「……な、にがスターだ……」
怒りが腹の底から湧いてくる。要に希望と言われ、嬉しかったことは事実だ。でも、そのせいで要が自分をないがしろにするなら、それは泉にとって少しもありがたくなかった。
「希望ってなんだよ。スターなんて……本当は俺じゃなくたって、アイツ自身、十分芸能界でやっていける顔してるだろ! 俺に希望を見出すより、自分がスターになった方が早いじゃねえか!」
出会ってから四年間、ずっと疑問で、でも無視していたことだ。要に必要とされることが嬉しくて、なぜ薄幸の美少年のように整った要がマネージャーの道を選んだのか、一度も要に確認しなかった。
「普段は自分のことを羽虫だミジンコだって卑下してるくせに、子役時代も、竜胆ババアに色仕掛けしてる時も、俳優の俺も真っ青なくらいの演技力だったぜ?」
竜胆を落とそうとした時の要は、止まっている壁にさえ謝るくらい内気な普段の要とはまるで違っていた。自身の甘い美貌を理解しつくした、魔性という言葉がピッタリの男を見事に演じきっていたのだ。
泉の発言を聞いた社長は、二本目の煙草を指からポトリと落とす。
「イオちゃんが、枕営業をしようとした時に演技をしてたの……?」
「ああ、名脇役も白旗を上げるくらいのな!」
「……そう」
何か考えこむような表情で、社長は火のついていない煙草を拾いあげた。泉は気炎を上げる。
「俺のために枕営業するくらいなら、自分がもう一度芸能界に戻ればいいじゃねえか」
「……それは無理よ。イオちゃんは、もう演じられないもの」
「――――は……?」
そこで初めて、泉は頭に上っていた血の下がっていく感覚がした。社長は砂のついた煙草を持て余すようにいじる。
「あの子は、自分のためには演じられないの。……泉、貴方、イオちゃんがどうして芸能界を辞めてマネージャーになったのか聞いたことはある?」
「いや……」
「挫折したからよ」
社長が、指で弄んでいた煙草を折る。泉にはそれが、要の姿と重なった。
「イオちゃんが子役としてデビューした時、その圧倒的なセンスに驚いたわ。スターの器だと思った。でも、すぐに気づいたの。あの子は大好きな母親の期待に応えようとして演技しているんだって。誰かのために頑張る子なんだって」
「母親の……」
要の口から、母親という単語が出たことは一度もない。それどころか、家族の話をしたことすらなかった。
それは家族に恵まれなかった泉に配慮してのことだと泉は思っていたが、どうやら理由はそれだけではなかったらしい。
泉は、心臓がざわつくのを感じた。
「泉の好きな……イオちゃんが出演していた教育番組はとっても好評だったわ。イオちゃんの母親は不安定な人でね、あの子を生きがいにしていた節があったんだけど、イオちゃんがお茶の間の人気者になった時まではとても喜んでくれていたの。でも」
社長は言いにくそうに言葉を切り、それから覚悟したように言った。
「イオちゃんにとって初めての――――そして最大の挫折があったの。テレビ局の上層部の奥さんが、イオちゃんを気に入らないって一言漏らしたそうでね」
「……それで」
「視聴率は好調だった。イオちゃんの人気もあった。でも、上層部の奥さんの一言で、イオちゃんの番組は打ち切りになった」
「――――芸能界じゃ、ままあることだな」
中途半端な権力を持った第三者の一言で、簡単に淘汰されてしまう。まして一介の子役など。そんな理不尽がまかり通る世界だ。
二十歳の泉はもうそれを知っている。でも、子供だった要は? テレビ画面の向こうで花が咲いたような笑みを浮かべていた彼は、その理不尽をどう受け止めたのだろうかと、泉は思った。
社長は折れた煙草をしまい、伏し目がちに言った。
「努力だけでは叶わないことがあると、イオちゃんは幼くして知ってしまった。そして、もっと打ちのめされたのはイオちゃんの母親の方だった。イオちゃんのテレビでの活躍を生きがいにしていた母親は、普通の子供としてのイオちゃんに価値を見出せなくなったの。そして……」
当時を思い出したのか、社長は額に手を当て、暗い顔で言った。
「心を病んで、要を残して死んでしまったわ」
泉は形の整った唇を引き結んだ。
ふと要の姿が脳裏を過ぎる。挙動不審で自信なさげな要は、不思議と泉の前ではいつも笑っていた。だから、彼の過去について深く考えたことはなかった。多くの他人と同じように、健やかに育ってきたものとばかり思っていたのだ。
「それから、イオちゃんは今みたいなネガティブな性格になり……以前のように演じられなくなったの。天才子役の名を欲しいままにしていたのが嘘みたいにね。演じる意味をなくしてしまったんだもの。当然よね」
「……じゃあ、何であの時……」
泉は口ごもった。竜胆を誘惑した時の要のプレイボーイぶりはなんだったのだ。
「だから、あの内気なイオちゃんが枕営業をするために再び演技をしたっていうなら」
社長は語気を強めて言った。
「それくらい、貴方が大事ってことよ。泉」
頭を殴られたような衝撃だった。演技を封じこめてしまった要が、自分のために演技をしたことが信じられなくて、翡翠の桃花眼を揺らめかせる。
社長は真っすぐに泉を射貫いて言った。
「芸能界は実力だけじゃ足りない。運も強かさも必要だって分かってるイオちゃんが、泉の才能が理不尽な大人の手によって潰されたりしないように、守るために演じたのよ」
もし、そうなら。
もし、そうなら……抱きしめたいと思った。何も知らなかった。要がどんな気持ちでいたかなんて。
いつも兄のような温かさで泉のわがままを受けとめてくれるから。母のような穏やかさで泉の活躍を見守ってくれたから、他人に寛容で、簡単に自己犠牲を選んでしまうのかと思っていた。
でも本当は、他人と話すたびにどもる要が、竜胆とセックスするなんて大胆なことを簡単に選べたはずがない。
きっと吐きそうなくらい緊張したに違いない。膝が笑うほど怖気づいたに違いない。それでも竜胆の元へ行ったのは……。
(一度は諦めた夢を、今度は俺と一緒なら叶えられるって、希望を見出してくれてたのか……)
平気なはずないのに、どうして力任せに奪うしかできなかったのだろう。
怒りに任せて、要の気持ちに気づいてやれなかった己を泉は恥じた。そして、足元から喉へと駆けあがってくる衝動に、いてもたってもいられなくなった。
今すぐ要に会いたい。
「……ちょっとぉ! 仕事はちゃんと行きなさいよ泉!」
走りだした泉の背中へ、社長が釘をさした。
「……何で俺の勢いを折ろうとすんだよオカマ!」
「貴方が仕事をサボッたらイオちゃんが気に病むじゃないのぉ!」
「――――……っくそ! 今すぐ抱きしめてぇのに……っ」
前髪を乱暴にかきあげた泉に、社長が興奮めいた野太い悲鳴を上げる。
「きゃーっ。アタシ、興奮しちゃう!」
「そのまま昇天でもしてくたばれ」
「やぁよ! でも泉……分かってるわよねぇ……?」
泉の頬が引きつるほどねっとりとした声で、社長が脅した。
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