あの恋人にしたい男ランキング1位の彼に溺愛されているのは、僕。

十帖

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でも僕は知ってる、君の価値

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「初めて会った時、君がオレの名刺を叩き落としたのには傷ついたなぁ」

 黒エプロンをした要は、当時を思い出して悲しげに言った。

 その手には海老やホタテなどの魚介がふんだんに盛られたサラダボウルがある。大理石の床にスリッパの音を反響させた要は、ダイニングの黒テーブルにできあがった料理を並べていた。今日のメインは要が作ったとろとろのオムライスだ。

 十五畳はあるリビングの窓際に置かれたベンジャミンへ水をやっていた泉は、居心地が悪そうな顔をした。ちなみに家の中に飾られた観葉植物へ水をやるのは、要が課した泉の仕事だ。

「仕方ないだろ。女が苦手で触れただけでじんましんの出る俺に芸能界なんて、無縁だと思ってたんだから」

「いまやこんなに売れっ子なのに?」

 リビングに置かれた大型の液晶テレビには、泉が犯人役で出演したスペシャルドラマが流れている。

 苦渋に満ちた顔で犯行を告白する泉。その狂おしい表情と演技力を見た視聴者の中から、またしても泉のファンが多数生まれるだろうと要は思った。

「……女嫌いだけじゃない。そもそも施設出身の俺が、スターになんてなれるわけないって思ったんだ」

「なれただろ」

 要は力強い声で言った。

「君はどんな境遇にいたって、誰よりも輝いてる」

「要……。って、おい、何で感動的なセリフを言った次の瞬間にお盆で頭抱えてるんだよ」

「いや、オレなんかが褒めても泉は嬉しくないよねって思うと申し訳なくて……」

「ああもう、お前はその卑屈モードを何とかしろ!!」

 泉がダイニングのテーブルを叩いた。

「ご、ごめん……でも泉、忘れないで。たとえどんな境遇で育ったって、オレはきっと君を見つけたよ」

「……知ってる。俺を唯一掬いあげてくれたのは、お前だ」

 泉の言葉を本当の意味で理解していない要は、純粋に微笑んだ。二人分のオムライスから、ふわりと湯気が立つ。好物を前にし、泉は嬉しそうに卵にスプーンで切れこみを入れた。

「でも名刺を叩き落としたあと、泉が律義に事務所までついてきてくれたのは嬉しかったよ」

「……それはお前が、ついていかないと死んじまいそうな顔してたからだろ……」





 五月も下旬になり観光シーズンを過ぎても、渋谷のスクランブル交差点は相変わらずの賑わいをみせている。

 改めて人口がこんなにもいることに驚かされるほど、縦横無尽に歩く人、人、人。世界一有名な交差点とも名高い場所を、要は前かがみに歩いていた。

「うう……こんな人のひしめく雑踏をオレなんかが通り抜けることに罪悪感を覚える……」

「じゃあ何でパーキングに車止めてここまで来たんだよ。わざわざこの道を通らなくても打ち合わせ場所には行けるだろ」

 泉はキャップを目深に被り、マスクを目の下まできっちりつけた状態で言った。

 完全に顔を隠しているが、先ほどから長すぎる足とスラリとした立ち姿だけで周囲の目線を奪っている。マスク一つにしたって、小顔過ぎて付けていると顔が埋もれているように見え逆に目立つ。

 華やかさを隠しきれていない泉の横に並びながら、要は「だって」と言い訳じみた声を上げた。

「みんなの反応を、見せたくて……」

「反応?」

「画面見て、泉」

 ハチ公前広場からは、大型ビジョンが五つ見える。どの方向からも映像が鮮明に見えるLEDのパネルだ。

 泉が言われるがままビジョンの一つを見上げると、横で要は腕時計に視線を落とし、カウントダウンを始めた。

「五、四、三、二、一……」

 休日の昼間に、大型ビジョンが一斉に切り替わる。途端に、あちこちで黄色い悲鳴が上がった。

「うそ、うそ? 何のCM?」

「泉の渋谷ジャックだーーーー!」

 五つの巨大画面がシンクロする。海のように深い色をした空間の中、アンニュイな泉がパネルに映しだされた。金糸の長い睫毛が伏せられ、頬に陰っている。

『求めてる、ずっとその時を』

 泉の独白とともに薄い瞼がそっと押し開かれ、碧の宝石が視聴者を捉えた。次の瞬間、海底から陽の光を見つめるように泉の身体は水中を泳ぐ。ゴポリと泉の口から泡が零れていく様が、あまりにも神秘的で人魚姫の言葉が泡となって消えていくのを彷彿とさせた。

『渇いた俺を満たして』

 ここで初めて、泉がささやかに微笑む。泉の手にはいつの間にか清涼飲料水が握られていた。

 人のひしめく繁華街で起きた一瞬の静寂は、うねりを上げ爆発するための気をためているかのようだった。間髪入れず、あちこちから絶叫が響き渡る。

「きゃあああああああっ! かっこいいーーーー!」

「泉ーっ。むり、無理、好き。好きすぎて無理っ。泣けてきた」

「ねえ動画撮った? 何あれ、顔がよすぎる! 伏目やばい!」

「オレあのドリンク買うわ。一泉になりてぇ~」

「同じ人類と思えないんだけど……かっこよすぎ……」

 興奮した声がそこら中から上がる。泉は周囲の反応に切れ長の目を瞬かせた。

「……これ、この前撮影したCMか……。今日から放映だったんだな……」

「うん。一発目は渋谷をジャックしてね。……ね、君、すごい人気だろう」

 いまだに歓声が途絶えぬ周りを見渡しながら、要は胸を反らし自分のことのように喜んで言った。

「これを見せるためにわざわざここへ?」

 泉が問うと、要は頷いた。

「昨日君が、自分の境遇ではスターになれないと思ってたって言ったから。今でもまだそんなことを思っているなら、それは勘違いだよって教えたかったんだ。君を好いてくれている人はこんなにもいる。……泉?」

 帽子を深くかぶっているせいで、泉の表情は窺えない。しかし泉の大きな手が要の髪を乱暴にかき混ぜたことで、要は泉が照れていると分かった。

「お前はすごいな。要」

「え、お、オレ……? すごいのは君……」

「お前のが、ずっとすごい。お前はいつも、俺が欲しい言葉をくれるから」

 そう言った泉の声は、ひどく優しかった。





 CMの余韻に沸く渋谷駅前を後にした要と泉は、渋谷のとあるスタジオへ打ち合わせに来ていた。

 一室に通された要と泉は、人がいない室内の椅子に隣りあって腰かける。用意されたペットボトルの水に口をつけながら泉が切りだした。

「なあ、今月のギャラの一部って……」

「うん。また施設に振りこんでおいたよ。運営費の足しになるって、施設長さん喜んでたよ」

「ふうん」

 芸能界の仕事を始めてから、泉はたびたび自らが世話になっていた施設へお金の援助をしていた。泉が俳優になると志したのも、金銭面で施設へ援助ができると期待したのが大きいかもしれないと要は思っている。

(……理由が何であれ、泉が人々を熱狂させている事実が大事だ)

 台詞の少ないCMでも、視線一つ、仕草一つだけで泉はその世界観に視聴者を引きこむことができる。それは誰にでもできることではない。限られたものにしか与えられない才能だ。天才なのだろう、と要は思っている。

「ふあ……」

 たとえ今、要の肩にもたれかかり、猫のようなあくびをしていたとしても、だ。

「泉重い……。オレは君のクッションじゃないんだけど……?」

「先方サンはまだかよ。随分と時間に寛容な方々だな」

「ちょ……っ聞こえたら困るから、嫌味はやめてよ泉。今回の仕事相手は大御所なんだから……!」

 泉の痛烈な嫌味に慌て、要は泉の薄い唇を塞いだ。

「分かってる? 今回の仕事は、泉にとっても幅広い世代への知名度を上げるビッグチャンスで――――……」

「分かってるって。大物歌手の、ミュージックビデオへの出演、だろ?」

「そう。それで泉、今日の仕事相手は女性だけど――ちゃんとキーホルダー持ってきてる?」

「当たり前だろ。じゃなきゃ渋谷でも女がいるのに平気なわけあるか」

 そう言いながら、泉は尻ポケットからメタボなヒヨコのキャラクター『ぽよゴン』のキーホルダーを取りだして見せた。これは泉のデビュー前に要があげたもので、いわばおまじないのような――――お守りのようなものだった。

『いいかい? これを持っている時の君は無敵だ。女性と触れてもじんましんは出ない。魔法のキーホルダーなんだよ』

 子供だましの言葉だったが、泉はその言葉を繰り返し、なんと自己暗示に成功した。キーホルダーを服のどこかに忍ばせている間は、女性が平気になるのだ。

 これで女性とのラブシーンを乗りきってきたのだが、キーホルダーがないと泉は極端なほど女性を毛嫌いする、難儀な体質だった。

(そういえば、どうして泉が女嫌いなのか聞いたことないなぁ……)

 竹下通りで出会った時はすでに女嫌いだったと要は記憶している。その時も、女性を避けるように歩いていたせいでチンピラにぶつかり絡まれたのだそうだ。

「ああ、ようやくおいでなさったぜ」

 気配に敏感な泉がそう言った次の瞬間、扉を三回ノックする音が響く。挨拶と共に姿を現したのは、スタッフ数人を従えた大物歌手――竜胆りんどうななせだった。

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