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あるいは僕と君のはじめまして
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出会いは四年前だった。事務所の社員としてスターの卵を探していた要が、原宿をふらついていた泉を見つけたのだ。
白いTシャツにジーンズという飾りけのない服装。それでも、ハーフである泉の髪色は透き通った美しさがある。それは様々な髪色の人が行きかう都会でもやはり目を引いた。
(スターの原石だ……っ。絶対逃したくない……!)
要の心が浮き立つ。手にした名刺を握りつぶす勢いで泉の後を追いかけた要は、人波をかきわけた末、すえた匂いの路地裏で泉を捉えた。
柄の悪い男三人に囲まれた泉を。
(な、何でよりによって絡まれてるの……!?)
『何だ、兄ちゃん。中学生か?』
割れたパイプの走る壁に泉を押しやった男の一人が、薄暗がりから要を睨む。白いシャツの上から濃紺のベストを着て、髪の毛はツバメの巣のようにクシャクシャ、おまけに瓶底メガネの格好とくれば柄の悪い男たちが要を中学生と勘違いしても無理はない。
『ち、違います……っ』
童顔を気にしている要だが、今に限ってはそんなこと気にならなかった。それは首や手首に趣味の悪い金のアクセサリーを付けた柄の悪い男たちがこちらを睨んでいるせいだけではない。
その男たちに囲まれてなお――――気位の高い猫のように取り澄ました顔をしている泉のオーラに引きこまれたからだ。ああ、彼は芸能界でスターになる器だと。
高揚感で胸がはちきれそうな思いを、要は初めて味わった。
対して、自身の危機にさえ無感動だった泉は、一見子供のような要が現れたことで切れ長の目を丸めた。
『おいガキ……向こうにいってろ』
泉が初めて声を発する。低いが耳に心地よい澄んだ声だ。きっと舞台上でよく通るに違いないと要は思った。
男たちも要には興味がないのだろう。ハエを追い払うようにあしらってきた。
『痛い思いしたくねえならガキは帰りな。こっちはこの綺麗な顔のニイチャンに用があるんだよ。てめえみたいなションベン臭いガキじゃなくてな』
『うちの店で働かねえかって誘ってやってんのに、何で頷かないかねぇ』
どうやら男たちはいかがわしい店の勧誘らしい。元締めはヤクザだろう。自分以外にも泉に声をかけた相手が後ろ暗い職業であることに要は口元を引きつらせたが、引く気はなかった。
(だって彼以上の原石にはもう会えない……!)
興奮が恐怖を凌駕した瞬間だった。
『ぁ……の……っ』
『あ? 何だ?』
ただ、恐怖に打ち勝っても気弱な要の声量がアップするわけではなかった。肩から下げたカバンの紐を、身を守るように握りしめる。
『あ、あああああああの、いや本当っ、オレみたいなチンチクリンが割りこんで本当に申し訳ないんです、けどっ』
『いや、どんだけどもるんだよ』
男の一人が突っこんだが、要はそれどころじゃなかった。緊張のあまり心臓が口から出そうだし何なら引きつけでも起こしそうなぐらいだ。声が裏返ってしまう。
『お、オレも彼に用があるんです。彼が貴方たちの誘いに乗らなかったなら、引いてもらえませんか……!』
よろしくお願いします! と叫び、折りたたみ携帯のように腰を折る。しばらくの沈黙に、要が「交渉成立したのでは?」と期待して顔を上げると――――……。
『何だとコラァ!! ガキが偉そうなこと言ってっと、東京湾に沈めんぞ!!』
雷のような怒号が降り、要は震えあがった。
『ひええぇっ。すみません、すみません! ノミみたいなオレが生きててすみませんっ』
頭にそりこみを入れた男が、要の胸倉を掴みあげる。泉の指先がピクリと反応するのを目の端に捉えた要は『動かないで』と目で制した。
『でも、あ、あの、できれば話し合いで……っ』
穏便に、と言いかけた首元に白刃が光る。キレた男が要にナイフを突きつけたのだ。見慣れぬ銀色の輝きに、要の喉で悲鳴が縮こまる。
『ひ……っ』
『うぜえんだよお前! 殺すぞ』
『す、すみません、すみません……!』
『分かったらさっさと……』
『その、オレみたいなゴミが……正当防衛してすみません……っ!』
『は……? うわっ』
要の震えがピタリと止まる。次の瞬間、流れるような動きで要はナイフを握った男の手首を捻り、男が手元に気を取られている隙に足を払った。男は背中からごみ箱に倒れこむ。蓋の開いたごみ箱から鼻の曲がるような臭気が上がった。
『この野郎!!』
『ああっ。アリ以下なのに歯向かってごめんなさい!』
仲間がやられたことに逆上し、もう一人の男が要に掴みかかろうとする。が、要はそれを避け、首に手刀を落とした後、がら空きの背中に蹴りをお見舞いした。ごみ捨て場で悶絶していた男の上に、もう一人の男が積みあがる。
『テメェ、何しやがんだ!』
最後の一人が、要の背後から襲いかかった。しかし、胸の前で拳を握った要より早く、横から伸びた強烈な右ストレートが男の顔面にめりこんだ。空中に弧を描いて最後の男が吹っ飛ぶ。
満塁ホームランだ、と要が思っていると、殴った張本人である泉が煩わしそうに要の腕を掴んだ。
『ぼうっとしてんな、今のうちにいくぞ!』
『え、あ、あの……っ』
追っ手を気にしながら、二人で人ごみを抜ける。テラスにパラソルを広げたカフェの前まで来ると、泉は長い足を止めた。
急に止まった泉の広い背中へ、要は鼻をしたたかに打ちつける。顔を上げると、怒った泉と目が合った。顔が整いすぎているため、未成年とは思えないほどの迫力がある。
『あ、あの、無事で……』
『……っに考えてんだお前! ガキのくせに見ず知らずの俺を助けようとするなんて……あいつら、きっとバックはヤクザだぜ。ガキが変な正義感出してんじゃねえって……おい、お前、何してんだ』
泉の手をつぶさに眺める要に、泉は不審そうに尋ねた。
『あ、ごめん……。その、怪我がなくてよかったと思って……。それに、心配は無用だよ。オレこう見えて空手は黒帯だし、君より年上だし……』
『そりゃああんだけ強けりゃ空手も黒帯だろうな……って、は? 年上!?』
『オレは二十二歳。君は……大人っぽく見えるけど未成年だろう?』
『マジかよ……』
信じられないと言わんばかりにマジマジと見つめられ、要は苦笑いした。額に手をやった泉は、怪訝そうに言った。
『……それでも、何で助けたんだよ。見ず知らずの男なんて放っておけばいいだろ』
『それは、まあ……』
たしかに、余計なお世話だったかもしれないと要は思った。先ほどの右ストレートを見るに、泉は要より腕っぷしが強いに違いない。チンピラ三人くらい一人で軽々とやつけられたのだろう。
いらぬ助け舟を出して機嫌を損ねてしまったかもしれないと、要は地面にめりこみそうなほど落ちこんだ。
『……ごめん。余計なお世話だったよね、でも……』
小さな唇をキュッと引き結び、要は言った。
『君を見つけてしまったから』
『……は?』
訝しそうな泉に、要はぶつかった拍子にずれたメガネを外して微笑みかけた。
『運命、だと思ったから。傷つけさせたくないって思ったんだ。そしたら体が勝手に動いてた』
『……何だ、それ。下手な告白かよ』
泉は虚を突かれた様子で言った。
嘲笑を浮かべるべきか迷った泉の口元が、要の真摯さに貫かれて不自然に噤まれる。
要は大粒の瞳を瞬いてからふんわりと笑った。
『そうだね、やっと見つけたオレの希望の星への告白かもしれない』
『……希望?』
『うん。あの、オレは芸能プロダクションで仕事をしている五百蔵要って言います。その……それで……できれば君を、芸能界にスカウトしたいんだ……』
握りしめていたことでしわくちゃになってしまった名刺を差しだし、要は緊張から上ずった声で言った。
白いTシャツにジーンズという飾りけのない服装。それでも、ハーフである泉の髪色は透き通った美しさがある。それは様々な髪色の人が行きかう都会でもやはり目を引いた。
(スターの原石だ……っ。絶対逃したくない……!)
要の心が浮き立つ。手にした名刺を握りつぶす勢いで泉の後を追いかけた要は、人波をかきわけた末、すえた匂いの路地裏で泉を捉えた。
柄の悪い男三人に囲まれた泉を。
(な、何でよりによって絡まれてるの……!?)
『何だ、兄ちゃん。中学生か?』
割れたパイプの走る壁に泉を押しやった男の一人が、薄暗がりから要を睨む。白いシャツの上から濃紺のベストを着て、髪の毛はツバメの巣のようにクシャクシャ、おまけに瓶底メガネの格好とくれば柄の悪い男たちが要を中学生と勘違いしても無理はない。
『ち、違います……っ』
童顔を気にしている要だが、今に限ってはそんなこと気にならなかった。それは首や手首に趣味の悪い金のアクセサリーを付けた柄の悪い男たちがこちらを睨んでいるせいだけではない。
その男たちに囲まれてなお――――気位の高い猫のように取り澄ました顔をしている泉のオーラに引きこまれたからだ。ああ、彼は芸能界でスターになる器だと。
高揚感で胸がはちきれそうな思いを、要は初めて味わった。
対して、自身の危機にさえ無感動だった泉は、一見子供のような要が現れたことで切れ長の目を丸めた。
『おいガキ……向こうにいってろ』
泉が初めて声を発する。低いが耳に心地よい澄んだ声だ。きっと舞台上でよく通るに違いないと要は思った。
男たちも要には興味がないのだろう。ハエを追い払うようにあしらってきた。
『痛い思いしたくねえならガキは帰りな。こっちはこの綺麗な顔のニイチャンに用があるんだよ。てめえみたいなションベン臭いガキじゃなくてな』
『うちの店で働かねえかって誘ってやってんのに、何で頷かないかねぇ』
どうやら男たちはいかがわしい店の勧誘らしい。元締めはヤクザだろう。自分以外にも泉に声をかけた相手が後ろ暗い職業であることに要は口元を引きつらせたが、引く気はなかった。
(だって彼以上の原石にはもう会えない……!)
興奮が恐怖を凌駕した瞬間だった。
『ぁ……の……っ』
『あ? 何だ?』
ただ、恐怖に打ち勝っても気弱な要の声量がアップするわけではなかった。肩から下げたカバンの紐を、身を守るように握りしめる。
『あ、あああああああの、いや本当っ、オレみたいなチンチクリンが割りこんで本当に申し訳ないんです、けどっ』
『いや、どんだけどもるんだよ』
男の一人が突っこんだが、要はそれどころじゃなかった。緊張のあまり心臓が口から出そうだし何なら引きつけでも起こしそうなぐらいだ。声が裏返ってしまう。
『お、オレも彼に用があるんです。彼が貴方たちの誘いに乗らなかったなら、引いてもらえませんか……!』
よろしくお願いします! と叫び、折りたたみ携帯のように腰を折る。しばらくの沈黙に、要が「交渉成立したのでは?」と期待して顔を上げると――――……。
『何だとコラァ!! ガキが偉そうなこと言ってっと、東京湾に沈めんぞ!!』
雷のような怒号が降り、要は震えあがった。
『ひええぇっ。すみません、すみません! ノミみたいなオレが生きててすみませんっ』
頭にそりこみを入れた男が、要の胸倉を掴みあげる。泉の指先がピクリと反応するのを目の端に捉えた要は『動かないで』と目で制した。
『でも、あ、あの、できれば話し合いで……っ』
穏便に、と言いかけた首元に白刃が光る。キレた男が要にナイフを突きつけたのだ。見慣れぬ銀色の輝きに、要の喉で悲鳴が縮こまる。
『ひ……っ』
『うぜえんだよお前! 殺すぞ』
『す、すみません、すみません……!』
『分かったらさっさと……』
『その、オレみたいなゴミが……正当防衛してすみません……っ!』
『は……? うわっ』
要の震えがピタリと止まる。次の瞬間、流れるような動きで要はナイフを握った男の手首を捻り、男が手元に気を取られている隙に足を払った。男は背中からごみ箱に倒れこむ。蓋の開いたごみ箱から鼻の曲がるような臭気が上がった。
『この野郎!!』
『ああっ。アリ以下なのに歯向かってごめんなさい!』
仲間がやられたことに逆上し、もう一人の男が要に掴みかかろうとする。が、要はそれを避け、首に手刀を落とした後、がら空きの背中に蹴りをお見舞いした。ごみ捨て場で悶絶していた男の上に、もう一人の男が積みあがる。
『テメェ、何しやがんだ!』
最後の一人が、要の背後から襲いかかった。しかし、胸の前で拳を握った要より早く、横から伸びた強烈な右ストレートが男の顔面にめりこんだ。空中に弧を描いて最後の男が吹っ飛ぶ。
満塁ホームランだ、と要が思っていると、殴った張本人である泉が煩わしそうに要の腕を掴んだ。
『ぼうっとしてんな、今のうちにいくぞ!』
『え、あ、あの……っ』
追っ手を気にしながら、二人で人ごみを抜ける。テラスにパラソルを広げたカフェの前まで来ると、泉は長い足を止めた。
急に止まった泉の広い背中へ、要は鼻をしたたかに打ちつける。顔を上げると、怒った泉と目が合った。顔が整いすぎているため、未成年とは思えないほどの迫力がある。
『あ、あの、無事で……』
『……っに考えてんだお前! ガキのくせに見ず知らずの俺を助けようとするなんて……あいつら、きっとバックはヤクザだぜ。ガキが変な正義感出してんじゃねえって……おい、お前、何してんだ』
泉の手をつぶさに眺める要に、泉は不審そうに尋ねた。
『あ、ごめん……。その、怪我がなくてよかったと思って……。それに、心配は無用だよ。オレこう見えて空手は黒帯だし、君より年上だし……』
『そりゃああんだけ強けりゃ空手も黒帯だろうな……って、は? 年上!?』
『オレは二十二歳。君は……大人っぽく見えるけど未成年だろう?』
『マジかよ……』
信じられないと言わんばかりにマジマジと見つめられ、要は苦笑いした。額に手をやった泉は、怪訝そうに言った。
『……それでも、何で助けたんだよ。見ず知らずの男なんて放っておけばいいだろ』
『それは、まあ……』
たしかに、余計なお世話だったかもしれないと要は思った。先ほどの右ストレートを見るに、泉は要より腕っぷしが強いに違いない。チンピラ三人くらい一人で軽々とやつけられたのだろう。
いらぬ助け舟を出して機嫌を損ねてしまったかもしれないと、要は地面にめりこみそうなほど落ちこんだ。
『……ごめん。余計なお世話だったよね、でも……』
小さな唇をキュッと引き結び、要は言った。
『君を見つけてしまったから』
『……は?』
訝しそうな泉に、要はぶつかった拍子にずれたメガネを外して微笑みかけた。
『運命、だと思ったから。傷つけさせたくないって思ったんだ。そしたら体が勝手に動いてた』
『……何だ、それ。下手な告白かよ』
泉は虚を突かれた様子で言った。
嘲笑を浮かべるべきか迷った泉の口元が、要の真摯さに貫かれて不自然に噤まれる。
要は大粒の瞳を瞬いてからふんわりと笑った。
『そうだね、やっと見つけたオレの希望の星への告白かもしれない』
『……希望?』
『うん。あの、オレは芸能プロダクションで仕事をしている五百蔵要って言います。その……それで……できれば君を、芸能界にスカウトしたいんだ……』
握りしめていたことでしわくちゃになってしまった名刺を差しだし、要は緊張から上ずった声で言った。
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