僕の大好きなあの人

始動甘言

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邂逅と一目惚れ

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 僕は名前がない。仮にあるとしたら、『ジョン』と呼んでもらおう。
 経歴、も僕にはない。これに関しては嘘ではない、本当にないのだ。無いものはない、そういうことにしてくれ。
 じゃあ記憶は、と聞かれると僕は口を紡ぐ。記憶はある、だが話したくない。それぐらい僕の日常だったものは他人に話せるほど面白いものでもなく、興味をそそるものでもない。代わりに、例えば、そう、一言でまとめるとするなら、吐き気のするほど暗いものだった、だろう。
 ならお前は何なんだ?と聞かれたら僕は『神子として求められた者』と答える。どうだ、既に気持ちが悪いだろう?これ以上は語るに落ちるというのだろう。あえて僕は口を紡ぐよ。

 「なぜ君はこれを私に話した?」

 目の前に男が一人いる。

 「なぜ、か」

 男とは初対面だ。だけど因縁はある。それは男が後ろから引き連れてきている、いや存在だ。

 「アンタ、教祖に近い存在だろう?」
 「――――――――!!」
 
 男が固唾を飲んだのが分かる。ピクリと身体を震わせた。

 「君は、一体、何なんだ・・・・?私は君の事なんか知らないぞ・・・」
 「知らなくていい、名前は生憎、持ち合わせてはいないからな」

 男を、殺意を持って見据える。ああ、なんて悪い夢だろう。今が良く晴れた日の夜ならば、どんなに良かったことだろうか。そうすればこれから殺す相手の顔をしっかりと記憶出来たのに。そうすればこれから押しつぶされて消える記憶の中で何度も殺せただろうに。

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 男の後ろにいるはずの彼女は既に見えなくなった。もう彼女の顔すら思い出せない、殺意が彼女との記憶を黒く塗りつぶしかけているのだ。
 (でも、そうだ。この一呼吸で、すべてを思い出そう)
 辺りを焦がす黒煙が渦巻く中で、僕は灰まみれの空気を大きく吸い込む。肺は正常に稼働している、いずれむせて吸った空気を吐き出してしまうだろう。
 (だからこそ)
 そう、だからこそだ。大事な思い出を全て黒に塗りつぶす前に。
 (ゆっくりと味わうんだ)
 目を閉じて、記憶細胞のすべてをフルスロットルさせて、思い出す。





 「彼の名前は■■■だ」
 僕は家出した大学生としてあそこから逃げ出した。あそこはもう思い出す気はない。
 白髪だらけの店長はいい人だった。家出したから行くとこがない、働かせてくれ、そんな感じで言ったら、店員に手を出さないことを条件に住み込みで働かせてくれることになった。本当にいい人だ。
 「これから一緒に働くことになるからよくしてやってくれ」
 店長はそう言って店の奥に引っ込んだ。なんでも事務仕事が溜まっているらしい。部屋の前を通ったら机の上に大量に紙の束があったのを見た。
 「はーい、■■■くん!私がバイトリーダーだからよろしく!」
 手を上げる人を見るとかなり小さかった。多分僕よりも小さい。
 彼女はバイトリーダーさん。こんな僕に色々と教えてくれたスゴイいい人だ。まだ上手く喋れなかった僕にこの難しい日本語を教えてくれた。いわば先生だ、小さいけど。
 「■■■く~ん?もしかして私のこと小さいと思った?」
 僕は首を横に振った。バイトリーダーさんの目が据わっていたから怖くて反射的にした。
 あとで聞いた話、彼女と店長は結婚していて、何人かいる子供は既に成人しているらしい。でも、バイトリーダーさんは明らかに20代になっていない見た目をしていた。本当に不思議だった。
 「こほん。じゃあ次に君の先輩を紹介します、▲▲ちゃん」
 「あ、はい。別に初回の挨拶なんですからこんな登場はさせなくてもいいのに・・・」
 バイトリーダーさんはどこからか持ってきたクラッカーを出して、パンと鳴らした。すると奥から『本日の主役』と書かれたタスキをかけたエプロン姿の女性が出てきた。
 『彼女』だ。もう顔が黒くなっている。でも、この時の僕は、まず間違いなく、この時の彼女を見た時に、トクンと心臓が動いたのを自覚した。
 初めての経験だった。今まで経験したことがない気持ちだった。身体が内から火照るのが分かった。なんなんだ、なんなんだ、この思いは。知らない知らない、僕はこんなのを。
 「あ・・・、あ・・・・」
 変な声を漏らして、さらに身体が火照るのが分かった。
 パチリ、と彼女と目が合った。それだけで、体の奥底から上がる熱が頭の中を白い蒸気の世界にする。初めての経験すぎて、僕は思わず走り出した。
 「うわああああああああああああ!!!!!!!」
 店のドアを思いっきり開け放ち、そのまま外に飛び出した。
 
 「あれ、あの子どうしたんですかね」
 「ふふふ、▲▲ちゃん。貴方も結構初心ねー、ふふふ」

 二人がそんな会話をしていたと後で聞いた。誰から聞いたか、それは当然、鬼の形相で僕を追いかけてきた店長だ。
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