一色

木霊

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    なぜ私の論文が、万人受けをしないのか。理由は単純明快である。百人もの学者の群衆に、私の論文の題名を聴かせれば、九十八人は「くだらない」と、一蹴するだろう。ものの半世紀前までは『神隠し』と聞けば、人々は慄き、目を伏せただろう。存在していた有機物から無機物まで全てが、無差別に、ふっとした拍子に跡形も無く、失踪、消滅をする超常現象は、当時であれば、手隙の学者らを魅了したに決まっている。しかし、現代においては廃れているが、興信所や、探偵によって「神隠し」は、「生活保護を受給するための偽り」として処理されるだろう。本当に、そう一辺倒だろうか。そう問うと、皆口々に「誘拐拉致」「監禁」「口減らし」と宣い、あしらった。輩共は、かつての「姥捨山」や「時効後の事件解決」を元手として発言しているのだろうが、それは陳腐な屁理屈に過ぎない。
『1930年 イヌイット村消失』は、どう説明を付けるつもりだろうか。総勢約二百人の村人が一夜にして、忽然として消失した事に対しては、拉致誘拐説も、犯罪性も色を成さないだろう。当然、もぬけの殻となった村には、一切の争った形跡も、手がかりも残されていない。
『3000人の古代中国兵士失踪』など、これらの事件を、どう説明付けようか。
既に、私が『神隠し』と呼ばれる超常現象に取り憑かれて、十五年、百八十ヶ月以上の年月が過ぎている。これまでに、学術会へ『神隠しの真相』『事件性に揉み消された謎』など、数多の論文を提出してきたが、手に取られることは皆無に近しく「今更では」「SF小説じみている」と宥められるのがオチであった。何故、これ程の、無数の人間が存在しているにも関わらず、大衆の目を惹くことが困難を極めるのだろうか。しかし、考えてみれば、都会に、まるで下水に群がるハエのように集う人間のうち、一人消失しようが、誰も気には留めないのだろう。餌に群がる鶏を一羽だけ奪っても、飼い主が気づかないように。
    だが、私の思慮する推測は、確証を持たせてもいい代物だろう。結論からすると、神隠しとは、時空に突発的、偶然に開いた裂け目によって、引き起こされる事象なのだ。今、我々が生きているこの時代とは、当然、不可視ながら、時の流れによって形成されているものだ。ところが、この今居る空間は「表の空間」である。時の流れ、即ち『時制』にも、流れるべき空間が存在している。その空間を、ここでは「時空間」と呼び、我々の居るこの「表の空間」の裏に存在する空間として定義付けよう。この二つの空間は、当然ながら、同時進行して存在している。時空間には、稀有に裂け目が生じる。開いた裂け目は、時が流れる「時空間」と我々が今生活している「表の空間」の架け橋となる。裂け目に呑み込まれた人間は、時空間を、さまよう羽目になり、運良く、その流れから脱した者は、過去世界へ飛ぶと、タイムトラベラーとされる。
『WWⅡ中のアメリカの街角で、片手サイズの携帯電話をいじる男の存在』
『当時の技術では不可能とされる、滑らかな加工をされた岩を用いたピラミッド』
神隠しによって、過去世界へと遡った人間は、当時の世界に、良かれ悪かれ、影響を及ぼしたに違いない。しかし、運無く、迷い込んだ時空間からの脱出が叶わぬ者は、悠久に、時空間を放浪するのだろう。その時空間の内部では、万物は加齢を重ねるのだろうか、思うように空間内を移動することが可能だろうか。いや、膨大な力によって、全身が爆散するだろう。疑問は底を尽くことを知らない。この好奇心こそが、最大の活力として、奮起材として効くのだ。数多の疑問を解決する方法は、ただの一つ。私自身が時空間に飛び込めば良いまでのことである。これまでの十五年間、私は、ひたすら時空の裂け目との遭遇を夢見ながら、この表空間を彷徨っている次第である。もしも、裂け目との遭遇を果たし、裂け目を手中に入れることができれば、自在に時空を超えることも可能となるだろう。世間では、時空を超える為には、膨大な機動力と、超速が必要であると論付けられているが、私の思案と動向の一つで、既出の壮大な計画書が、全て紙くずと化すのだ。なんと素晴らしいことだろうか。
    調査によって、私は、日本において、神隠しは山の奥部で多発すると、突き止める点まで漕ぎつけた。そのため、古来より天狗や山神の御技とされているが、それは超常現象に、超常現象を重ねているだけであって、説明にも解明の糸口にも何にもなっていない。時空間の存在は疑い、否定を重ね、神や妖怪の存在を盲信するなど、阿呆にも程があるではないか。しかし、裂け目を目の当たりにする確率なぞ、天文学的数字を、遥かに越しているに違いない。

    私の研究室‥と言っても、アパートの一室には、様々な失踪事件や、神隠しについての文献が積み重なっている。様々な図書館を巡り、参考文献を、切り取る作業は、背徳の快感を与えてくれた。例えば、
『上空3000Mで消失したミャンマーのヘリコプター』
『長野山中で失踪した男女四人』
『家屋ごと消えたヨーロッパの漁村』
これらは全て、大小の関係無しに、当然隈なく捜査が行われた。結果、原因は事故、自殺、自然災害などと、媒体は語っているが、追究すれば、辻褄合わせに、必ず、詰まる点がある。それらは全て、私が掘り起こすまでは、時の流れに埋もれてしまっていた事実。
   室内は、年中開放厳禁で、特に夏は茹だるような暑さとなる。もし、窓を開ければ、文献達が煽られ、身を翻す。部屋の西側壁には、印を付けた日本地図が貼られている。この赤油性ペンで書き込んだ印が、全国的に山間部や、森林帯に多いことが、容易に見て取れる。それも、中部地方に集中している傾向にある。
 これまで、数人の信頼のおける人材や、同業者と共に、神隠しの謎を解き明かす研究を遂行することを、幾度となく妄想、描いてきたが、現実では、既に研究室の賃貸金も、数ヶ月分滞納し、孤独を抱いて、天文学以上の数値と格闘している。いや、格闘すら叶ってはいないに違いない。家計を支えていた、唯一の収入源も潰えてしまった。今度の実調査には、私の懐に眠る全財産を叩く必要があるようだ。いよいよ明日、私のこれまでの研究の完遂と、同業者達からの信頼を得るための旅に出ることにしよう。

    腕時計は、しかと五時半を指している。始発の列車がようやく、朝鳥の鳴き声だけが響き渡る駅構内に滑り込んできた。ここでは明言をしないが、これから向かうは、長野県内に広がる、とある森林帯である。そこでは、日頃より、昼夜を問わずに森林全体が霧を帯びており、進入を試みる人間はそうそういないだろう。肩から流した鞄には、なけなしの貯金を換えた道具たちを忍ばせている。麻縄、懐中電灯、カメラなど諸々、底には緊急用のナイフも身を潜めている。
    流石に始発のため、席はどこもガラガラで、同じ客車には、当然人はいない。車輪が線路を滑る音が響く無人の車内は、異様な雰囲気を帯びつつ、私を歓迎してくれた。歓迎されるなど何時ぶりだろうか。孤独の空間には慣れているつもりだが、唐突の都会の雑踏からの解放は、不気味に感じられる。されど、もしも時空間に、身を投じれば、悠久の孤独に閉ざされる事もあり得るだろう。いや、神隠しの構造を世間に曝すためには、私の生還が、最優先事項なのだ。ここに来て、怖気付くなど、らしくないという事であるとは、自分が、最も理解出来ることではないか。しかし、浮かんでくるのは、大家の紅潮した四角い顔面、昨晩と何の変化も見せない、没落した日常への後戻り。いや、これまでの日常よりも、さらに廃れている様子が、明晰に浮かんでくる。いわば、これは人生最大の賭けだろうか。それにしては高揚感の欠片も無い。そんな小綺麗なものではないだろう。むしろ、堕落の沼に突っ込んだ足を、引き摺り出すための機会を求めている私による、喜劇であろう。演者は当然、孤独ゆえに私一人である。独り善がりの末路である。
    空は、徐々に曇天と化す。これまで、二回の乗り継ぎに加え、今の駅で、おそらく六つ目の駅を通過したあたりだろう。着点までは、あと二駅。最初に乗り換えた駅は、都会の中心近辺ともあって、人並みの火種をチラチラと見ることができた。幾つもの改札から溢れる人、人、人の個々は、郊外に近づくにあたって集合し群れを成していた。群れに色は無く、全員が同じ顔持ちで、あれでは自分と他人の区別すらつかないだろう。 
    車窓から見上げると曇天はさらに顔をしかめている。このままいけば、降雨を帯びそうな顔色である。雨濡れると、足取りを揺るがす為、雨は極力避けたい心情だが皮肉だろうか。車輪の回転の低下が著しくなっている。そろそろ停車をするという予兆だろう。駅には、二、三人の人間が立っている。この瞬間が、私にとって最後の人間との面会になるかもしれない。名残惜しさのような心情が滲んでいるような心持ちである。こんな心情は気色の悪いに尽きる。意識の枠外で、私は、既に帰らぬ腹を括っているつもりだろうか。負け戦に臨む武士の心意気とは、こんなものだったのだろうか。己の捨て駒扱いもいい所である。己を無下に扱ったところで、神からの慰めが施されるわけではない。窓の外には、長野北部の自然が構えている。まるで、私を手招くように映る。怪光に惹かれる蛾のような心持ちだ。これでは、今更に己を蔑んでもつまらないに決まっている。

    ふと気がつくと、列車は、既に停車している。瞬息で、列車を飛び出すと、出ると同時に、客車の扉が、まるで私を拒むようにピシャリと塞がれた。ホームの奥には、木造の建物が隣接され、こちらに手を招いている。松の木製の建物内には、六畳程の空間が成されており、正面には、人が一人通るのが、やっとの出入り口が設けられている。風通りも良好で、私の研究室よりも、安らぎを求めやすい。しかし、この空間内には駅員も、券回収の箱も、椅子すら設置されていない。握りしめていた券をポケットに突っ込んだまま、構外に出ると、目前には、畦道のような深茶色の道が左右に向かって敷かれて伸びている。律儀に道を成しているあたり、恐らく人口的に敷かれた道なのだろうが、いやに手抜きというか、粗雑な道である。足元には、不揃いな砂利が点在し、歩行の阻害をしてくる。周囲は、倍程の丈を持つ木々が敷き詰められており、林間が壁のように両脇を占めている。曇天のせいもあって、延びる道は、薄暗さを帯びて、先を不可視なものにしている。曇天に視線を送ると、首長の鳥が、くの字に列を成している。あの小さな群れも、他の群れと合流を続ければ、雑踏となるのだろうか。いや、リョコウバトではあるまいし。鳥社会にも人間社会と通ずるものがあるみたいだ。そういえば、降雨だけは避けたようである。
    次第に、額にも汗が沸くようになってきた。汗を拭い払う次いでに、右手首にはめられた腕時計を覗くと、針は八時五十二分を指し示している。アルミ製の秒針の根本は酸化しており、今にも動きを止めそうである。決して日中というわけではない。ところが、周囲は余りに薄暗すぎる気もする。ここら周辺の地形が記された図は、事前にいくら探し回っても、お目にかかることは叶わなかった。事前に切り抜いた文献によれば、駅から少し歩いた辺りに、民家が軒並んでいると記されていたが、一向にそんな気配は、鈍感な私には感じとれない。

    唐突に、進んでいた道が途切れ、先には森林帯が立ちはだかった。どうやら、民家よりも先に、目的地に到着してしまったらしい。森は灰色の塊として、私を誘おうと手招きをしている。これほどに、廃れた色を放つにも関わらず、私は不思議と惹かれてしまう。あの森からは、都会の駅前広場の色とりどりの怪光には、醸し出すことのできぬ魅力が放たれている。差し伸ばされた手は、不気味なほどに艶やかな白桃色で、魅力を満載しており、その手を取らずにはいられない。背景の灰色の森との対照的な色が、不気味さを一層際立たせる。一歩、また一歩と、踏み出すごとに、鼓動は脈打ち、光が失われていく。ついに、森への侵入を遂げると、そこには、灰色に染まった幹、同色の落ち葉、地面までもが、灰色一色で身を染めている。外観通りの中身は、私に安堵を与えてくれた。すると、突然に、私のわがままな足は、先へ先へと足を運びはじめた。進めど、進めど、同色の世界が広がる。素晴らしい。この灰色ひとつの世界には、裏切りも、意表も存在しない。いや、存在が許されない。非凡を求め続けた人間が、最終的に安堵を求めた先が「不変、一色単」だったとは、皮肉が効いていて、心地良い。
    ふと、地中から露出している大木の根本を越えようと、片足をあげると、私の身体はなびかれたように、重心を崩し、背を側の幹に衝突させた。しかし、その小さな衝撃によって、私の背面からは、小鹿のような、小さな金切り音が漏れた。無音が占めていた世界に、響いた存在するはずのない音へ、私の意識は一点へ集約された。その途端に、灰色単色の世界は、木々、落ち葉、地面、空、全ての色を取り戻し、忽然と消失してしまった。足元に溢れていた活気は蒸発し、身体は、その場にへたり込んでしまった。加えて、麻酔の切れたような、倦怠感と、悔恨が、全身へ焼き付けたられた。今の私からは、心安の欠片も、安堵感も、あのわがままな足すら、身を眩ませてしまっている。まるで、夢から覚まされた老人のような、薬物を切らした中毒患者のような心持ちである。そう考えると、喉奥から胃酸が湧き上がってくる。一発だけ口から放つと、私の脳内では、叩き起こされた正気によって、すぐに自己分析が開始されている。全く賢いものである。私を覚ました背面からの音の正体は、確認せずとも、明確である。それは背面腰辺りに掛けていた鞄底に潜るナイフと、大木の接触音。視線を落として見るも、私の掌も既に色を取り戻し、薄橙色に染まっている。深緑のズボンも、黒色の靴も、私の身近には、あの灰色が存在していない。あの灰色は、何処へ失踪したのだろうか、蒸発、乖離、不可視化、いや、万物は、不可抗力によって、地面に吸い寄せられるものだ。

    爪の間には、黄土色の土が入り込む隙間すら無くなった。私の力では、到底、辿り着けぬ深部まで、潜られたに違いない。あの灰色に触れ、視界に収めたい。まだ不調査の場所は、無いだろうか。鞄。右肩から垂れる鞄を、その場に投げ出し、鉄具を外そうとするも、鉄具が生地に噛み付いて離さない。もたもたしている間にも、私は焦燥感に駆られ続け、強引に二股に裂くように鞄を開封した。肌色の麻縄、銀メッキを装った懐中電灯、生粋の黒を帯びるカメラ、残りのアイテムはただの一つ。鞄底から、元凶を取り出した。コイツには、刃のみに皮製の纏を装着していた事が、どうやらそれが災いしてしまったようだ。纏を取り外して、舐めるように全身を見渡してみる。白銀色の刃、峰は墨色に染められている。もう、鞄の中には、ホコリの一粒も入っていない。腹心から湧いてくるこの心情の矛先は、至極当然だが、このナイフ一点である。ナイフを目前の幹へ投げつけると、綺麗に刃先が幹の胴体を削り、垂直に突き立った。込み上げてくる不安感、焦燥感、対象先の無い嫌悪感は、私の身体を明らかに蝕んでいる。あの灰色は、何処に隠れたのか。いや、逃げられたのか。あの安堵感を享受すると同時に、あの灰色は、私が押し殺す独占欲を掻き立てる。もう一度、私に、微笑み、手を差し伸べてくれはしないか。例え、弄んでいるつもりだろうと、私を包んではくれないか。今の私に、一色に染まったあの無情さ以上に、羨望を持たせる事柄は無い。この瞳に写す情景には、色が多すぎるのだ。しかし、様々な異彩を放つ色達でさえ、互いに手を取り、混ざり合えば、いずれは黒一色に行き着くはずだ。一色ならば、いくら混ざり合おうと、変色も裏切りも無いのだ。
    幹に刺さっていたナイフが、落ち葉上に落下した。どうだろう、右目視界の端で、何かがうごめいている。木々が茂る奥で、うごめくものに目を凝らしてみる。それは、モヤのような流動的な気体の塊のようだ。人だろうか。刹那的に、私の視界がモヤの奥に存在している灰色に染まった木々を捉えた。心に滞っていた憂さが瞬時に薄まり、私の足は、反射的に駆け出している。モヤが接近するにつれて、足取りは、浮遊するがごとく軽化する。ところが、ある距離を過ぎると、モヤは一定の距離を置いて、私の接近を拒むようになった。間違いない、私を弄び、悦んでいる。だが、今の私には、あの安堵感が必要とされるのだ。このままでは、気が触れてしまい、世捨て人紛いとなってしまうに違いない。すると、モヤの接近が再び、著しいものとなり、色合いも一層に濃いものとなった。私の執念に観念したのだろうか、それとも‥いや、考えるだけ愚かだ。いよいよ、目前に迫ったモヤに対して、私は上半身から前のめりに飛び込んだ。
     モヤは、散り散りとなり、私は、尖った顎から地面へ倒れ込み、突っ伏せる体勢となった。目と鼻の先には、少量の土にまみれた懐中電灯が落ちている。この剥げかかった銀メッキと形状からして、私の所有物に相違ないだろう。立ち上がってみると、裂けた鞄、カメラ、麻縄、少し離れた木の根本に落ちているナイフ、全てに既視感がある。どうやら、モヤに先導されて、一周して戻ってきたようだ。弄ばれた上に、完全な裏切りにあってしまったようである。この後に及んで、裏切りでない可能性を期待している愚か者である。少し前まで、抱いていた憂さや、不安感は、変色した上に、一地点に集結し、纏まったのだ。そこより生まれたのは絶望感でも、虚無感でもなければ、孤独感という表現も異なるものだ。何事も思慮したくない。
    落ちているナイフを拾い上げると、柄をしかと握りしめ、刃先を己の下腹部へと向けた。すると、どうだろうか、その刃先から、真っ赤な波動が吹き出し、一瞬で周囲を真紅一色に染め上げた。私の狼狽ぶりを見届けるように、ナイフの刃は、刃先からボロボロと崩れ落ちてしまった。気味が悪くなった私は、残された赤黒くなった柄を投げ捨て、周囲を見渡してみる。木々、茂る葉、地面、空、全てが鮮血のごとく、赤黒い一色に染められている。刹那的に、隙間だらけの心は、感情が交錯する狂騒場と化した。こんな異常な空間の住人になるなど御免である。すぐ側の、赤黒い麻縄を手に取って首に巻き付けようと試みるも、腰程まで持ち上げた途端、ナイフ同様に崩れ落ちてしまう。カメラは、掌に乗せた途端に崩れ、驚嘆した私の尻餅により、敷かれた懐中電灯も砕け散ってしまった。すると、頭上から何かが落下してくる。どいつもこいつも、裏切ったようだ。木々が茂らせていた葉が、一斉に落ち葉として朽ち、落下を始めている。葉は、地面に墜落すると、瞬間的に粉塵となり、消失する。動転する私の足は、信じ難い速度で疾走を始めている。左、左、右、左と走り抜け、全ての葉が消失した頃には、ついに木々の崩壊が始まった。疾走の邪魔を務めてきた木々は、根本より、解体されるビルの如く、地中に吸い込まれるかのように姿を消してゆく。ほぼ全ての木が失せ、雄大だった森林は、のっぺりとした赤黒い土地となった。その平坦な土地を駆け抜ける人間が一人。間違いなく、次の対象は決まっているだろう。懸命に振る両手に違和感を覚え、視線をむけると、両手の指の先端が既に崩壊を始めている。蘇った死の恐怖、それを緒に、私の脳内を走馬灯のつもりだろうか「神隠し」「失踪」「野心」が露わとなり、正気を取り戻させた。今、私は、あれほどに求めていた非日常、異常さに身体を蝕まれ、殺められそうになっている。これが愚人の末路だろうか。

    何かに足元を脅かされた私は、うつ伏せに倒れ込んだ。瞳を開くと、広がっているのは、茶色の落ち葉を飾った黄土色の地面、茂る焦茶色の木々。いわば、何の変哲も無い森林が周囲に広がっている。粉塵化したはずの私の指先も健在である。爪には、黄土色の土が挟まったままだ。立ち上がると、正面に茂る木々の合間から、日差しが差し込んでいる。どうやら森林の切れ目、すなわち森林の出口のようだ。打ち身だらけの身体で、どうにか森から脱することに成功した。森林から脱出した途端に、凄まじい騒音が耳奥を刺し、蒸れた熱気が、汗腺を刺激する。あまりの差に、口元は痺れ、汗腺は血潮を噴き出そうとした。視線の先に広がるのは、厳格に舗装されたアスファルト製の道路、その道路上に敷き詰められた車、車、車の群れ。窓からは煙草を持った腕、癇癪を起こして車戸を叩いている腕など、雑踏を彷彿とさせられる。空からは日差しが誇るように向けられ、私を照らし出す。
    私の足は身体を右後ろに向けさせた。身体は、来た道を戻ることを選択したようである。


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