高司専務の憂鬱 （完）

◆恋と雪と

愛ってなに 4

「わからなかったよ。今もわからないけど、ただ、もういいやって思ったんだ。彼女とずっと一緒にいる自信がなくなった」

　泉水は考えるようにテーブルに視線を落とし、コーヒーを口にする。
　そして「もし」と続けた。

「ずっと一緒にいたいのが愛なら、愛が冷めたんだろうな――。でも、相手の幸せを願うのが愛なら、今でも彼女を愛しているかもしれない」

「ええー、難しいっ。なにその哲学みたいな言葉」

　笑って茶化したが、わかる気がした。
　嫌いになれれば楽なのにねと思いながら、杏香はデザートのパンナコッタに手を伸ばした。口にするとひんやりとして甘い。

「でも、それは俺の話だ。樋口はがんばれよ」

「え？　がんばれないよ。同じだよ。泉水くんと同じで、無理無理。あ、でも別れるために頑張る」

「そうじゃないだろう？　樋口らしくないな。逃げることしか考えていないなんて。当たって砕けろがお前の信条だったじゃないか」

「泉水くんはどうなのよ。がんばったの？」

「俺は、当たって砕けたんだ。逃げてない」
「えー」

　確かにそうだ。やってみなきゃわからないじゃないと小さい頃から言っていた。田舎を捨てて都内に就職したのも、そんな気持ちがあったからだった。

　当たって砕けろ。なにもしなきゃ始まらない。でも――。

「それとこれとは」

「同じだよ。がんばれよ、どうせなら当たって砕けろよ。逃げてばかりじゃ、いつまでたっても次に進めないぞ」

　
　交差点で泉水と別れた杏香は、とぼとぼと歩きながら「そんなの無理よ」と小さく呟いた。

　ずっと一緒にいたい気持ちと、相手の幸せを願う気持ち。
　どれだけ頑張ったって、手が届かないものはある。

　ふと上を向いて目にとまった雲を見て思い出した。加島助教授が、雲との距離を教えてくれたのだ。意外と近かったけれども、それでも届くわけじゃない。

（届かないんだよ）

　私の愛は、彼の幸せを願う愛しかないの。