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◆将を射んと欲せば
天使か悪魔か (氷の月で 2)
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だが、彼はその女性と別れてはいない。
ダメだとなれば、日本刀を振りかざすように女との関係を切り捨てる。むかつくだのなんだの言う前に、その時点できれいさっぱり忘れるような酷い男。それが颯天だ。
なのに、魔のクリスマスを乗り切り、いまだに付き合っているとなると、これはもう普通じゃない。
今の彼女に対して、過去にない特別な何かを感じているはずだ。定説を覆すだけの、なにかを。
「杏香ちゃんだっけ? てっきり別れたと思っていたぞ。去年のクリスマスで」
颯天はあさっての方を向いて「あれは……あいつはただケーキが食べたいだけだった」と澄ます。
そんなわけねーだろ、と仁は思ったが、自分の中でそういうことにしたのかとクスッと笑う。
「またなにか言われたか?」
颯天はふてくれたようにグラスのバーボンを煽る。
「あいつ、本気で逃げる気だ」
ブッとバーボンを吹き出しそうになり、仁はむせた。
「ついにふられたか」
たまらず、あははと笑う。
「お前な、大事なものはちゃんと大事にしないと本当になくすぞ?」
俺みたいに、と心の中で続ける。
「ふられてねーし、大事にしてるさ」
憮然とするところをみると、本当にふられそうなのか。
「ちゃんと愛してるって言ったか? 女の子には言葉にしないと伝わらないぞ?」
言葉数の少ない颯天だ。どうせ言わなくてもわかるとか思っているんだろう。
「すべて綺麗に片付けてから、そういう話はしたいんだ。順番があるんだよ、いろいろと」
「そーですか。あ、そういえば、光葉。カナダに飛んでってよかったな」
ハッとしたように仁に向き直った颯天は「ありがとうな。まじで助かった」と仁の肩を叩く。
「別にいいさ、うちの精鋭部隊。使えるだろ?」
「ああ。さすがだよ」
青井光葉から、颯天の専属秘書を守るという仕事を請け負ったのは仁だ。氷室家は警備会社や人材派遣会社などを経営していて仁は、そのすべての役員である。
その専属秘書が、颯天の意中の彼女だと知ったのは、事件のときだった。
彼が『杏香!』と叫び抱きしめたと報告を受け、なるほどと納得したのだった。
警察沙汰にしない代わりに光葉の父親は頭取をあきらめた。
結果的には万々歳だが。
「だがお前、なんだって彼女を秘書にしたんだ? 光葉に目をつけられるのはわかっていただろうに」
「とりあえずとっ捕まえておかないと、あいつに逃げられるし、苦肉の策だったんだが……かわいそうなことをした」
がっくりとうなだれているところを見ると、よほど堪えたらしい。
「お前な。去る者は追わずじゃないのか?」
うなだれる以前の問題だろうに。
「そりゃ嫌われてるならそうするが、あいつは俺を好きなんだぞ? おかしくないか?」
「はいはい、そーですか」
どうせ無理矢理にでも好きだと言わせているんだろうが、それでも恋を知らなかった男が頭を悩ませていると思うと、微笑ましくもあった。
どうやら本気なのかと仁は感心する。恋愛に関しては初心者マークの俺様だ。悪戦苦闘しているんだろう。
「それにしても、西ノ宮篤子に青井光葉。よりよって縁談の相手が青扇学園有数の悪女とは、お前は昔っから変な女にモテるよな」
彼女たちはふたりより後輩だが、同窓だ。噂は耳に入っていた。いずれも社交界では卒なく澄ましているが、裏がありまくりの悪女だ。篤子は遊び好きなだけだが光葉は性根が腐っている。親が親なだけに皆手をこまねいていたが、今回の件で喜んでいる者は多いに違いない。
睨む颯天の肩を「まあまあ怒るなよ」と叩く。
「で? 専属秘書にして、次は結婚か?」
「まだもうひとりいる」
「え、オヤジさんがらみの縁談。まだあるのか?」
「ああ」
颯天の父は、なぜか昔から縁談を振りかざして颯天に無理難題をふっかける。大方あとひとりの女も一筋縄ではいかないんだろう。
ひとつ大きなため息をついた颯天は、ゆっくりと語りだした。
「なぁ仁。杏香は多分自信がないんだ。俺はいずれ高司グループの頂点に立たなきゃいけないし。その隣に立つのは怖いんだろう」
「んー。まぁな、普通の女の子じゃ逃げたくなるだろうよ」
高司家の嫁となればどうあっても目立つ。政財界の要人との付き合いもしていかなきゃいけない。篤子や光葉のような鉄の心を持つ悪女でもない限り、腰が引けるだろう。
というよりも、むしろいい子だからこそ、逃げたくなるか――。
「俺はもちろん守るつもりだが、それでも二十四時間いっしょにはいられない。パーティーに行けば嫌な思いもするだろう。光葉みたいな女がわんさかいるからな、社交界には」
「まあ、そうだな」
篤子も光葉も性格の悪さは一流だが、青扇学園ではそれほど目立っていたわけじゃない。資産も見た目も学園では平均的だった。
彼女たちはある意味自分の立場を理解しているゆえに、そつなくこなす処世術を幼いころから身につけている。強い者に寄り添い、弱い者しか虐めないというクズらしい生き方を。
悲しいかな、社交界にはそういう連中が少なくない。
なにも知らない純粋な女性が立ち向かうには、少しつらい世界だと仁も思う。
「好きだのなんだの言ったところで、本人にその気がなきゃどうにもならない。あいつは恋愛と結婚は別よ!とか思ってるんだな」
「ほぉほぉ。純情なお前とは違ってか」
「だから杏香には腹を括ってもらわなきゃいけないわけさ」
「で? なんて言ったんだ」
俺を信じろくらいは言えたのか? と思っていると、颯天はにやりと口角を歪めた。
「地の果てまで追いかけるってな」
あっはっはと、仁は爆笑する。
颯天はどこまでも颯天だった。
「おまえ、それは愛の告白じゃなくて、脅しだろ」
笑いながら仁は思う。
本人は自覚しているかどうかわからないが、多分、颯天の初恋だ。
なんとか愛情が伝わっているといいがと、不器用な友人のために願った。
ダメだとなれば、日本刀を振りかざすように女との関係を切り捨てる。むかつくだのなんだの言う前に、その時点できれいさっぱり忘れるような酷い男。それが颯天だ。
なのに、魔のクリスマスを乗り切り、いまだに付き合っているとなると、これはもう普通じゃない。
今の彼女に対して、過去にない特別な何かを感じているはずだ。定説を覆すだけの、なにかを。
「杏香ちゃんだっけ? てっきり別れたと思っていたぞ。去年のクリスマスで」
颯天はあさっての方を向いて「あれは……あいつはただケーキが食べたいだけだった」と澄ます。
そんなわけねーだろ、と仁は思ったが、自分の中でそういうことにしたのかとクスッと笑う。
「またなにか言われたか?」
颯天はふてくれたようにグラスのバーボンを煽る。
「あいつ、本気で逃げる気だ」
ブッとバーボンを吹き出しそうになり、仁はむせた。
「ついにふられたか」
たまらず、あははと笑う。
「お前な、大事なものはちゃんと大事にしないと本当になくすぞ?」
俺みたいに、と心の中で続ける。
「ふられてねーし、大事にしてるさ」
憮然とするところをみると、本当にふられそうなのか。
「ちゃんと愛してるって言ったか? 女の子には言葉にしないと伝わらないぞ?」
言葉数の少ない颯天だ。どうせ言わなくてもわかるとか思っているんだろう。
「すべて綺麗に片付けてから、そういう話はしたいんだ。順番があるんだよ、いろいろと」
「そーですか。あ、そういえば、光葉。カナダに飛んでってよかったな」
ハッとしたように仁に向き直った颯天は「ありがとうな。まじで助かった」と仁の肩を叩く。
「別にいいさ、うちの精鋭部隊。使えるだろ?」
「ああ。さすがだよ」
青井光葉から、颯天の専属秘書を守るという仕事を請け負ったのは仁だ。氷室家は警備会社や人材派遣会社などを経営していて仁は、そのすべての役員である。
その専属秘書が、颯天の意中の彼女だと知ったのは、事件のときだった。
彼が『杏香!』と叫び抱きしめたと報告を受け、なるほどと納得したのだった。
警察沙汰にしない代わりに光葉の父親は頭取をあきらめた。
結果的には万々歳だが。
「だがお前、なんだって彼女を秘書にしたんだ? 光葉に目をつけられるのはわかっていただろうに」
「とりあえずとっ捕まえておかないと、あいつに逃げられるし、苦肉の策だったんだが……かわいそうなことをした」
がっくりとうなだれているところを見ると、よほど堪えたらしい。
「お前な。去る者は追わずじゃないのか?」
うなだれる以前の問題だろうに。
「そりゃ嫌われてるならそうするが、あいつは俺を好きなんだぞ? おかしくないか?」
「はいはい、そーですか」
どうせ無理矢理にでも好きだと言わせているんだろうが、それでも恋を知らなかった男が頭を悩ませていると思うと、微笑ましくもあった。
どうやら本気なのかと仁は感心する。恋愛に関しては初心者マークの俺様だ。悪戦苦闘しているんだろう。
「それにしても、西ノ宮篤子に青井光葉。よりよって縁談の相手が青扇学園有数の悪女とは、お前は昔っから変な女にモテるよな」
彼女たちはふたりより後輩だが、同窓だ。噂は耳に入っていた。いずれも社交界では卒なく澄ましているが、裏がありまくりの悪女だ。篤子は遊び好きなだけだが光葉は性根が腐っている。親が親なだけに皆手をこまねいていたが、今回の件で喜んでいる者は多いに違いない。
睨む颯天の肩を「まあまあ怒るなよ」と叩く。
「で? 専属秘書にして、次は結婚か?」
「まだもうひとりいる」
「え、オヤジさんがらみの縁談。まだあるのか?」
「ああ」
颯天の父は、なぜか昔から縁談を振りかざして颯天に無理難題をふっかける。大方あとひとりの女も一筋縄ではいかないんだろう。
ひとつ大きなため息をついた颯天は、ゆっくりと語りだした。
「なぁ仁。杏香は多分自信がないんだ。俺はいずれ高司グループの頂点に立たなきゃいけないし。その隣に立つのは怖いんだろう」
「んー。まぁな、普通の女の子じゃ逃げたくなるだろうよ」
高司家の嫁となればどうあっても目立つ。政財界の要人との付き合いもしていかなきゃいけない。篤子や光葉のような鉄の心を持つ悪女でもない限り、腰が引けるだろう。
というよりも、むしろいい子だからこそ、逃げたくなるか――。
「俺はもちろん守るつもりだが、それでも二十四時間いっしょにはいられない。パーティーに行けば嫌な思いもするだろう。光葉みたいな女がわんさかいるからな、社交界には」
「まあ、そうだな」
篤子も光葉も性格の悪さは一流だが、青扇学園ではそれほど目立っていたわけじゃない。資産も見た目も学園では平均的だった。
彼女たちはある意味自分の立場を理解しているゆえに、そつなくこなす処世術を幼いころから身につけている。強い者に寄り添い、弱い者しか虐めないというクズらしい生き方を。
悲しいかな、社交界にはそういう連中が少なくない。
なにも知らない純粋な女性が立ち向かうには、少しつらい世界だと仁も思う。
「好きだのなんだの言ったところで、本人にその気がなきゃどうにもならない。あいつは恋愛と結婚は別よ!とか思ってるんだな」
「ほぉほぉ。純情なお前とは違ってか」
「だから杏香には腹を括ってもらわなきゃいけないわけさ」
「で? なんて言ったんだ」
俺を信じろくらいは言えたのか? と思っていると、颯天はにやりと口角を歪めた。
「地の果てまで追いかけるってな」
あっはっはと、仁は爆笑する。
颯天はどこまでも颯天だった。
「おまえ、それは愛の告白じゃなくて、脅しだろ」
笑いながら仁は思う。
本人は自覚しているかどうかわからないが、多分、颯天の初恋だ。
なんとか愛情が伝わっているといいがと、不器用な友人のために願った。
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