67 / 95
◆将を射んと欲せば
天使か悪魔か (氷の月で 1)
しおりを挟む六本木の裏路地、雑居ビルにある小さなバー『氷の月』で、ため息を耳にした店のオーナー、氷室仁がちらりと隣の席を見た。
つまらなそうに眉間にしわを寄せ、ネクタイを緩めているのは、久しぶりに店に来た友人、高司颯天。
左手の動きに合わせてシャツの袖口から顔を出した腕時計が、きらりと光る。
氷の月は仁が飲みたい酒と料理を楽しむために開店した会員制のバーだ。ほぼ毎日誰かしら友人が来るが、颯天が来るのは数カ月ぶりだった。
見たところ聞こえたため息は提供した酒や料理へのものではないらしい。彼はまだそれらに手を付けておらず、煽るようにグラスを傾けた。
片方の眉をひそめ、見るからに不機嫌そうだが、一見した限りでは彼が本当に不機嫌なのかどうかはわからない。均整の取れた顔は笑っていれば涼しげに見えるのに、颯天はいつもこんな表情をしている。
彼はさらにもうひとつ、太く短い息を吐く。
うんざりだと言わんばかりのため息が、マホガニーのカウンターに沈んでいった。
「なにかあったのか?」
一旦はそう聞いた仁だが、カウンターにある申し訳程度の小さなツリーに目をとめて、彼の不機嫌の原因に思い当たった。
「ああ、そういえばお前が嫌いなジングルベルの季節到来か」
クリスマスを迎えるこの時期になると、彼はだいたい機嫌が悪い。
付き合っている女がいると不機嫌モードに拍車がかかるようで、イルミネーションに輝いた甘ったるい流れに逆らうように、きれいさっぱり別れてしまったりする。
案の定、颯天は嫌そうにピクリと眉を動かした。
颯天にしては珍しく、二度目のクリスマスを迎える相手がいる。
さては彼女となにかあったなと、あたりをつけた。
確か去年の今頃もこんな顔をしていて、彼はその女性から『クリスマスの予定を聞かれた』と不機嫌そうに言っていた。
詳しく聞けば、しつこく聞かれたわけでもなく、一回だけ、早く帰れるのかと聞かれたという。
『おいおい、そりゃないだろう、たったそれだけで? いくらなんでも怒りの沸点が低すぎるぞ』と、仁がたしなめたのだった。
ただ、颯天がクリスマスを嫌うのにはそれなりの理由があって、同情する余地は十分にある。
仁の知る限り、颯天のクリスマスの想い出には悪夢のような出来事しかない。
颯天も仁も青扇学園という資産家の子女が集まる学校に通っていて、高司家という名家の家柄もだが、颯天は見た目のよさとクールさで、女の子たちから絶大な人気があった。
本人は女の子よりケンカの方が好きなだけだから、クールだの硬派だの言われても迷惑がるだけだったが、冷たくすればするほど、不本意にモテた。正統派ではなく、ちょっと不良だったのも一部の女の子のツボだったんだろう。
バレンタインだのクリスマスになると、颯天は女の子たちを鬱陶しがって学校をサボっていたが、それでも事件は起きたのである。
高校一年の冬、颯天とイブを過ごすのは誰かと女の子たちが勝手に盛り上がり、なぜか女同士取っ組み合いの大喧嘩に発展して、更になぜか颯天が悪者になり彼の父親が激怒した。颯天は半年近く父親から口座を止められ監視を付けられ酷い目にあっている。
次の年。『颯天、めんどくせえならいっそ、誰かひとりに決めればいいだろ』と、適当なことを言ったのは同級生の須王燎だったか。
ならばと、最初に声をかけてきた女の子とうっかりイブに約束をしたのはいいが、今後はその女の子が自分たちは公認の恋人だと自分の親にも報告し、それを聞きつけた颯天の父が、その時もなぜだか責任を取って結婚しろと彼を激怒した事件もある。
そんな調子なので、颯天の中ではクリスマスになるとサンタが悪夢を持ってくるという構図になっているだろう。
それに――。
まぁ、わからなくもないけどなと、ため息を落とした仁は、バーボンをひと口舐めて、目の前にグラスを掲げた。
グラスにピタリと嵌っている球状の氷が、テラテラと光っている。
水割りとオンザロックは最初から違う。オンザロックは表面積が最も小さいこの球状の氷じゃなければダメだというのは、仁のこだわりだ。
オンザロックの氷は酒を薄めるためにあるものではなく、冷やすためにある。
恋愛も同じ。
薄くなっただけの萎えた味には興ざめするだけだ。そうなってしまったら最後、もう元のようには戻れない。
そんなことを思いながら仁はグラスを揺らした。
去年のクリスマスで、颯天が彼女の言葉から感じたのは、微妙な自分との温度差だったんだろう。
『会う会わないは俺が決めるんだ。あいつじゃない』
『うわっ、お前サイテー、なにその俺さま発言。そんなこと言ってると逃げられるぞ。俺が女ならお前を刺し殺すわ。ただ、クリスマスケーキが食べたかっただけかもしれないぞ? 可哀そうに』
確かそんな会話を交わしたんだよなと、思い返す。
――ちょっと寝たくらいで、俺の恋人にでもなったつもりかよってか?
親友の胸の内は、おおかたそんな感じかと仁は想像した。
48
お気に入りに追加
624
あなたにおすすめの小説
隠れ御曹司の手加減なしの独占溺愛
冬野まゆ
恋愛
老舗ホテルのブライダル部門で、チーフとして働く二十七歳の香奈恵。ある日、仕事でピンチに陥った彼女は、一日だけ恋人のフリをするという条件で、有能な年上の部下・雅之に助けてもらう。ところが約束の日、香奈恵の前に現れたのは普段の冴えない彼とは似ても似つかない、甘く色気のある極上イケメン! 突如本性を露わにした彼は、なんと自分の両親の前で香奈恵にプロポーズした挙句、あれよあれよと結婚前提の恋人になってしまい――!? 「誰よりも大事にするから、俺と結婚してくれ」恋に不慣れな不器用OLと身分を隠したハイスペック御曹司の、問答無用な下克上ラブ!
契約妻ですが極甘御曹司の執愛に溺れそうです
冬野まゆ
恋愛
経営難に陥った実家の酒造を救うため、最悪の縁談を受けてしまったOLの千春。そんな彼女を助けてくれたのは、密かに思いを寄せていた大企業の御曹司・涼弥だった。結婚に関する面倒事を避けたい彼から、援助と引き換えの契約結婚を提案された千春は、藁にも縋る思いでそれを了承する。しかし旧知の仲とはいえ、本来なら結ばれるはずのない雲の上の人。たとえ愛されなくても彼の良き妻になろうと決意する千春だったが……「可愛い千春。もっと俺のことだけ考えて」いざ始まった新婚生活は至れり尽くせりの溺愛の日々で!? 拗らせ両片思い夫婦の、じれじれすれ違いラブ!

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。
何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。
財閥御曹司は左遷された彼女を秘めた愛で取り戻す
花里 美佐
恋愛
榊原財閥に勤める香月菜々は日傘専務の秘書をしていた。
専務は御曹司の元上司。
その専務が社内政争に巻き込まれ退任。
菜々は同じ秘書の彼氏にもフラれてしまう。
居場所がなくなった彼女は退職を希望したが
支社への転勤(左遷)を命じられてしまう。
ところが、ようやく落ち着いた彼女の元に
海外にいたはずの御曹司が現れて?!

赤貧令嬢の借金返済契約
夏菜しの
恋愛
大病を患った父の治療費がかさみ膨れ上がる借金。
いよいよ返す見込みが無くなった頃。父より爵位と領地を返還すれば借金は国が肩代わりしてくれると聞かされる。
クリスタは病床の父に代わり爵位を返還する為に一人で王都へ向かった。
王宮の中で会ったのは見た目は良いけど傍若無人な大貴族シリル。
彼は令嬢の過激なアプローチに困っていると言い、クリスタに婚約者のフリをしてくれるように依頼してきた。
それを条件に父の医療費に加えて、借金を肩代わりしてくれると言われてクリスタはその契約を承諾する。
赤貧令嬢クリスタと大貴族シリルのお話です。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

【完結】溺愛予告~御曹司の告白躱します~
蓮美ちま
恋愛
モテる彼氏はいらない。
嫉妬に身を焦がす恋愛はこりごり。
だから、仲の良い同期のままでいたい。
そう思っているのに。
今までと違う甘い視線で見つめられて、
“女”扱いしてるって私に気付かせようとしてる気がする。
全部ぜんぶ、勘違いだったらいいのに。
「勘違いじゃないから」
告白したい御曹司と
告白されたくない小ボケ女子
ラブバトル開始
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる