高司専務の憂鬱 (完)

白亜凛

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◆将を射んと欲せば

三年前の秘密 11

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 まさか、ほかのマンションで会っているのか?

 俺がそんなへまをすると思うか。とでも言いたいのか? そうだ、きっとそうだと思うとなにやら無性に悔しくて、怖さも忘れ杏香はキリキリと睨み返した。

 どう考えもおかしい。

 ただ借りていたものを返しただけで、いや、仮に貰ったものだとしても(貰った覚えはないが)返すだけでどうして恐怖に陥れられなければならないのか。

(怒っていいのは私の方よ。冗談じゃないわっ!)

 打って変わったように顔を突き出してキリキリと睨み返す杏香になにを思ったのか。
 颯天はハハッと弾けたように笑いだした。クックッと笑いながら椅子から手を離してデスクに腰を下ろす。

「な、なによっ」
「もしかして、やきもちか? それなら許してやるぞ」

 そう言って颯天はニヤニヤと見下ろす。

「お前は本当に素直じゃないからな。わかりにくいことこの上ない」

「ちょ! な、なに言ってるんですかっ」
「わかったわかった。そう怒るな」

(――信じられないっ!)

 バンッとデスクを叩いて立ち上がった杏香を、すかさず颯天が抱きしめた。

「ばっ」
 続く言葉は、颯天の唇に吸い込まれていく。

「……んっ」

(――バカにしない、で。バカにしないでよ。――私はなんなのよ……)

 抵抗虚しく、何度も何度も繰り返されるキスに、閉じている瞼から涙が溢れた。


 どれくらい経っただろうか。

 内線電話が鳴り響き、一旦は切れて、また鳴った。ゆっくりと唇を話した颯天が、杏香の頬を両手で包んで囁いた。

「杏香、俺を信じろ。なにがあっても俺を信じるんだ」

「……」

「わかったな?」

 泣きながら頷く杏香の頬にキスをして、颯天はようやく離れていった。

 何度目かに鳴り続く内線電話に出る彼の後ろ姿を見ながら、わけも分からず涙を拭い、杏香はぽつんと椅子に腰を下ろした。

(――なにをどう信じろっていうの? 言ってくれないと、わからないじゃない。全然わからないよ……)


 泣き顔のままではこの部屋から出られない。

 颯天から見えないように背を向けてティッシュで涙を拭い、気持ちを落ち着かせてから席を立った。片手に持った書類は、いかにも仕事で席を外しますという小さなアピールのためで本当の用事ではない。

 振り返ったらしい彼の視線は感じたが、気恥ずかしさもありそのままやり過ごして専務室を出た。

 後ろ手に扉を閉め、天を仰ぐ。

「――はぁ」

 とりあえず部屋は出たものの、行き先が思い浮かばない。ひとりになれる場所となると、トイレの個室くらいしかないだろう。

 幸いなことに女子トイレには誰もいなかった。

 スーツのポケットから彼のマンションの鍵を出す。

『杏香、俺を信じろ。なにがあっても俺を信じるんだ』

 意味がわからない。マリアとは結婚しないと言いたいのかとも思うが、かといって彼女との関係についてはなんの説明もないし、鍵は渡されたけれども来いとは言われない。

 信じたいように信じたらいいのか。

(そういうの、責任転嫁っていうんじゃないの?)

 むくむくと不満が込み上げる。

 キスが上手いのも腹が立った。あのキスで何人の女性が涙を流したかわかったものじゃないと考えて、杏香にとっては彼が初めてで、唯一の人だと気づいた。

 よりによってその人が悪魔だったなんて。

 俺の女だと言いつつ、一度も愛を囁かない。『お前は可愛いな』とキスを繰り返されて心を鷲掴みにされて。これでは生殺しだ。

(捨てないなら、とっとと私と結婚してよ!)

 心で叫んで、なにを考えているのとハッとした。

 いつまでも個室に閉じこもって悶絶してもいられないので、秘書課の備品棚から必要もないシャーペンの芯やら油性ペンやらの備品をいくつか持って専務室に戻る。

 彼は席にはいなくて、杏香のデスクの上にメモが一枚置かれていた。

『高司建設の本社に行ってくる。戻りは四時頃になる』

 あまりのシンプルさにズッコケそうになる。

(さっきあんなに濃厚なキスをしたくせに、なによこれ)

 愛してるくらい書けないわけ、と一度は止まったはずの文句は止まらない。

 卓上カレンダーが目にとまり、杏香は新たなため息をついた。

 土曜日はクリスマスイブだ。

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