71 / 95
◆将を射んと欲せば
天使か悪魔か 7
しおりを挟む
そして杏香は――。
坂元にメッセージを送ったあと、緊張を浮かべながらスマートフォンの画面を見つめていた。
夜の十一時。メッセージを送るには遅すぎるとは思う。やはり明日の朝まで待ったほうがよかっただろうか? 既に送ってしまったというのに、せんないことを考えて不安になってしまう。
「あっ」
既読がついた。
緊張は更に高まってくる。息苦しい思いでそのまま凝視していると、数秒の間を置いて返信が表示された。
『あさっての午前中でしたら時間がとれますが、いかがでしょう』
あさっては日曜日。なんの予定もない。明日も実家に泊まるつもりでいたが、一日予定を早めれば大丈夫。すぐに返信した。
『ありがとうございます!大丈夫です』
その後のやり取りで、あさって十時半に颯天のマンション近くにある、昔ながらの喫茶店で会う約束をした。方向音痴の杏香でもその店なら迷わない。
スマートフォンをテーブルの上に戻し、ホッと胸を撫でおろす。
これで事情がわかる。
姉から聞いた話によると、二週間前の土曜日、客として颯天と坂元が旅館に一泊したという。彼らは同じ日に泊まったが予約は一人ずつ別に取ったらしい。先に坂元が。次の日には颯天が、というふうに。彼らがただの旅行で来たのか、用事があったのかはわからない。
その日を自分のスケジュールで確認してみると、思ったとおり、杏香のマンションに沢山の服が入った段ボールが届いた日だった。荷物を確認するように、突然、颯天が訪れたあの日だ。
杏香の部屋を出たその足で旅館に来たのだ。杏香にはそんな様子を見せず、ひとことも言わずに。
宿に来た彼らは夕食のあと、『杏香さんの上司です』と身分を明かしたらしい。そして、姉と両親が資金繰りについて話をしているのを偶然聞いてしまったのだと言い、事情を聞かせてくれないかと言ってきたという。
『とても素敵な旅館なので協力させてほしい』
もしかしたら新手の詐欺かもしれないと不審に思いインターネットで彼が高司颯天本人だと確認をして、彼の申し出を受け入れたという。その後の具体的な話は、坂元が窓口になり、経営コンサルタントを紹介してきて、そのコンサルタントが銀行との交渉には坂元も同席したらしい。
なぜ、杏香には秘密裏に話が進んでいたのか。それは颯天が、旅館『香る月』が気に入ったからそうしただけで、『杏香さんが重荷に感じても困るので、ここだけの話にしてほしい』と言ったというのである。
だが姉としても、やはり黙っているわけにもいかないと考えていたところへ、ちょうど杏香が帰って来たというのだった。
『杏香からも、よくよくお礼を言っておいてね』
そもそも杏香は、実家がそんな状況になっていることすら知らなかった。
姉も両親も杏香に言ったところで心配をかけるだけだし、銀行が渋り出したのもつい最近だというが、颯天は、なんのためにそこまでしてくれたのか。
知ってしまった以上、知らぬ顔はできない。月曜日会社に出勤して彼と顔を合わせる前にできれば解決したいと思った。
会社ではプライベートな話をしたくはない。それでなくても専務取締役として忙しい彼の時間を割くことはできない。そう思い悩んで、坂元にメッセージを送ったのである。
同窓会は楽しかったけれども、姉から聞いた話が気がかりで心からは楽しめなかった。
泉水に恋人役を頼もうと思っていた計画も、話を聞いたあとでは実行する気にもなれず、やむなく見送りにした。
まだ正月休みもある。あきらめたわけじゃないと自分に言い聞かせる気持ちも、今は力なく弱々しい。すべては彼から逃げるため。彼から酷く冷たく突き放してもらい、心の中で燻ぶっているものと一緒にすべてをあきらめて、なんのわだかまりもなく別れられる。そう思ったのに……。
彼は実家を救ってくれた。
偽の恋人を仕立てるどころの話ではない。感謝こそあれ、騙すなんて無理だ。
逃げるから追うと彼は言う。
でも、密かに助けてくれる。――わからない。彼の心はどうなっているのか。
どんなに考えてもわかりはしないのに、気がつくとまた考えてしまう。
「はぁ……」
堂々巡りを繰り返しては漏れるため息が、沈黙する暗闇のなかで凍りつく。
彼はまるで雲や霞のようだと思う。姿は見えるのに掴めない。
その夜、暗闇の中で杏香は布団の中から天井に向かって手を伸ばした。
どんなに手を伸ばしてもなにも掴めない。杏香の手の平で感じるものは暖房を消した古い部屋の、冷たい空気だけだった。
坂元にメッセージを送ったあと、緊張を浮かべながらスマートフォンの画面を見つめていた。
夜の十一時。メッセージを送るには遅すぎるとは思う。やはり明日の朝まで待ったほうがよかっただろうか? 既に送ってしまったというのに、せんないことを考えて不安になってしまう。
「あっ」
既読がついた。
緊張は更に高まってくる。息苦しい思いでそのまま凝視していると、数秒の間を置いて返信が表示された。
『あさっての午前中でしたら時間がとれますが、いかがでしょう』
あさっては日曜日。なんの予定もない。明日も実家に泊まるつもりでいたが、一日予定を早めれば大丈夫。すぐに返信した。
『ありがとうございます!大丈夫です』
その後のやり取りで、あさって十時半に颯天のマンション近くにある、昔ながらの喫茶店で会う約束をした。方向音痴の杏香でもその店なら迷わない。
スマートフォンをテーブルの上に戻し、ホッと胸を撫でおろす。
これで事情がわかる。
姉から聞いた話によると、二週間前の土曜日、客として颯天と坂元が旅館に一泊したという。彼らは同じ日に泊まったが予約は一人ずつ別に取ったらしい。先に坂元が。次の日には颯天が、というふうに。彼らがただの旅行で来たのか、用事があったのかはわからない。
その日を自分のスケジュールで確認してみると、思ったとおり、杏香のマンションに沢山の服が入った段ボールが届いた日だった。荷物を確認するように、突然、颯天が訪れたあの日だ。
杏香の部屋を出たその足で旅館に来たのだ。杏香にはそんな様子を見せず、ひとことも言わずに。
宿に来た彼らは夕食のあと、『杏香さんの上司です』と身分を明かしたらしい。そして、姉と両親が資金繰りについて話をしているのを偶然聞いてしまったのだと言い、事情を聞かせてくれないかと言ってきたという。
『とても素敵な旅館なので協力させてほしい』
もしかしたら新手の詐欺かもしれないと不審に思いインターネットで彼が高司颯天本人だと確認をして、彼の申し出を受け入れたという。その後の具体的な話は、坂元が窓口になり、経営コンサルタントを紹介してきて、そのコンサルタントが銀行との交渉には坂元も同席したらしい。
なぜ、杏香には秘密裏に話が進んでいたのか。それは颯天が、旅館『香る月』が気に入ったからそうしただけで、『杏香さんが重荷に感じても困るので、ここだけの話にしてほしい』と言ったというのである。
だが姉としても、やはり黙っているわけにもいかないと考えていたところへ、ちょうど杏香が帰って来たというのだった。
『杏香からも、よくよくお礼を言っておいてね』
そもそも杏香は、実家がそんな状況になっていることすら知らなかった。
姉も両親も杏香に言ったところで心配をかけるだけだし、銀行が渋り出したのもつい最近だというが、颯天は、なんのためにそこまでしてくれたのか。
知ってしまった以上、知らぬ顔はできない。月曜日会社に出勤して彼と顔を合わせる前にできれば解決したいと思った。
会社ではプライベートな話をしたくはない。それでなくても専務取締役として忙しい彼の時間を割くことはできない。そう思い悩んで、坂元にメッセージを送ったのである。
同窓会は楽しかったけれども、姉から聞いた話が気がかりで心からは楽しめなかった。
泉水に恋人役を頼もうと思っていた計画も、話を聞いたあとでは実行する気にもなれず、やむなく見送りにした。
まだ正月休みもある。あきらめたわけじゃないと自分に言い聞かせる気持ちも、今は力なく弱々しい。すべては彼から逃げるため。彼から酷く冷たく突き放してもらい、心の中で燻ぶっているものと一緒にすべてをあきらめて、なんのわだかまりもなく別れられる。そう思ったのに……。
彼は実家を救ってくれた。
偽の恋人を仕立てるどころの話ではない。感謝こそあれ、騙すなんて無理だ。
逃げるから追うと彼は言う。
でも、密かに助けてくれる。――わからない。彼の心はどうなっているのか。
どんなに考えてもわかりはしないのに、気がつくとまた考えてしまう。
「はぁ……」
堂々巡りを繰り返しては漏れるため息が、沈黙する暗闇のなかで凍りつく。
彼はまるで雲や霞のようだと思う。姿は見えるのに掴めない。
その夜、暗闇の中で杏香は布団の中から天井に向かって手を伸ばした。
どんなに手を伸ばしてもなにも掴めない。杏香の手の平で感じるものは暖房を消した古い部屋の、冷たい空気だけだった。
48
お気に入りに追加
624
あなたにおすすめの小説
隠れ御曹司の手加減なしの独占溺愛
冬野まゆ
恋愛
老舗ホテルのブライダル部門で、チーフとして働く二十七歳の香奈恵。ある日、仕事でピンチに陥った彼女は、一日だけ恋人のフリをするという条件で、有能な年上の部下・雅之に助けてもらう。ところが約束の日、香奈恵の前に現れたのは普段の冴えない彼とは似ても似つかない、甘く色気のある極上イケメン! 突如本性を露わにした彼は、なんと自分の両親の前で香奈恵にプロポーズした挙句、あれよあれよと結婚前提の恋人になってしまい――!? 「誰よりも大事にするから、俺と結婚してくれ」恋に不慣れな不器用OLと身分を隠したハイスペック御曹司の、問答無用な下克上ラブ!
契約妻ですが極甘御曹司の執愛に溺れそうです
冬野まゆ
恋愛
経営難に陥った実家の酒造を救うため、最悪の縁談を受けてしまったOLの千春。そんな彼女を助けてくれたのは、密かに思いを寄せていた大企業の御曹司・涼弥だった。結婚に関する面倒事を避けたい彼から、援助と引き換えの契約結婚を提案された千春は、藁にも縋る思いでそれを了承する。しかし旧知の仲とはいえ、本来なら結ばれるはずのない雲の上の人。たとえ愛されなくても彼の良き妻になろうと決意する千春だったが……「可愛い千春。もっと俺のことだけ考えて」いざ始まった新婚生活は至れり尽くせりの溺愛の日々で!? 拗らせ両片思い夫婦の、じれじれすれ違いラブ!

御曹司の極上愛〜偶然と必然の出逢い〜
せいとも
恋愛
国内外に幅広く事業展開する城之内グループ。
取締役社長
城之内 仁 (30)
じょうのうち じん
通称 JJ様
容姿端麗、冷静沈着、
JJ様の笑顔は氷の微笑と恐れられる。
×
城之内グループ子会社
城之内不動産 秘書課勤務
月野 真琴 (27)
つきの まこと
一年前
父親が病気で急死、若くして社長に就任した仁。
同じ日に事故で両親を亡くした真琴。
一年後__
ふたりの運命の歯車が動き出す。
表紙イラストは、イラストAC様よりお借りしています。


【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

練習なのに、とろけてしまいました
あさぎ
恋愛
ちょっとオタクな吉住瞳子(よしずみとうこ)は漫画やゲームが大好き。ある日、漫画動画を創作している友人から意外なお願いをされ引き受けると、なぜか会社のイケメン上司・小野田主任が現れびっくり。友人のお願いにうまく応えることができない瞳子を主任が手ずから教えこんでいく。
「だんだんいやらしくなってきたな」「お前の声、すごくそそられる……」主任の手が止まらない。まさかこんな練習になるなんて。瞳子はどこまでも甘く淫らにとかされていく
※※※〈本編12話+番外編1話〉※※※
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる