高司専務の憂鬱 (完)

白亜凛

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◆将を射んと欲せば

秘書のお仕事 16

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 ドキッと胸が跳ね上がる。

 これは救いの神なのか、悪魔のいたずらなのか。ともかくも電池の残量は少ないので迷う暇はない。スマートフォンを頬にあてて小声で出た。

「もしもし?」
『今、どこだ?』

 声を聞いただけで泣きたくなる。

「えっと……」
『まだ新幹線に乗っていないのか?』

「はい……」
『で? どこにいる?』

 反射的に通りを見たが、見たところでさっぱりわからない。

「き、喫茶店、です」

『道に迷ったのか?』

 図星をつかれ、うっと息を呑む。

「――はい」

 颯天に促されるまま、メニューに書いてある店の名前と住所を告げた。

『いまから行くから、そこを動くなよ』

「はい」

(はい――専務。助けてください)

 悪魔でもなんでもいいですと、藁にも縋る思いで心密かに手を合わせた杏香のもとに、颯天が現れたのはほんの十分後。杏香が追加で頼んだパンケーキを食べ始まったところだった。

 カランカランと明るい音を立てて、彼は颯爽と入ってきた。

「いらっしゃいませ」

 少なくとも今は悪魔ではなく白馬の王子である。

 ダークスーツにグレーのコートを羽織った王子は、席につくと、メニューを見ずにコーヒーを頼んだ。

「すみません……。あの、伊東さんは?」

「先に帰ったよ。戻ってすることがあるからな」

「そうですか。一緒に帰るところだったんですね、すみません」

 恐縮しきりの杏香を見ながら、クスクスと颯天は笑う。

「まあいいさ。届けてもらってそのまま同行するよう俺が伊東に言っておかなかったのが悪かった」

 ゆったりと構えた彼が目の前にいるだけで、こんなにも心強いなんてと、感心するやら胸キュンするやら。

「そんな、専務は何も悪くないです。私が間抜けなだけで」

「別に間抜けじゃないだろう? 筋金入りの方向音痴なだけで」
 ハハッと白い歯を見せる颯天は、何気に優しい。

 彼は杏香の方向音痴がどれほどのものなのかよくわかっている。以前、杏香が行ったことがないホテルのロビーで待ち合わせたときに、やらかしたからだ。

 思えばそのときも彼は怒らなかった。『驚異的な方向音痴だな』と笑ってギュッと抱きしめてくれただけだ。

「それにしても、どら焼きみたいなパンケーキだな」

「え? 美味しいですよ? 食べてみます?」

 彼はスイーツ男子ではないし、どう考えても口にはしないだろう。いらないと答えるとわかっていても、なんとなく言ってみただけだ。
 なのに、前屈みに身を乗り出した彼はアーンと口を開ける。

(えっ?)

 ギョッとしたものの、言った手前スルーはできない。おそるおそる颯天の口に餡子と生クリームが乗ったパンケーキを入れてみた。

 その間、彼はジッと杏香を見つめたまま、瞬きもしない。

 そんなに見ないでくださいよと、ドキドキしながら差し出した手もとが狂い、唇にクリームがついてしまった。

「あ、ごめんなさい」
 ペロリと唇を舐めた彼は、目を細める。

「罰として今日は俺のマンションに泊まること」

「えっ」

「心配かけた罰だ」
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