高司専務の憂鬱 (完)

白亜凛

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◆将を射んと欲せば

秘書のお仕事 10

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***


 それから一週間。杏香はぺったりと颯天にへばりつくようにして、彼のマンションで暮らした。
 というのも、颯天が離してくれなかったのだ。

『解決するまで、頼むから俺のマンションにいてくれ』

 真剣な表情でそう言われては断れないし、杏香自身も怖くてひとりで自分の部屋にいたくはなかったのもある。颯天と一緒に一旦は杏香の部屋に行き、荷物を持って颯天のマンションに行ったのだった。

 思い起こせば、まるでアクション映画に巻き込まれているようだった。

 颯天に抱きしめられると同時に、いつの間にか警備員にぐるりと囲まれていて、男たちがどうなったのかは全然見えなかった。

 にっこりと微笑む菊乃に見送られ、颯天に促されるまま車に乗ったので、あの後どうなったのかは杏香はまだわからない。

 幸い事件が起きたのは金曜日だったので、月曜日は有給休暇にして三日間マンションから一歩も出なかった。

 数日中にすべてがはっきりすると彼は言ったが、それ以上はなにも教えてくれなかった。
 きっと青井光葉が絡んでいるのだろう。彼女の異常性は杏香の予想を遥かに上回っていたのだ。

 金曜の夜、彼はずっと一緒にいてくれた。

『ごめんな。怖かったな』
 何度謝られたかわからない。
 聞けば、秘書課に異動になってすぐ、杏香にはずっと警備がついていたらしい。

『え? それじゃ、コンビニに寄ったときも、百貨店でウロウロしているときも?』
『ああ、近くにいたはずだ。お前が寝ている間も、マンションの警備は怠らなかった』

 杏香の住むマンションは築年数も相当経っているオンボロなので、共同の出入り口のセキュリティはゆるゆるだ。だが、そういえば最近は愛想のいい警備員がいた。てっきり隣の豪華マンションの警備員かと思ったが、彼が雇った警備員だったらしい。

『そこまでしてくれたの?』
『ああ。なにかあってからじゃ遅いだろ?』

 土曜日は颯天はどうしても仕事だといって出かけたが、帰ってくるとまっすぐ杏香のもとに来て、強く抱きしめた。

『もう怖くはないか?』
『うん、大丈夫』

 俺様なくせにどこまでも甘やかし上手だから困る。

 キスをしては『お前の顔を見るとホッとする』と彼は言う。

 火曜日からは仕事に行ったが、まだ心配だと彼に説得され、仕事帰りは坂元がオフィスビルの近くまで来てくれるという徹底ぶりだ。

 食事は用意されている。高司家の家政婦が温めるだけの料理を作っていてくれるのだ。
 まさに至れり尽くせりの日々。

 お風呂はアロマキャンドルだけの幻想的なバスルームになっていたり、どこで手に入れるのか薔薇の花弁を浮かせたり。毎日がお姫様気分。

 一緒に入ろうとする彼を断固拒否し続けた。

『ダメです。専務と秘書なんですよ?』
 当然だが普通の専務と秘書は、一緒にバスタブに入らないのだから。

 助けてもらったけれど、それはそれ。このままズブズブの関係になってはいけない、キス以上はしないと決めていた。

 彼はとても罪悪感に苛まれているようだった。
 襲われた責任を強く感じているのだ。言葉の端はしに気持ちが見て取れたし、一緒のベッドに寝て杏香を抱きしめていても、それ以上はしようとしなかった。

 そして今日は八日目の土曜日。
 事件が解決したので、明日杏香は自分のマンションに帰ると決めた。

 この広くて寝心地がいいベッドとも今日でさよならだ。
 もう二度と来ない。今度こそお別れ。

「まだいればいいのに。どうせ俺は帰りが遅いし気楽だろう?」
 
 颯天はいつものように後ろから杏香を抱きしめた。

「私の部屋に食べなきゃいけない食材がまだあるんです」
 あえて明るく言って、彼の腕に自分の腕を絡める。

 後ろからくっついてくる彼の温もりと、彼の香りに包まれて、今夜限りの幸せに浸る。
 
「ねぇ専務」
「ん?」

 背中を向けたまま声をかけた。

「あんまり責任感じないでくださいね」

「ああ……」

 やっぱり声に元気がない。

 クルッと向き直り、彼ににっこりと微笑みかけた。

「専務は守ってくれたでしょ? ほら。私なんともないですよ?」

 彼は口もとだけでニッと笑う。

 元気になって欲しくてチュっとキスをした。

 彼の笑顔はさっきより少し元気になって、ホッとして。うれしくなって彼の腕に頭を乗せて見上げると――。
「お返し」と、彼はチュっと私にキスをする。

 もう少し元気になってほしいだけだった。

 自分から唇を重ねたのも、抵抗しなかったのも、今夜は私の意志。

 最初は唇に触れるくらいだったキスが、だんだんと深くなって――。絡み合う舌と混ざり合う熱い吐息。

 慰めるつもりだったから、大丈夫だと思った。
 指先に狂わされても、今夜だけ。彼の舌が杏香の体を、どこまでも這いずり落ちていっても、文句は言わなかった。

「あっ……。そ、そこは、だ」
 我慢して、耐えた私はバカだった。

「んんっ……あ」

 粘るような水音が響くのを、痺れた頭で遠くに聞きながら横を向くと、ベッドサイドの赤いスタンドライトが作る影が見えた。

 杏香の立てた膝を掴む彼の手と埋まるようにして動く彼の影。惑うように揺れる影が忘我の波に杏香を誘い、絡めとる。繋がったまま、抱き上げられて。キスして、しがみついて。夢中になって――。

 好き――。好きよ、専務。離れたくないのと心で叫び、ようやく気づいた。

 やっぱり間違いだった。
 最後までキスで終わらせなきゃいけなかったんだ……。
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