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◆将を射んと欲せば
秘書のお仕事 9
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彼がいないのを知っているうえで、彼女は入ってきた。
彼女は無言だったが書類を持って入ってきたので、届けに来たようだった。
そのとき、たまたま内線電話が鳴り、杏香は束の間彼女から目を離している。
(まさか、その隙に彼女が書類を?)
彼女だって、秘書としての分別はあるだろう。個人攻撃ならいざ知らず、職務上無くなった書類の重要性はわかっているはずで、会社を守る側の人間がそんなことをするはずがない。
颯天に確認されたこの瞬間まで、杏香は疑いもしなかった。
「コーヒーをこぼして書類を汚したというのは、本当にお前だったのか?」
颯天が真剣な目でそう聞いてくる。
おとといも、颯天がいない時間に彼女は書類を届けに来た。
『あっ』という彼女の声に杏香が振り返ったとき、カップは既に倒れていた。
『飲み残しのコーヒーをそのままにしておくなんて、秘書として失格ね』
彼女はあやまるどころか、逆にそう言ってきたのである。
残っていたコーヒーはほんの少しだったので、汚れた書類は一枚だけだったし、都築課長が作った書類だったので、作り直せるものだったので事なきを得たが。
「あれは……私が片付けて置かなかったのかいけなかったんです」
「青井か?」
なんとなく、そうですとは言い辛かった。
もし、彼女が颯天に注意されたら、百倍の悪意になって杏香に返ってくるだろう。
そう思うと気が重かった。
だが書類が無くなったとなると話は別だ。
それに、今回についてはやられっぱなしではない。
「あの、実は……ブローチを」
杏香は指先でブローチの茎を触るような仕草をして見せた。
コーヒーの件があったので、今回は青井光葉が入ってきた時にブローチの録画ボタンである茎のスイッチを押したのである。
「録画したのか?」
「ええ、もしかしたらと思って」
杏香からブローチを受け取った颯天は、早速パソコンに向き直り、ブローチからデーターを転送させる。
杏香も颯天の後ろに回り一緒に画面を覗いた。
映像はとても綺麗に写っていた。
杏香が内線電話に出る声も入っている。その声を振り返った光葉は書類ケースから書類を抜き出している。そして、何食わぬ顔で部屋を出て行く。
そのすべてが映っていた。
「こんなことまでするなんて――」
彼女の持つ異常性というものの片鱗を見た気がして、背筋が凍りついた。
「杏香、青井がこの部屋に入ったときは必ず録画しろ。他にも色々言われているだろう? すべて記録するんだ。いいか、今後、青井がお前に言うことなにもかもを録画しておくんだぞ。これはお前だけの問題じゃない。証拠が必要なんだ。わかるな?」
「は、はい。わかりました」
書類を抜いているのは映っているが、それが探している書類かどうかまでは、映像からは確認できない。今回の件だけで彼女に責任を追求するのは難しいだろう。
ともかく青井光葉という人物の怖さを垣間見たようで、杏香は緊張感を新たにした。
その後、書類紛失が問題にならず業を煮やしたのか、光葉は書類を抜くという悪行をもう一度して、女子トイレで自分に水をかけ杏香にやられたと騒いだりした。
すべて録画しているので怖くはなかったが、菊乃に『録画していなかったらどうなったと思う?』と言われてゾッとした。
実は菊乃もずっと録画しているのだという。
彼女の場合はブローチではなくスーツの胸ポケットにあるペンが録画装置なのだそうだ。もう少し具体的で、決定的な証拠が集まるまでの我慢だと言う。
「彼女はとてもとても怖い。夜道もとても気をつけているの。杏ちゃんも十分気をつけてね」
「ええ? 夜道ってまさかそんな」
いくらなんでもそこまでいったら犯罪者だと思うが、菊乃は真剣な表情のままだ。
「暗いところは通っちゃだめよ」
「わ、わかった。うん。気をつける」
そんな話をした日の夜、事件は起きた。
会社を出て十メートルほど歩いたとき、すぐ脇の路地から出てきた黒塗りのワンボックスが停車し、マスクをして目深に帽子を被った男たちが三人降りてきた。
なんとなく嫌な予感がする。足を止め会社にUターンをしようとした瞬間男たちがいっせいに走り出し、同時に杏香と男たちの間に菊乃が飛び出した。
「菊乃ちゃん?」
「杏ちゃん! こっち」
駆け寄った菊乃に手を引かれて、恐怖に震えながら逃げる後ろで、男たちの争う音が響く。
今一体なにが起きているのか、振り返る余裕はない。
必死にTKTビルに飛び込もうとしたとき、自動ドアから飛び出してきて杏香を抱きしめたのは、颯天だった。
「大丈夫か?」
「専務?」
彼女は無言だったが書類を持って入ってきたので、届けに来たようだった。
そのとき、たまたま内線電話が鳴り、杏香は束の間彼女から目を離している。
(まさか、その隙に彼女が書類を?)
彼女だって、秘書としての分別はあるだろう。個人攻撃ならいざ知らず、職務上無くなった書類の重要性はわかっているはずで、会社を守る側の人間がそんなことをするはずがない。
颯天に確認されたこの瞬間まで、杏香は疑いもしなかった。
「コーヒーをこぼして書類を汚したというのは、本当にお前だったのか?」
颯天が真剣な目でそう聞いてくる。
おとといも、颯天がいない時間に彼女は書類を届けに来た。
『あっ』という彼女の声に杏香が振り返ったとき、カップは既に倒れていた。
『飲み残しのコーヒーをそのままにしておくなんて、秘書として失格ね』
彼女はあやまるどころか、逆にそう言ってきたのである。
残っていたコーヒーはほんの少しだったので、汚れた書類は一枚だけだったし、都築課長が作った書類だったので、作り直せるものだったので事なきを得たが。
「あれは……私が片付けて置かなかったのかいけなかったんです」
「青井か?」
なんとなく、そうですとは言い辛かった。
もし、彼女が颯天に注意されたら、百倍の悪意になって杏香に返ってくるだろう。
そう思うと気が重かった。
だが書類が無くなったとなると話は別だ。
それに、今回についてはやられっぱなしではない。
「あの、実は……ブローチを」
杏香は指先でブローチの茎を触るような仕草をして見せた。
コーヒーの件があったので、今回は青井光葉が入ってきた時にブローチの録画ボタンである茎のスイッチを押したのである。
「録画したのか?」
「ええ、もしかしたらと思って」
杏香からブローチを受け取った颯天は、早速パソコンに向き直り、ブローチからデーターを転送させる。
杏香も颯天の後ろに回り一緒に画面を覗いた。
映像はとても綺麗に写っていた。
杏香が内線電話に出る声も入っている。その声を振り返った光葉は書類ケースから書類を抜き出している。そして、何食わぬ顔で部屋を出て行く。
そのすべてが映っていた。
「こんなことまでするなんて――」
彼女の持つ異常性というものの片鱗を見た気がして、背筋が凍りついた。
「杏香、青井がこの部屋に入ったときは必ず録画しろ。他にも色々言われているだろう? すべて記録するんだ。いいか、今後、青井がお前に言うことなにもかもを録画しておくんだぞ。これはお前だけの問題じゃない。証拠が必要なんだ。わかるな?」
「は、はい。わかりました」
書類を抜いているのは映っているが、それが探している書類かどうかまでは、映像からは確認できない。今回の件だけで彼女に責任を追求するのは難しいだろう。
ともかく青井光葉という人物の怖さを垣間見たようで、杏香は緊張感を新たにした。
その後、書類紛失が問題にならず業を煮やしたのか、光葉は書類を抜くという悪行をもう一度して、女子トイレで自分に水をかけ杏香にやられたと騒いだりした。
すべて録画しているので怖くはなかったが、菊乃に『録画していなかったらどうなったと思う?』と言われてゾッとした。
実は菊乃もずっと録画しているのだという。
彼女の場合はブローチではなくスーツの胸ポケットにあるペンが録画装置なのだそうだ。もう少し具体的で、決定的な証拠が集まるまでの我慢だと言う。
「彼女はとてもとても怖い。夜道もとても気をつけているの。杏ちゃんも十分気をつけてね」
「ええ? 夜道ってまさかそんな」
いくらなんでもそこまでいったら犯罪者だと思うが、菊乃は真剣な表情のままだ。
「暗いところは通っちゃだめよ」
「わ、わかった。うん。気をつける」
そんな話をした日の夜、事件は起きた。
会社を出て十メートルほど歩いたとき、すぐ脇の路地から出てきた黒塗りのワンボックスが停車し、マスクをして目深に帽子を被った男たちが三人降りてきた。
なんとなく嫌な予感がする。足を止め会社にUターンをしようとした瞬間男たちがいっせいに走り出し、同時に杏香と男たちの間に菊乃が飛び出した。
「菊乃ちゃん?」
「杏ちゃん! こっち」
駆け寄った菊乃に手を引かれて、恐怖に震えながら逃げる後ろで、男たちの争う音が響く。
今一体なにが起きているのか、振り返る余裕はない。
必死にTKTビルに飛び込もうとしたとき、自動ドアから飛び出してきて杏香を抱きしめたのは、颯天だった。
「大丈夫か?」
「専務?」
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