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◆将を射んと欲せば
秘書のお仕事 4
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話をしたかったのだから、ちょうど良かったともいえる。
慌てて鍵を開けると、ずかずかと颯天が部屋の中に入ってきた。
「あっ、ちょ、ちょっとま――」
止める間もない。
「いつまでこんなセキュリティの甘いマンションにいるんだ?」
眉間に皺を寄せ、いきなりの文句だ。
過去に一度だけ、彼は部屋に入ったことがあるが、そのときも『どうしてこんなところにいるんだ』と不機嫌に言った。よほど気に入らないのだろう。
どう言われても、杏香は気に入っているので引っ越す気はないが。
玄関に取り残された杏香は、「もう」と頬を膨らませる。
部屋はワンルームだ。
彼が一度だけ来たときに抱き合ったベッドがそのままある。
なので入ってほしくはないのに、そんな気持ちを知ってか知らずか、彼は当然のようにベッドの上に腰を下ろす。一応ローソファーもあるというのに。
(そりゃ、長い脚が邪魔でしょうけど……)
「ああ、届いたか」
段ボールが目についたらしい。
「そう、これ! 一体どういうことですか?」
「来週から着ていくように適当に見繕った。秘書はなにかと服も困るだろう?」
「え? えぇ、でも」
確かに、と密かにうなずく。秘書課に異動するにあたって気になっていた。
もともと制服がないのでクローゼットには総務で着ていた服が並んでいるにはいるが、同じ私服でも秘書課の女性たちはちょっと様子が違う。彼女達は制服のようにスーツやワンピースなどのカチッとしたそれでいて華やかな服に身を包んでいる。
少し買い揃えないといけないかもと、思っていたところだった。
「何もしてあげられないから、せめてこれくらいはな」
(あっ……)
どれどれと、立ち上がった彼は、杏香を鏡の前に立たせると、段ボールから取り出した服をあてる。
「うん、いいな」
杏香の後ろから服をあてて、うんうんと頷いてはまた別の服を取る。
「良かった、どれも似合ってる」
思わず恥ずかしそうにうつむいた杏香だったが、ハッとする。
喜んでいる場合じゃない。
「じゃあな。これからちょっと出かけなくちゃいけないんだ」
驚いて振り向こうとした杏香の頬に、チュッとキスをした颯天は、スタスタと玄関に歩いていく。アッと声を出す間もなかった。
「じゃあな。鍵、かけ忘れるなよ」
あれよと言う間に慌ただしく彼は出ていってしまう。
「う、うそでしょ?」
慌てて扉を開けると、もう数メートル先を歩いている颯天は振り返り、サッと片手を上げる。
仕方なく杏香も手をあげた。
「なによ。断る間もないじゃない……」
部屋に居たのは、正味十分くらいだろうか。満足気な様子ではあったが、彼がどういうつもりなのかわからない。
お茶すら入れる時間もなかった。
そんなに忙しいなら、来なくてもいいだろうにと思いながら、部屋に戻り、鏡を振り返った杏香は、後ろに立っていた颯天のうれしそうな顔を思い浮かべる。
『何もしてあげられないから、せめてこれくらいはな』
「そんな優しさ、いらないのに」
鏡に映る自分の口から出るのは、ため息だけだ。
でも辞めるからね? と脳裏に浮かぶ彼に訴える。
「絶対に辞めるんだから」
するすると肌触りのいいワンピースを手に取って、そう呟いた杏香はキュッと唇を噛んだ。
慌てて鍵を開けると、ずかずかと颯天が部屋の中に入ってきた。
「あっ、ちょ、ちょっとま――」
止める間もない。
「いつまでこんなセキュリティの甘いマンションにいるんだ?」
眉間に皺を寄せ、いきなりの文句だ。
過去に一度だけ、彼は部屋に入ったことがあるが、そのときも『どうしてこんなところにいるんだ』と不機嫌に言った。よほど気に入らないのだろう。
どう言われても、杏香は気に入っているので引っ越す気はないが。
玄関に取り残された杏香は、「もう」と頬を膨らませる。
部屋はワンルームだ。
彼が一度だけ来たときに抱き合ったベッドがそのままある。
なので入ってほしくはないのに、そんな気持ちを知ってか知らずか、彼は当然のようにベッドの上に腰を下ろす。一応ローソファーもあるというのに。
(そりゃ、長い脚が邪魔でしょうけど……)
「ああ、届いたか」
段ボールが目についたらしい。
「そう、これ! 一体どういうことですか?」
「来週から着ていくように適当に見繕った。秘書はなにかと服も困るだろう?」
「え? えぇ、でも」
確かに、と密かにうなずく。秘書課に異動するにあたって気になっていた。
もともと制服がないのでクローゼットには総務で着ていた服が並んでいるにはいるが、同じ私服でも秘書課の女性たちはちょっと様子が違う。彼女達は制服のようにスーツやワンピースなどのカチッとしたそれでいて華やかな服に身を包んでいる。
少し買い揃えないといけないかもと、思っていたところだった。
「何もしてあげられないから、せめてこれくらいはな」
(あっ……)
どれどれと、立ち上がった彼は、杏香を鏡の前に立たせると、段ボールから取り出した服をあてる。
「うん、いいな」
杏香の後ろから服をあてて、うんうんと頷いてはまた別の服を取る。
「良かった、どれも似合ってる」
思わず恥ずかしそうにうつむいた杏香だったが、ハッとする。
喜んでいる場合じゃない。
「じゃあな。これからちょっと出かけなくちゃいけないんだ」
驚いて振り向こうとした杏香の頬に、チュッとキスをした颯天は、スタスタと玄関に歩いていく。アッと声を出す間もなかった。
「じゃあな。鍵、かけ忘れるなよ」
あれよと言う間に慌ただしく彼は出ていってしまう。
「う、うそでしょ?」
慌てて扉を開けると、もう数メートル先を歩いている颯天は振り返り、サッと片手を上げる。
仕方なく杏香も手をあげた。
「なによ。断る間もないじゃない……」
部屋に居たのは、正味十分くらいだろうか。満足気な様子ではあったが、彼がどういうつもりなのかわからない。
お茶すら入れる時間もなかった。
そんなに忙しいなら、来なくてもいいだろうにと思いながら、部屋に戻り、鏡を振り返った杏香は、後ろに立っていた颯天のうれしそうな顔を思い浮かべる。
『何もしてあげられないから、せめてこれくらいはな』
「そんな優しさ、いらないのに」
鏡に映る自分の口から出るのは、ため息だけだ。
でも辞めるからね? と脳裏に浮かぶ彼に訴える。
「絶対に辞めるんだから」
するすると肌触りのいいワンピースを手に取って、そう呟いた杏香はキュッと唇を噛んだ。
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