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◆新しい恋をしましょう
社外恋愛の罠 10
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せっかく見えたはずの明るい未来が、一瞬でどす黒い雲に覆われた気分だ。今振り返ると、彼の背中に大きな黒い悪魔の翼が見えるに違いない。
そもそも、自分だってカップルでいるのに、どうして見るのか。
こういうときはお互いに見て見ぬふりをするのが普通でしょう?と言いたいが、倉庫での事件もある。考えたところで彼の頭の中はさっぱりわからない。杏香はひとまず思考を停止した。
「美味しいです。そちらはどうですか?」
「ええ、美味しいです……」
気にしないようにして、他愛もない世間話をしながらケーキを口に運んでいたが、先に音を上げたのは加島のほうだった。
彼に背中を向けてた杏香と違って、直接彼が見える席の加島は気にせずにはいられないのだろう。
針のむしろにでも座っているように、表情が見るみる強張っていくのが杏香の目にも明らかだった。
「じゃあ、そろそろ」
「ええ――、そうですね」
異論を唱えようもない。居ても立っても居られない気分なのは杏香も同じだ。
せっかくのタルトを味わう余裕もなくて、美味しかったのかどうかもよくわらない。背中が異様に緊張して、とにかくへとへとに疲れた。一刻も早くこの場から離れたい。
うつむきがちに席を立ちレジに向かうと、視界の隅で、何故か颯天がこっちに向かって歩いて来るのが見える。
(ひ、ひぇー)
心で悲鳴を上げた。
なぜ来る?
「杏香、ちょっといいか」
なぜ名前を呼び捨てる?
どうして呼び止めるのよっ!
心の叫び虚しく、加島は「では、僕はこれで」とそそくさと行ってしまう。
「な、なんですか?」
颯天が座っていた席を見ると連れの女性が座っていて、こっちを見ている。
その目はもちろん、それこそ鬼気迫る感じだ。
「彼女がお前との仲を疑うんだ。ちょっと説明してやってくれないか」
「は? なにを言ってるんです?」
意味がわからない。
「お前が怒ると、ますます怪しまれるんだよな」
(私がこの男とは関係ないと宣言しろと? 自分で勝手にガン見していたくせに?)
この男、とことんクズだと愕然とする杏香に向かって、颯天は事も無げに言う。
「あいつ、イチカ食品の社長令嬢で、今うちはイチカ食品と取引できるかどうかの瀬戸際なんだ。お前も誤解されたまま取引中止の原因にされたら困るだろ?」
これはもはや脅迫だ。
もと愛人としてなら知らんこっちゃない、勝手に困りやがれだが、イチカ食品といえば一部上場の大企業である。そことの取引が掛かっていると言われては、社員として無視できない。
山のように言いたいことはあるが、それらをすべて飲みこみ、目を瞑った杏香は大きく息を吸った。
いっそここで一発殴ってやったらどれほどすっきりするだろう? グーで思い切り!
でも、自分にだって意地がある。そう易々と挑発にのり、負け犬になるわけにはいかないと言い聞かせる。
ふぅーっと大きく息を吐き、目を開けた杏香は満面の笑みを浮かべた。
「わかりました。無関係であると、正直に言えばいいんですね?」
「ああ」
この男の椅子の足が一瞬で砂に変わりますように。隕石が脳天を直撃しますように!
心の中でそう唱えつつ、憤懣やるせない思いを抱えながら杏香は彼のあとについて行った。
彼が椅子を引き、促されるまま隣の席に腰を下ろす。
イチカ食品の令嬢は不愉快だという気持ちを隠そうともせず杏香を睨む。
不本意ながら、それも当然だと思う。自分の恋人が他の女に気を取られていたら、それはまあ怒りもするし睨みたくもなるだろう。むしろ同情すら覚えた。
「それで?」と彼女は聞くが、いきなりここでなにをどう言うべきなのか? 迷いつつ颯天を振り返ると、彼はふいに杏香を抱き寄せた。
「もういいぞ、先にマンションに帰ってろ」
そう言って頬にキスをする。
(――は?)
ギョッとして颯天を見ると、彼は、今度は唇にキスをする。
「心配して様子を見に来たんだろ? 大丈夫。いい子だから、先に帰って。おとなしく待っていろ」
颯天はマンションの鍵を、これ見よがしに杏香の手に握らせた。
「今夜はビーフシチューがいいな」
そして三度目のキスをする。
四度目のキスが襲ってくる前に、意味もわからず席を立った。
腰が抜けたかと思ったがちゃんと立つことが出来た。
零れ落ちるんじゃないかというほど目を見開いて驚愕しているイチカ食品の令嬢にペコリと頭をさげて、杏香は逃げるように店から出た。
そもそも、自分だってカップルでいるのに、どうして見るのか。
こういうときはお互いに見て見ぬふりをするのが普通でしょう?と言いたいが、倉庫での事件もある。考えたところで彼の頭の中はさっぱりわからない。杏香はひとまず思考を停止した。
「美味しいです。そちらはどうですか?」
「ええ、美味しいです……」
気にしないようにして、他愛もない世間話をしながらケーキを口に運んでいたが、先に音を上げたのは加島のほうだった。
彼に背中を向けてた杏香と違って、直接彼が見える席の加島は気にせずにはいられないのだろう。
針のむしろにでも座っているように、表情が見るみる強張っていくのが杏香の目にも明らかだった。
「じゃあ、そろそろ」
「ええ――、そうですね」
異論を唱えようもない。居ても立っても居られない気分なのは杏香も同じだ。
せっかくのタルトを味わう余裕もなくて、美味しかったのかどうかもよくわらない。背中が異様に緊張して、とにかくへとへとに疲れた。一刻も早くこの場から離れたい。
うつむきがちに席を立ちレジに向かうと、視界の隅で、何故か颯天がこっちに向かって歩いて来るのが見える。
(ひ、ひぇー)
心で悲鳴を上げた。
なぜ来る?
「杏香、ちょっといいか」
なぜ名前を呼び捨てる?
どうして呼び止めるのよっ!
心の叫び虚しく、加島は「では、僕はこれで」とそそくさと行ってしまう。
「な、なんですか?」
颯天が座っていた席を見ると連れの女性が座っていて、こっちを見ている。
その目はもちろん、それこそ鬼気迫る感じだ。
「彼女がお前との仲を疑うんだ。ちょっと説明してやってくれないか」
「は? なにを言ってるんです?」
意味がわからない。
「お前が怒ると、ますます怪しまれるんだよな」
(私がこの男とは関係ないと宣言しろと? 自分で勝手にガン見していたくせに?)
この男、とことんクズだと愕然とする杏香に向かって、颯天は事も無げに言う。
「あいつ、イチカ食品の社長令嬢で、今うちはイチカ食品と取引できるかどうかの瀬戸際なんだ。お前も誤解されたまま取引中止の原因にされたら困るだろ?」
これはもはや脅迫だ。
もと愛人としてなら知らんこっちゃない、勝手に困りやがれだが、イチカ食品といえば一部上場の大企業である。そことの取引が掛かっていると言われては、社員として無視できない。
山のように言いたいことはあるが、それらをすべて飲みこみ、目を瞑った杏香は大きく息を吸った。
いっそここで一発殴ってやったらどれほどすっきりするだろう? グーで思い切り!
でも、自分にだって意地がある。そう易々と挑発にのり、負け犬になるわけにはいかないと言い聞かせる。
ふぅーっと大きく息を吐き、目を開けた杏香は満面の笑みを浮かべた。
「わかりました。無関係であると、正直に言えばいいんですね?」
「ああ」
この男の椅子の足が一瞬で砂に変わりますように。隕石が脳天を直撃しますように!
心の中でそう唱えつつ、憤懣やるせない思いを抱えながら杏香は彼のあとについて行った。
彼が椅子を引き、促されるまま隣の席に腰を下ろす。
イチカ食品の令嬢は不愉快だという気持ちを隠そうともせず杏香を睨む。
不本意ながら、それも当然だと思う。自分の恋人が他の女に気を取られていたら、それはまあ怒りもするし睨みたくもなるだろう。むしろ同情すら覚えた。
「それで?」と彼女は聞くが、いきなりここでなにをどう言うべきなのか? 迷いつつ颯天を振り返ると、彼はふいに杏香を抱き寄せた。
「もういいぞ、先にマンションに帰ってろ」
そう言って頬にキスをする。
(――は?)
ギョッとして颯天を見ると、彼は、今度は唇にキスをする。
「心配して様子を見に来たんだろ? 大丈夫。いい子だから、先に帰って。おとなしく待っていろ」
颯天はマンションの鍵を、これ見よがしに杏香の手に握らせた。
「今夜はビーフシチューがいいな」
そして三度目のキスをする。
四度目のキスが襲ってくる前に、意味もわからず席を立った。
腰が抜けたかと思ったがちゃんと立つことが出来た。
零れ落ちるんじゃないかというほど目を見開いて驚愕しているイチカ食品の令嬢にペコリと頭をさげて、杏香は逃げるように店から出た。
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