高司専務の憂鬱 (完)

白亜凛

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◆新しい恋をしましょう

社内恋愛の掟 3

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 課長に頼まれた資料を持って、経理部を後にした杏香は、廊下に出たところで軽くため息をついた。

「秘書課かぁ……」

 向かう先が秘書課だと、どうしてもまだ緊張してしまう。滅多に颯天を見かけないが、同じフロアに彼がいる専務室もあるので、どうしても会う確率が高くなるからイヤなのだ。

 髪を切ってからは、まだ顔を合わせていない。

 会いたくないと思う反面、早くこの姿を見せたい気もした。
 彼の目を見て心の中で言ってやるのだ。『髪と一緒に想い出も切り捨てて、綺麗さっぱりあなたを卒業したんですよー』、と。

(そうよ、絶対に言ってやる!)

 決意も新たに胸を張り、ツンと上を向いて自信たっぷりにエレベーターの到着を待っていると、チンと軽い音をたてて扉が開く。
 と同時に、一瞬心臓が止まった。

 中にいたのは、なんと彼、高司専務ただひとり――。

 濃紺のスーツを着て立っている。
 白シャツにグレーのネクタイ。整髪剤で整えた髪はスッキリと横に流れ凛々しい目もとがよく見える。恐ろしいほどカッコいい。左手はポケットに入れ、右手は……。

(あっ!)

 時間にすれば数秒だろうが、彼が【開】のボタンを押してくれていると気づくまで、杏香は颯天を見つめたまま人形のように固まっていた。

「す、すみません……」

 慌てて中に入るが、緊張で既に喉はカラカラだ。

「階数は?」

「あ、お、同じで。ひ、秘書課に」

 今の今まで自信たっぷりだったはずが、自分でも呆れるほど吃ってしまい泣きたくなる。

 目の前には彼の背中。
 どんなに後ろに下がってもたいして距離は取れない。

 圧倒的存在感に目眩がしそうになるが、到着までほんの数分だ。がんばれ、がんばれと言い聞かせて大きく息を吸い、きつく瞼を閉じ胸にあてた書類を強く握る。

「髪」

「えっ?」

 声にビックリして目を開け、背筋が伸びる。

 颯天がゆっくりと振り返った。

「切ったんだな」

「あ、は、はい。へ、変ですよね……」

「いや」

「え?」

(――あ、あれ?)

 なんか優しい顔してる?

 定番になっている怒ったような目もとがいつになく柔らかいし、ほんの数ミリ口角が上がっているように見えた。

 うっかり、見つめ合ったのもほんの一瞬。チンと音を立てて扉が開き、人が乗ってきた。

 慌てたように視線を外すと同時に、エレベーターの中が別の緊張感で溢れる。皆の視線は専務である彼を捉え、と同時に引き締まった表情で会釈をしてからエレベーターに乗ってくる。

 ふたり間に男性社員が立ったので、一気に肩の力が抜けた。


(変ですよね?って言ったら、『いや』って言いましたよね? 優しい顔で。
 それって似合っているって褒めてくれたのですか? いやいや、まさか。おせじよ、おせじ)

 彼は長い髪が好きなんだ思い込んでいたが、実はそうでもないのだろうかと考えつつ、杏香は指で毛先を触ってみたりした。

 何度目かのチンという音の後、目的の階にエレベーターが到着し、扉が開くと同時に、彼を待ち構えたように秘書が出迎えた。

「専務、たった今電話がありまして」

 秘書を従えて先を歩く颯天の背中を懐かしいような気持ちで見つめながら、ふと思った。


 もしかして元気がない?
 心無しが影が薄く感じるのは気のせいなのか?


 かわいそうに、きっと仕事で疲れているに違いない。

 でももう、肩もみもマッサージもしてあげられないですよと、背中に言ってみる。

 優しげな表情にも覇気のない背中にも、なんだか調子狂っちゃうなぁと思いながら秘書課での用事を済ませてエレベーターに向かうと、今度はエレベーターから出てきた坂元と鉢合わせた。

 でも、エレベーターを待っていたのは杏香だけではないし、降りてきたのも坂元だけではない。
 挨拶だけでも交わしたかったが、総務部のいち社員にすぎない杏香が親しげに声をかけては不自然になってしまう。仕方がないのでほかの社員同様軽く会釈をしただけで、エレベーターに乗り込もうとした。

 すると、そのとき坂元が杏香を振り向いた。

「あ、すみません。総務の方ですよね? ちょっとお願いしたいのですが」

「はい?」
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