4 / 95
◆バイバイ素敵なあなた
悪いのは私 3
しおりを挟む
『すみません』と、客の失態を、申し訳なさそうに謝ったのはマスターだった。
『量はそれほどでもないのですが、一気に飲まれてしまったようで』
高司颯天は呆れながら、『いいえ、こちらこそ。うちの社員がすみません』と謝り返した。
聞けばこの近くで打ち合わせをしていて、ひと息つきに寄ったのだという。
目の端で杏香を一瞥する目は至極冷静で、毅然とした立ち居振る舞いもなにもかもが杏香の癇に障った。
鼻筋が通り目もとは涼やか。ハッとするようなイケメンで仕事はできてと非の打ち所がない。
彼は失恋なんてしないだろう。失恋どころか恋すらしなそうだ。この胸のつらさも切なさも無縁に違いなく、溢れる強さが憎たらかった。
『ご立派ですねー専務はー。専務は恋人とかいるんですかー』
彼はまったく関係ないのに、とんでもない酔っ払いである。
『さあな』
その後も絡んでは軽くあしらわれること小一時間。
『ちゃんと歩けるうちに帰れよ』
そう言い残して、颯天は席を立った。
彼女の分も一緒にと、会計を済ませる様子をぼんやりと見つめるうち、無性に悔しくなって、後を追い店を出た。
『ちょっと待ってくださいよ、専務!』
あきらかにうんざり顔で振り返った彼を、杏香はキリキリと睨みつけた。
『ごちそうさまですぅ。ありがとうございますぅ』
口を尖らせ礼を言う態度ではなかったが、彼は酔っ払い相手に怒る気にもなれなかったのだろう。
『タクシー呼ぶか』
呆れ顔でそう言っただけだった。
『すぐそこだから大丈夫ですよぉ。専務はどーするんですか』
『ホテルに戻るんだよ』
『ホテル? どーしてホテルに行くんですかぁ?』
『今日はそこに泊まるんだ』
同じ会社の人間だというだけで、責任を感じたのかもしれない。
『お前はとにかくおとなしく帰れ』
言いながら、ほったらかしにしていいものか、タクシーを捕まえて押し込めるかと迷っているようだった。
『じゃあ私も行く! 専務の部屋でまだ飲む! じゃないと会社辞めてやる!』
ため息をつく彼に絡みつき、ペシペシと叩いたりしているうち、あきらめたのだろう。
『わかった、わかった。ただし、後悔するなよ。どうなっても俺は知らないぞ』
『そんなのわかってます!』
もう、どうでもよかった。
めちゃくちゃな夜を過ごして、すべてを忘れてしまいたかった。
ほかの誰かと幸せになっていく課長を見届ける勇気は持てそうにない。
だからといって、せっかく入った会社を辞める自信もない。いっそ高司専務の逆鱗に触れて、明日なんてなくなればいいと思った。
彼が泊まる部屋はラグジュアリーなホテルの豪華スイートルームだった。
こんな部屋にひとりで泊まるなんてありえないと騒いだが、彼はいつもこの部屋に泊まっているという。
『寝室はいくつかあるから、適当に使っていいぞ』
どうなっても知らないぞ、などと脅した割には相変わらず杏香には目もくれず、彼はさっさとシャワーを浴びて、バスローブを羽織りタブレットを見ていた。
仕事の続きでもしていたのだろう。
自らもシャワーを浴びた杏香は、バスルームから出てくるなり、彼の手からタブレットを取り上げて、テーブルの上に置いた。
そして、バスローブがはだけるのも気に留めず、颯天の膝の上にまたがったのだ。
下着をつけていない剥き出しの胸。誰にも見せたことのない谷間に目を落とす彼に、妖艶な笑みを向け、両手を彼の首の後ろに回した。
『ねえ専務。セックスしましょ』
自分から唇を押しつけたのはほんの一瞬だけ。次の瞬間には抱き寄せられ、貪るように唇を重ねた。
予想通り彼は経験豊富だったらしく、杏香は初めてだったのにそれほど痛みは感じなかった。もちろん最初に貫かれたときは一瞬激痛が走ったけれど、快感の方が上をいくというくらい彼は丁寧に優しく抱いてくれたのだ。
行きずりの恋というよりも行きずりのセックスというふうに、まるで発情期の動物のように絡み合いながら、これは専務の優しさだと杏香は思った。
右を向けば輝く夜景が見えて、相手はパーフェクトな男性。慰められるには最高のシチュエーションの中でロストバージンというあの夜を、杏香はなにひとつ後悔はしていない。
初めてだと知った彼は頭を抱えたが、それでも杏香の望みを聞いてくれたことを感謝している。
失恋という心の傷が消えたわけではなかったけれど、彼に抱かれたおかげで、課長は〝過去に〟好きだった人になった。
あの夜の彼はとても優しかったから……。
そう。鬼神とは高司専務のこと。
あれから一年とちょっと。気がつけば、中途半端な関係をだらだらと続けてしまっている。
けれど、それも今日でおしまいだ。
(今夜私は、彼との関係に終止符を打つ)
『量はそれほどでもないのですが、一気に飲まれてしまったようで』
高司颯天は呆れながら、『いいえ、こちらこそ。うちの社員がすみません』と謝り返した。
聞けばこの近くで打ち合わせをしていて、ひと息つきに寄ったのだという。
目の端で杏香を一瞥する目は至極冷静で、毅然とした立ち居振る舞いもなにもかもが杏香の癇に障った。
鼻筋が通り目もとは涼やか。ハッとするようなイケメンで仕事はできてと非の打ち所がない。
彼は失恋なんてしないだろう。失恋どころか恋すらしなそうだ。この胸のつらさも切なさも無縁に違いなく、溢れる強さが憎たらかった。
『ご立派ですねー専務はー。専務は恋人とかいるんですかー』
彼はまったく関係ないのに、とんでもない酔っ払いである。
『さあな』
その後も絡んでは軽くあしらわれること小一時間。
『ちゃんと歩けるうちに帰れよ』
そう言い残して、颯天は席を立った。
彼女の分も一緒にと、会計を済ませる様子をぼんやりと見つめるうち、無性に悔しくなって、後を追い店を出た。
『ちょっと待ってくださいよ、専務!』
あきらかにうんざり顔で振り返った彼を、杏香はキリキリと睨みつけた。
『ごちそうさまですぅ。ありがとうございますぅ』
口を尖らせ礼を言う態度ではなかったが、彼は酔っ払い相手に怒る気にもなれなかったのだろう。
『タクシー呼ぶか』
呆れ顔でそう言っただけだった。
『すぐそこだから大丈夫ですよぉ。専務はどーするんですか』
『ホテルに戻るんだよ』
『ホテル? どーしてホテルに行くんですかぁ?』
『今日はそこに泊まるんだ』
同じ会社の人間だというだけで、責任を感じたのかもしれない。
『お前はとにかくおとなしく帰れ』
言いながら、ほったらかしにしていいものか、タクシーを捕まえて押し込めるかと迷っているようだった。
『じゃあ私も行く! 専務の部屋でまだ飲む! じゃないと会社辞めてやる!』
ため息をつく彼に絡みつき、ペシペシと叩いたりしているうち、あきらめたのだろう。
『わかった、わかった。ただし、後悔するなよ。どうなっても俺は知らないぞ』
『そんなのわかってます!』
もう、どうでもよかった。
めちゃくちゃな夜を過ごして、すべてを忘れてしまいたかった。
ほかの誰かと幸せになっていく課長を見届ける勇気は持てそうにない。
だからといって、せっかく入った会社を辞める自信もない。いっそ高司専務の逆鱗に触れて、明日なんてなくなればいいと思った。
彼が泊まる部屋はラグジュアリーなホテルの豪華スイートルームだった。
こんな部屋にひとりで泊まるなんてありえないと騒いだが、彼はいつもこの部屋に泊まっているという。
『寝室はいくつかあるから、適当に使っていいぞ』
どうなっても知らないぞ、などと脅した割には相変わらず杏香には目もくれず、彼はさっさとシャワーを浴びて、バスローブを羽織りタブレットを見ていた。
仕事の続きでもしていたのだろう。
自らもシャワーを浴びた杏香は、バスルームから出てくるなり、彼の手からタブレットを取り上げて、テーブルの上に置いた。
そして、バスローブがはだけるのも気に留めず、颯天の膝の上にまたがったのだ。
下着をつけていない剥き出しの胸。誰にも見せたことのない谷間に目を落とす彼に、妖艶な笑みを向け、両手を彼の首の後ろに回した。
『ねえ専務。セックスしましょ』
自分から唇を押しつけたのはほんの一瞬だけ。次の瞬間には抱き寄せられ、貪るように唇を重ねた。
予想通り彼は経験豊富だったらしく、杏香は初めてだったのにそれほど痛みは感じなかった。もちろん最初に貫かれたときは一瞬激痛が走ったけれど、快感の方が上をいくというくらい彼は丁寧に優しく抱いてくれたのだ。
行きずりの恋というよりも行きずりのセックスというふうに、まるで発情期の動物のように絡み合いながら、これは専務の優しさだと杏香は思った。
右を向けば輝く夜景が見えて、相手はパーフェクトな男性。慰められるには最高のシチュエーションの中でロストバージンというあの夜を、杏香はなにひとつ後悔はしていない。
初めてだと知った彼は頭を抱えたが、それでも杏香の望みを聞いてくれたことを感謝している。
失恋という心の傷が消えたわけではなかったけれど、彼に抱かれたおかげで、課長は〝過去に〟好きだった人になった。
あの夜の彼はとても優しかったから……。
そう。鬼神とは高司専務のこと。
あれから一年とちょっと。気がつけば、中途半端な関係をだらだらと続けてしまっている。
けれど、それも今日でおしまいだ。
(今夜私は、彼との関係に終止符を打つ)
59
お気に入りに追加
621
あなたにおすすめの小説
隠れ御曹司の手加減なしの独占溺愛
冬野まゆ
恋愛
老舗ホテルのブライダル部門で、チーフとして働く二十七歳の香奈恵。ある日、仕事でピンチに陥った彼女は、一日だけ恋人のフリをするという条件で、有能な年上の部下・雅之に助けてもらう。ところが約束の日、香奈恵の前に現れたのは普段の冴えない彼とは似ても似つかない、甘く色気のある極上イケメン! 突如本性を露わにした彼は、なんと自分の両親の前で香奈恵にプロポーズした挙句、あれよあれよと結婚前提の恋人になってしまい――!? 「誰よりも大事にするから、俺と結婚してくれ」恋に不慣れな不器用OLと身分を隠したハイスペック御曹司の、問答無用な下克上ラブ!
契約妻ですが極甘御曹司の執愛に溺れそうです
冬野まゆ
恋愛
経営難に陥った実家の酒造を救うため、最悪の縁談を受けてしまったOLの千春。そんな彼女を助けてくれたのは、密かに思いを寄せていた大企業の御曹司・涼弥だった。結婚に関する面倒事を避けたい彼から、援助と引き換えの契約結婚を提案された千春は、藁にも縋る思いでそれを了承する。しかし旧知の仲とはいえ、本来なら結ばれるはずのない雲の上の人。たとえ愛されなくても彼の良き妻になろうと決意する千春だったが……「可愛い千春。もっと俺のことだけ考えて」いざ始まった新婚生活は至れり尽くせりの溺愛の日々で!? 拗らせ両片思い夫婦の、じれじれすれ違いラブ!
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。
何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
財閥御曹司は左遷された彼女を秘めた愛で取り戻す
花里 美佐
恋愛
榊原財閥に勤める香月菜々は日傘専務の秘書をしていた。
専務は御曹司の元上司。
その専務が社内政争に巻き込まれ退任。
菜々は同じ秘書の彼氏にもフラれてしまう。
居場所がなくなった彼女は退職を希望したが
支社への転勤(左遷)を命じられてしまう。
ところが、ようやく落ち着いた彼女の元に
海外にいたはずの御曹司が現れて?!
じれったい夜の残像
ペコかな
恋愛
キャリアウーマンの美咲は、日々の忙しさに追われながらも、
ふとした瞬間に孤独を感じることが増えていた。
そんな彼女の前に、昔の恋人であり今は経営者として成功している涼介が突然現れる。
再会した涼介は、冷たく離れていったかつての面影とは違い、成熟しながらも情熱的な姿勢で美咲に接する。
再燃する恋心と、互いに抱える過去の傷が交錯する中で、
美咲は「じれったい」感情に翻弄される。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる