上 下
28 / 56
≪ 弘徽殿 ≫

しおりを挟む
「ああ長官、ちょうどいいところに」と頭中将に声を掛けられた篁は、いかにも怪しげに干し栗をじっと見た。

「それは?」

「干し栗を差し上げようとしたのですが、なにやら疑われているようで。長官おひとつどうですか? 私が食べるよりあなたが食べれば姫も安心できるでしょう」

 篁の眉間の皺が深くなり、喉仏がゆっくりと上下する。

 そしてゆっくりと手をあげて器の中に……。

(――あっ)

 翠子は慌てて篁より先に栗を摘まんだ。

 一瞬の感覚に安堵して、そのまま口に入れもぐもぐと食べる。

「うん、おいしいです」

「あ……。ひ、姫っ」

 あんぐりと口を開けた篁は翠子と干し栗を交互に見つめて頭を抱えるが、翠子はホッとしていた。毒は入っていないが入っていたとしても篁は食べてしまっただろう。

 でも翠子には自信があった。毒はない。

 たとえ一粒だろうと毒があれば伝わってくる。だが栗を摘まんだとき、感じたのは穏やかな温もりだけだった。

 ごくりと飲み込んで頭を下げる。

「せっかくなので頂きますね。ありがとうございます」

 対して目を丸くした頭中将は、はっとしたように破顔した。

「あ、はい。どうぞどうぞ」

 差し出された竹の器を受け取り、翠子はすたすたと歩き始めた。

 真新しい竹を切っただけの器も何も感じない。弟の頭中将が姉の女御に好意で持ってきた手土産なのだろう。

「では、また」と頭中将が声を掛けてきたが気にせず振り返らなかった。

 毒はなくても、彼が信用できないのは変わらない。

「姫さま!」

 慌てて後を追ってきた篁が、翠子を覗き込む。

「大丈夫なのですか? 栗にもし……」

 毒とは言いづらいのだろう。もごもごと口ごもる篁に翠子は弓なりに細めた目を向ける。

「大丈夫ですよ。触った瞬間、なにもなかったので食べました」

「いけません。何も感じずに人を殺める人間だっているのですから」

 はじめて見る篁の真剣な瞳に、翠子は足をとめた。

 えっ?

「そういえば、そうですね」

 考えてもなかったが、あるいは――。

「こら! なに脅かしているのよ!」

 朱依が、バシバシと篁を叩く。

「あ、いや、そういうわけじゃ」

「朱依、いいのよ。心配してくれたんだもの。ありがとうございます」

「大体あなたは遅いのよ! とにかく、ひどいんだからあの人たち」

 再び歩き出した翠子の後ろで、朱依が弘徽殿で起きた一部始終を篁に報告しはじめた。

「まるで姫さまが弘徽殿の女御が犯人だって言いふらしているみたいな言い方で! 扇で姫さまを叩いたのよっ」

「なんだって!」

(あの扇……)

 殴りかかってきた女房の扇の絵。紅葉の絵の中に蝶がいた。

 色づく紅葉と蝶。あまり見かけない組み合わせだと思うけれど、どうだろう。流行はわからないので後で朱依に聞いてみようと思う。

 蝶の絵が、なんとなく気になるなと思いながら、翠子は竹の器から干し栗をひとつ摘まみ出す。

 ぱくりと頬張ると、ねっとりとした甘さが口いっぱいに広がってくる。

 干し栗に罪はない。ただ甘くておいしいだけだ。

 もしこの栗に毒が入っていたら……。

『何も感じずに人を殺める人間だっているのですから』

 篁が言う通りかもしれないなと思う。

 鬼のような氷の心を持った人間だっているだろう。もしそうだとして毒を食らって倒れたとしても。それはそれでいい。むしろ感じ取れなかった事実に、私はほっとする。

 でも――。

『姫と煌仁はよく似ている。忘れるなよ? 自分を大切にできなければ人を幸せにはできぬ』

 ふいに唯泉に言われた言葉が脳裏をよぎった。

 篁の目は本気だった。朱依と同じくらいの熱量で心配してくれている。

 もし目の前で倒れてしまったら、朱依も篁も自身を責めて悲しむだろう。邸で待つ皆も、もしかしたら煌仁も悲しんでくれるかもしれない。

 それでは申し訳ないと思った。 

 じんわりと温かくなる胸がなにかを教えようとしている。

 自分の命だけれど、自分ひとりの命じゃないのかもしれないと。翠子ははじめてそんなことを考えた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。

猫菜こん
児童書・童話
 私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。  だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。 「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」  優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。  ……これは一体どういう状況なんですか!?  静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん  できるだけ目立たないように過ごしたい  湖宮結衣(こみやゆい)  ×  文武両道な学園の王子様  実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?  氷堂秦斗(ひょうどうかなと)  最初は【仮】のはずだった。 「結衣さん……って呼んでもいい?  だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」 「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」 「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、  今もどうしようもないくらい好きなんだ。」  ……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。

紫の桜

れぐまき
恋愛
紫の源氏物語の世界に紫の上として転移した大学講師の前世はやっぱり紫の上…? 前世に戻ってきた彼女はいったいどんな道を歩むのか 物語と前世に悩みながらも今世こそは幸せになろうともがく女性の物語 注)昔個人サイトに掲載していました 番外編も別に投稿してるので良ければそちらもどうぞ

我が家の家庭内順位は姫、犬、おっさんの順の様だがおかしい俺は家主だぞそんなの絶対に認めないからそんな目で俺を見るな

ミドリ
キャラ文芸
【奨励賞受賞作品です】 少し昔の下北沢を舞台に繰り広げられるおっさんが妖の闘争に巻き込まれる現代ファンタジー。 次々と増える居候におっさんの財布はいつまで耐えられるのか。 姫様に喋る犬、白蛇にイケメンまで来てしまって部屋はもうぎゅうぎゅう。 笑いあり涙ありのほのぼの時折ドキドキ溺愛ストーリー。ただのおっさん、三種の神器を手にバトルだって体に鞭打って頑張ります。 なろう・ノベプラ・カクヨムにて掲載中

料理男子、恋をする

遠野まさみ
キャラ文芸
料理をするがゆえに、恋人たちに疎まれてきた佳亮。 ある日、佳亮が出会ったのは、美人で男前で食に頓着しない薫子だった。 薫子は料理を通じて佳亮の大切な人になっていく・・・。 今日の晩御飯の献立に困ったらどうぞご活用ください!(笑)

マンドラゴラの王様

ミドリ
キャラ文芸
覇気のない若者、秋野美空(23)は、人付き合いが苦手。 再婚した母が出ていった実家(ど田舎)でひとり暮らしをしていた。 そんなある日、裏山を散策中に見慣れぬ植物を踏んづけてしまい、葉をめくるとそこにあったのは人間の頭。驚いた美空だったが、どうやらそれが人間ではなく根っこで出来た植物だと気付き、観察日記をつけることに。 日々成長していく植物は、やがてエキゾチックな若い男性に育っていく。無垢な子供の様な彼を庇護しようと、日々奮闘する美空。 とうとう地面から解放された彼と共に暮らし始めた美空に、事件が次々と襲いかかる。 何故彼はこの場所に生えてきたのか。 何故美空はこの場所から離れたくないのか。 この地に古くから伝わる伝承と、海外から尋ねてきた怪しげな祈祷師ウドさんと関わることで、次第に全ての謎が解き明かされていく。 完結済作品です。 気弱だった美空が段々と成長していく姿を是非応援していただければと思います。

龍神のつがい~京都嵐山 現世の恋奇譚~

河野美姫
キャラ文芸
天涯孤独の凜花は、職場でのいじめに悩みながらも耐え抜いていた。 しかし、ある日、大切にしていた両親との写真をボロボロにされてしまい、なにもかもが嫌になって逃げ出すように京都の嵐山に行く。 そこで聖と名乗る男性に出会う。彼は、すべての龍を統べる龍神で、凜花のことを「俺のつがいだ」と告げる。 凜花は聖が住む天界に行くことになり、龍にとって唯一無二の存在とされる〝つがい〟になることを求められるが――? 「誰かに必要とされたい……」 天涯孤独の少女 倉本凜花(20)     × 龍王院聖(年齢不詳) すべての龍を統べる者 「ようやく会えた、俺の唯一無二のつがい」 「俺と永遠の契りを交わそう」 あなたが私を求めてくれるのは、 亡くなった恋人の魂の生まれ変わりだから――? *アルファポリス* 2022/12/28~2023/1/28 ※こちらの作品はノベマ!(完結済)・エブリスタでも公開中です。

約束のあやかし堂 ~夏時雨の誓い~

陰東 愛香音
キャラ文芸
 高知県吾川郡仁淀川町。  四万十川に続く清流として有名な仁淀川が流れるこの地には、およそ400年の歴史を持つ“寄相神社”と呼ばれる社がある。  山間にひっそりと佇むこの社は仁淀川町を静かに見守る社だった。  その寄相神社には一匹の猫が長い間棲み付いている。  誰の目にも止まらないその猫の名は――狸奴《りと》。  夜になると、狸奴は人の姿に変わり、寄相神社の境内に立ち神楽鈴を手に舞を踊る。  ある人との約束を守る為に、人々の安寧を願い神楽を舞う。  ある日、その寄相神社に一人の女子大生が訪れた。  彼女はこの地域には何の縁もゆかりもない女子大生――藤岡加奈子。  神社仏閣巡りが趣味で、夏休みを利用して四国八十八か所巡りを済ませて来たばかりの加奈子は一人、地元の人間しか知らないような神社を巡る旅をしようと、ここへとたどり着く。 ************** ※この物語には実際の地名など使用していますが、完全なフィクションであり実在の人物や団体などとは関係ありません。

推理小説家の今日の献立

東 万里央(あずま まりお)
キャラ文芸
永夢(えむ 24)は子どもっぽいことがコンプレックスの、出版社青雲館の小説編集者二年目。ある日大学時代から三年付き合った恋人・悠人に自然消滅を狙った形で振られてしまう。 その後悠人に新たな恋人ができたと知り、傷付いてバーで慣れない酒を飲んでいたのだが、途中質の悪い男にナンパされ絡まれた。危ういところを助けてくれたのは、なんと偶然同じバーで飲んでいた、担当の小説家・湊(みなと 34)。湊は嘔吐し、足取りの覚束ない永夢を連れ帰り、世話してくれた上にベッドに寝かせてくれた。 翌朝、永夢はいい香りで目が覚める。昨夜のことを思い出し、とんでもないことをしたと青ざめるのだが、香りに誘われそろそろとキッチンに向かう。そこでは湊が手作りの豚汁を温め、炊きたてのご飯をよそっていて? 「ちょうどよかった。朝食です。一度誰かに味見してもらいたかったんです」 ある理由から「普通に美味しいご飯」を作って食べたいイケメン小説家と、私生活ポンコツ女性編集者のほのぼのおうちご飯日記&時々恋愛。 .。*゚+.*.。 献立表 ゚+..。*゚+ 第一話『豚汁』 第二話『小鮎の天ぷらと二種のかき揚げ』 第三話『みんな大好きなお弁当』 第四話『餡かけチャーハンと焼き餃子』 第五話『コンソメ仕立てのロールキャベツ』

処理中です...