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≪ 麗景殿 ≫

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『殿下、若い女子というのはころころと気分が変わるのです。ついさっき笑っていたはずが今は泣いている。昨日は好きだったはずが今日は嫌い』

『ずいぶん落ち着かぬな』

『辛抱強くその不安定な心を受け止めてあげてくださいませ』

 尚侍がそう教えてくれた。

(辛抱強く、か……)

 煌仁にとって、女は油断ならない存在である。

 父が帝になり東宮になってからというもの、幼少期より妃を迎えるよう多方面から詰め寄られてきた。臣下に下っていったんは落ち着いたが、東宮に戻った途端まただ。

 己が娘を後宮へ送り出し、外戚の座を虎視眈々と狙っている。皇室を、権力を掴むための道具のようにしか思っていない公卿たち。

 右を取れば左も取らねば均衡は崩れる。政治的な思惑を無視して愛情を優先すればどうなるか。後宮の歴史をみれば明らかだ。

 煌仁の父、帝は母が亡くなったあと、公卿たちに抵抗し、東宮を弟君に立てて、しばらく新しい妃を置かなかった。弟君が病で亡くなり、結局は置かざるをえず弘徽殿と麗景殿の妃を迎えた。公卿たちの協力なしに、宮中は立ち行かないからだ。

 苦悩続きの帝を助けるために源の姓を捨て、煌仁はまた東宮となり宮中へ来た。

 元服の夜も添臥に選ばれた姫を近づけていない。彼らの思うようにはさせないと一切無視してきた。

 すると、あろうことか彼らは娘を使って実力行使に出てきたのである。

 名もない女官として後宮に入り込み、上流女官を或いは脅し或いは買収し、様々な手を使って近づいてきた。

 湯殿係と称して裸体で迫り、寝所に忍び込み、夜中に目を覚ませば見知らぬ女が白い肌を晒して腹の上に跨り腰を振っていたこともある。

 恥も外聞もなく必死に『どうかお情けを』『子種をくださいませ、でないと私は家を追い出されてしまうのです』と泣いてすがる女もいた。

 入れ代わり立ち代わりである。

 そんな女ばかりを見てきたせいか、ほんの欠片の優しさも彼女たちに与えるつもりはなかった。――だが。

 目の前で今にも泣きだしそうなこの姫は別だと思う。

 彼女は自分から近づいてきたわけではなく、煌仁が強引な手段で連れてきたのである。ゆえに責任もある。

 まだ力を借りる機会もあるだろう。あと少し、少なくとも彼奴等の尻尾を掴むまでは――。

 とはいえ傷つけたくはない。できるなら笑って過ごしてほしいと思う。

 そのためなら何でもしてあげたいが、さて、どうしたものか。



「大変な思いをさせて、すまぬな」

 なるべく優しくと心掛けて、煌仁は翠子に声を掛けた。

「だがまだ解決はしておらぬ。もう少しだけ辛抱してほしい」

 やはり帰してほしいと泣かれたら術はないと思ったが、彼女は泣きはしなかった。うつむいたままではあるが。

 朱依は抗議をしてくるでもなく、ただ心配そうに翠子を見つめている。

「姫よ、何かあったのではないか?」

 念のために聞いてみたが、翠子は左右に首を振るばかりだ。

 煌仁は毎朝、翠子の世話を任せている女官から報告を聞いている。つい今しがた翠子に会う前にも聞いた。

『もしかすると夜のうちに何かあったのかもしれません』

 寝るまでは元気だったのに、今朝から一転して元気がないのだと。

(何かあったのか、なかったのか。鎌をかけてみるか)

「犯人はこの後宮にいるのは間違いない。そなたに嫌がらせや脅迫をしてくるかもしれぬ。今後は夜の警備もするゆえ、安心するといい」

 すると、わずかに翠子の睫毛が揺れた。

 やはり何かあったのだ。

「ここは人の形をした物の怪の集合体なのだ」

 煌仁はひとりごとのように「私を含めてな」と、つぶやく。

 自分だけが正常だとは思っていない。

 もとより母の死の代わりに生を受けた忌まわしい身だ。東宮でありながら片意地を張り、妃を迎えることもできず、どこか壊れている。

「そなたのように美しい心の持ち主には辛い場所だろう」

 すまぬな――と心で続ける。

 ふと瞼を上げた翠子はジッと見返してくる。

 まっすぐな瞳の奥で何を思うのか、言葉少ない彼女が何を考えているのかはわからない。

「そうだ、唯泉、笛をもて」

 ふと琵琶を持ってきていたと思い出した。
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