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≪ 祓い姫 ≫
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「昨夜とは随分態度が違いますね」
朱依が言う通り、昨夜の彼は横柄だった。なんの説明もなく強引で無表情。終始口数も少なく、宮中に来てからもほとんど会話を交わしていない。
それと比べると今日の彼はずいぶんと柔らかい。顔つきさえも穏やかで優しげだったと思う。
「あの人、姫さまに」
最後まで言わず、朱依はふふふと笑う。
「え?」
「いえいえ。姫さま、本当によくお似合いですよ」
「そんなはずはないわ。私はもっと――」
こんなに明るく美しい衣じゃなく、地味なほうがふさわしい。
「普段から言ってるじゃありませんか、そのように朗らかでかわいらしい色が姫さまにはお似合いなんですから」
立ち上がった朱依は、鏡筥から鏡を取り出してきて、翠子に向ける。
「ご覧なさいな姫さま、とーっても素敵ですよ」
「やめて」
鏡に映るのは紅く頬を染めている自分に違いなく、恥ずかしさに翠子は逃げ惑う。
いたずらっ子のように笑う朱依は、鏡をしまって戻ってくると声高らかに宣言した。
「十二単については私もまったくわかりませんし、わがままはいけませんよ姫さま」
衣には地位によって使っていい色が決まっているし、季節や年齢によっても相応の合わせ方がある。慣れている女官でもない限り迂闊に手を出せない。
とはいえ翠子は気恥ずかしさに戸惑いを隠せなかった。
「でも、もう少し枯れた色が……」
「何をおっしゃいます。そりゃあ邸にいるうちはお仕事柄お召し物も地味にしていますが、ここは宮中ですもの、思う存分、派手にいかせていただきましょう」
どうやら朱依はここでの暮らしを楽しむと決めたらしい。顎を上げて大きく胸を張るが、そう簡単に割り切れない翠子は、途方に暮れるように瞼を揺らし、美しい衣を見下ろした。
「それにしても、ここは宮中のどのへんなんでしょうね」
朱依は控えている女官を呼んだ。
「私たちは今、どこにいるの?」
女官は「あちらの方向に清涼殿がございます」と腕を上げて衣で指した。
翠子にあてがわれた局――部屋は、後宮の最北、西の角に位置する雷鳴壺という殿舎だと説明を受けた。
「要するに一番目立たない場所ってわけね?」
朱依の性格に慣れていない女官は苦笑を禁じ得ない。
「ええ。まあ、そうでございます」
「どうりで静かだわ」
矢継ぎ早に身も蓋もない言葉を向けられ「ですね……」と、女官はしどろもどろだ。
貶されているのか、褒められているのかよくわからない。
戸惑う女官に、翠子が「ありがたいわ」とほほえみかけた。
「賑やかなところは苦手だもの」
女官は安心したように頬を緩め、ホッとしたように微笑んだ。
「菓子を持って参ります」
朱依が「あら、ありがとう。私も手伝うわ」と席を立つ。
「姫さま、少しお待ちくださいね」
「ええ」
ひとり残った翠子は立ち上がり簀子に出た。
外には庭らしい庭もなく、池もない。板塀が横に伸び視界が遮られている。
塀の向こう側に殿舎があるのはわかるが、ここからは建物の上の方しか見えない。ぐるりと見回してみても人影はなく、なにも聞こえなかった。
居心地は悪くない。
もともと静かな方が好きだ。
見上げた空は青く高い。夜ならば美しい月が見えるだろう。
部屋に入ると調度品に目を留めた。
装飾が施された美しい漆塗りの文台の上には筆と墨。そして柄の入った美しい紙がある。
思わず手に取ろうとして躊躇した。
初めて触れる物は少し怖い。見たところ新しそうだがと、不安になりながら思い切って手を伸ばした。
筆も硯も紙も、幸い手にしてもなにごともなく、早速手紙をしたためようと思う。
屋敷に残った者たちはさぞかし心配しているだろう。一刻も早く安心してほしかった。
途中、ふと手を止めた。
いつ帰れるのだろう。数日なのか、夜空に浮かぶ月が同じ形に戻る頃なのか。
煌仁は期間についてなにも言わなかった。できれば一日でも早く帰りたいと思いながら筆を進める。
間もなく戻ってきた朱依は「美味しそうですよ」と顔を綻ばせる。
朱依が差し出した竹の籠には、捻って丸めたような形の唐菓子が入っていて、香ばしい匂いがする。
翠子は「どうぞ」とひとつを朱依に渡す。
「どんな味なのか、先に食べてみて」
「ありがとうございます。姫さま」
早速口に入れた朱依は口をもぐもぐさせた後、満面の笑みを浮かべた。
「とっても美味しいです! ほんのり甘く、香ばしくて、胡麻や木の実も入っておりますよ」
「そう」
それならばと唐菓子と一緒に、文を屋敷に届けて欲しいと女官に頼んだ。
「えっ、姫さま、この唐菓子を全部ですか?」
「だって皆が心配しているに違いないもの」
せめてひとつは食べてくれないと、食べてしまった手前困ると朱依に言われて、翠子は一番小さいものを摘んだ。
口に含むとなるほど、油で揚げた香ばしさが口いっぱいに広がってくる。噛むほどに感じる濃厚な旨味は胡麻や木の実から滲み出てくるようだ。
初めて感じる美味しさに翠子は目を丸くする。
「とっても美味しい。爺たちもきっと喜んでくれるわね」
「はぁ……」
朱依は唐菓子の入った籠を布に包んですべて女官に渡す。その様子があまりに名残惜しそうで、翠子は思わず笑った。
「唐菓子ならきっと、またいただけるわよ」
朱依が言う通り、昨夜の彼は横柄だった。なんの説明もなく強引で無表情。終始口数も少なく、宮中に来てからもほとんど会話を交わしていない。
それと比べると今日の彼はずいぶんと柔らかい。顔つきさえも穏やかで優しげだったと思う。
「あの人、姫さまに」
最後まで言わず、朱依はふふふと笑う。
「え?」
「いえいえ。姫さま、本当によくお似合いですよ」
「そんなはずはないわ。私はもっと――」
こんなに明るく美しい衣じゃなく、地味なほうがふさわしい。
「普段から言ってるじゃありませんか、そのように朗らかでかわいらしい色が姫さまにはお似合いなんですから」
立ち上がった朱依は、鏡筥から鏡を取り出してきて、翠子に向ける。
「ご覧なさいな姫さま、とーっても素敵ですよ」
「やめて」
鏡に映るのは紅く頬を染めている自分に違いなく、恥ずかしさに翠子は逃げ惑う。
いたずらっ子のように笑う朱依は、鏡をしまって戻ってくると声高らかに宣言した。
「十二単については私もまったくわかりませんし、わがままはいけませんよ姫さま」
衣には地位によって使っていい色が決まっているし、季節や年齢によっても相応の合わせ方がある。慣れている女官でもない限り迂闊に手を出せない。
とはいえ翠子は気恥ずかしさに戸惑いを隠せなかった。
「でも、もう少し枯れた色が……」
「何をおっしゃいます。そりゃあ邸にいるうちはお仕事柄お召し物も地味にしていますが、ここは宮中ですもの、思う存分、派手にいかせていただきましょう」
どうやら朱依はここでの暮らしを楽しむと決めたらしい。顎を上げて大きく胸を張るが、そう簡単に割り切れない翠子は、途方に暮れるように瞼を揺らし、美しい衣を見下ろした。
「それにしても、ここは宮中のどのへんなんでしょうね」
朱依は控えている女官を呼んだ。
「私たちは今、どこにいるの?」
女官は「あちらの方向に清涼殿がございます」と腕を上げて衣で指した。
翠子にあてがわれた局――部屋は、後宮の最北、西の角に位置する雷鳴壺という殿舎だと説明を受けた。
「要するに一番目立たない場所ってわけね?」
朱依の性格に慣れていない女官は苦笑を禁じ得ない。
「ええ。まあ、そうでございます」
「どうりで静かだわ」
矢継ぎ早に身も蓋もない言葉を向けられ「ですね……」と、女官はしどろもどろだ。
貶されているのか、褒められているのかよくわからない。
戸惑う女官に、翠子が「ありがたいわ」とほほえみかけた。
「賑やかなところは苦手だもの」
女官は安心したように頬を緩め、ホッとしたように微笑んだ。
「菓子を持って参ります」
朱依が「あら、ありがとう。私も手伝うわ」と席を立つ。
「姫さま、少しお待ちくださいね」
「ええ」
ひとり残った翠子は立ち上がり簀子に出た。
外には庭らしい庭もなく、池もない。板塀が横に伸び視界が遮られている。
塀の向こう側に殿舎があるのはわかるが、ここからは建物の上の方しか見えない。ぐるりと見回してみても人影はなく、なにも聞こえなかった。
居心地は悪くない。
もともと静かな方が好きだ。
見上げた空は青く高い。夜ならば美しい月が見えるだろう。
部屋に入ると調度品に目を留めた。
装飾が施された美しい漆塗りの文台の上には筆と墨。そして柄の入った美しい紙がある。
思わず手に取ろうとして躊躇した。
初めて触れる物は少し怖い。見たところ新しそうだがと、不安になりながら思い切って手を伸ばした。
筆も硯も紙も、幸い手にしてもなにごともなく、早速手紙をしたためようと思う。
屋敷に残った者たちはさぞかし心配しているだろう。一刻も早く安心してほしかった。
途中、ふと手を止めた。
いつ帰れるのだろう。数日なのか、夜空に浮かぶ月が同じ形に戻る頃なのか。
煌仁は期間についてなにも言わなかった。できれば一日でも早く帰りたいと思いながら筆を進める。
間もなく戻ってきた朱依は「美味しそうですよ」と顔を綻ばせる。
朱依が差し出した竹の籠には、捻って丸めたような形の唐菓子が入っていて、香ばしい匂いがする。
翠子は「どうぞ」とひとつを朱依に渡す。
「どんな味なのか、先に食べてみて」
「ありがとうございます。姫さま」
早速口に入れた朱依は口をもぐもぐさせた後、満面の笑みを浮かべた。
「とっても美味しいです! ほんのり甘く、香ばしくて、胡麻や木の実も入っておりますよ」
「そう」
それならばと唐菓子と一緒に、文を屋敷に届けて欲しいと女官に頼んだ。
「えっ、姫さま、この唐菓子を全部ですか?」
「だって皆が心配しているに違いないもの」
せめてひとつは食べてくれないと、食べてしまった手前困ると朱依に言われて、翠子は一番小さいものを摘んだ。
口に含むとなるほど、油で揚げた香ばしさが口いっぱいに広がってくる。噛むほどに感じる濃厚な旨味は胡麻や木の実から滲み出てくるようだ。
初めて感じる美味しさに翠子は目を丸くする。
「とっても美味しい。爺たちもきっと喜んでくれるわね」
「はぁ……」
朱依は唐菓子の入った籠を布に包んですべて女官に渡す。その様子があまりに名残惜しそうで、翠子は思わず笑った。
「唐菓子ならきっと、またいただけるわよ」
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