63 / 81
8.極道ということ
7
しおりを挟む
専務がまんべんなくお客様にご挨拶ができるよう気遣わなければいけないし、東雲さんからも矢継ぎ早に指示が入る。具合が悪くなってしまった方がいて部屋まで付き添ったりしているうちに、なんと、肝心な専務のスピーチを聞き逃してしまった。
悲しいかな私が会場に戻ったときは、拍手の渦の中で龍崎専務が壇上から下りるところだった。
「えっ、小恋ちゃん聞けなかったの? それは残念。専務、堂々として本当に素敵だったわよぉ。あとでビデオ見て感動するから」
「はぁ、そうですか……」
ううっ。泣きそう。
「森村さん。お客様のお見送りお願いします」
「はい!」
ああもう、本当に忙しい。
「すまないね、最後までいられなくて、でも暁大くんの立派な挨拶が聞けてよかった龍崎組は安泰だね」
「ありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」
営業部長や取締役がお客様と挨拶を交わす後ろで、私は行儀よく立っているだけじゃない。タイミングを見計らいながら一歩前に出て、手土産の紙袋を手渡すのである。
「社長、本日はありがとうございました。ささやかですが、どうぞお持ちください」
「ああ、ありがとう」
「社長のお好きな辛口の日本酒が入っております」
小声でそうささやくと、社長は「あっはは、それは楽しみだ」と豪快に笑いながらタクシーに乗った。
手土産は渋く紅白饅頭と『龍崎』という名前の日本酒。形に残るものをもらっても迷惑だろう、という社長の鶴の一声で決まったが、紅白饅頭は老舗有名和菓子店に頼んだものだし、日本酒は何年も前から新潟の造り酒屋にお願いしていた特注品なのでどちらも味は一流だ。
社長は気さくな人柄で、お茶を出すときも笑顔で『ありがとう』と声をかけてくださる。専務が電話中だったりして待っていただく間に話をしたりして、日本酒が好きだということなんかも聞いていた。そんな社長がしみじみと龍崎専務を褒めてくれたものだからうれしくて仕方がない。
社長を乗せたタクシーが発進すると同時に頭をさげて再び顔を上げた時。「森村さん?」と声をかけられた。
SIMIIの清水さんだ。
ひそかに心がざわつく。
「すっかり遅くなっちゃって、もしかして、もう終わり?」
「いいえ、どうぞどうぞ」
口ではそう言ったけれど、来なくてよかったのにと心で悪態をついた。
この前の、青木さんとの失礼な発言もある。
『龍崎さんは龍崎組では優秀なビジネスマンですし優秀な経営者には違いないですけれど、裏の顔は知らないほうがいい』
こんなに遅く来るくらいなら帰れと追い返したいが、そうもいかない。今日はこちらからお呼びしたお客様である。
「すみません、お忙しいところ」
「ちょっと現場でゴタゴタがあってね。森村さん、今日は一段と綺麗だねぇ。控えめなベージュのドレスがよく似合っている」
「ありがとうございます」
本来なら、このまま龍崎専務のところまで案内すべきだけれど、それもパスだ。
二枚舌め、と心で罵りながら適当な笑みを返し、清水さんの隣に並ぶ女性秘書の木村さんに声をかけた。
「木村さん、ドレスとーっても素敵です」
少し照れたように微笑む木村さんは美人で有名だ。抜けるように肌が白くて伏し目がちの瞳が儚さを醸し出し、おそらく会場で一番の美しい女性なのではないだろうか。
感じもいいし、清水さんの秘書にしておくにはもったいない人材である。
素敵女子木村さんとはもっと話をしたいが、清水さんが一緒なら別よ。
「気軽に食事でも召し上がっていってくださいね」
木村さんにだけ笑顔を向けて、私は早々に立ち去った。
なにしろ忙しい。
その後もあいかわらずバタバタしていると、突然「キャアー」という悲鳴があがった。
「えっ?」
悲しいかな私が会場に戻ったときは、拍手の渦の中で龍崎専務が壇上から下りるところだった。
「えっ、小恋ちゃん聞けなかったの? それは残念。専務、堂々として本当に素敵だったわよぉ。あとでビデオ見て感動するから」
「はぁ、そうですか……」
ううっ。泣きそう。
「森村さん。お客様のお見送りお願いします」
「はい!」
ああもう、本当に忙しい。
「すまないね、最後までいられなくて、でも暁大くんの立派な挨拶が聞けてよかった龍崎組は安泰だね」
「ありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」
営業部長や取締役がお客様と挨拶を交わす後ろで、私は行儀よく立っているだけじゃない。タイミングを見計らいながら一歩前に出て、手土産の紙袋を手渡すのである。
「社長、本日はありがとうございました。ささやかですが、どうぞお持ちください」
「ああ、ありがとう」
「社長のお好きな辛口の日本酒が入っております」
小声でそうささやくと、社長は「あっはは、それは楽しみだ」と豪快に笑いながらタクシーに乗った。
手土産は渋く紅白饅頭と『龍崎』という名前の日本酒。形に残るものをもらっても迷惑だろう、という社長の鶴の一声で決まったが、紅白饅頭は老舗有名和菓子店に頼んだものだし、日本酒は何年も前から新潟の造り酒屋にお願いしていた特注品なのでどちらも味は一流だ。
社長は気さくな人柄で、お茶を出すときも笑顔で『ありがとう』と声をかけてくださる。専務が電話中だったりして待っていただく間に話をしたりして、日本酒が好きだということなんかも聞いていた。そんな社長がしみじみと龍崎専務を褒めてくれたものだからうれしくて仕方がない。
社長を乗せたタクシーが発進すると同時に頭をさげて再び顔を上げた時。「森村さん?」と声をかけられた。
SIMIIの清水さんだ。
ひそかに心がざわつく。
「すっかり遅くなっちゃって、もしかして、もう終わり?」
「いいえ、どうぞどうぞ」
口ではそう言ったけれど、来なくてよかったのにと心で悪態をついた。
この前の、青木さんとの失礼な発言もある。
『龍崎さんは龍崎組では優秀なビジネスマンですし優秀な経営者には違いないですけれど、裏の顔は知らないほうがいい』
こんなに遅く来るくらいなら帰れと追い返したいが、そうもいかない。今日はこちらからお呼びしたお客様である。
「すみません、お忙しいところ」
「ちょっと現場でゴタゴタがあってね。森村さん、今日は一段と綺麗だねぇ。控えめなベージュのドレスがよく似合っている」
「ありがとうございます」
本来なら、このまま龍崎専務のところまで案内すべきだけれど、それもパスだ。
二枚舌め、と心で罵りながら適当な笑みを返し、清水さんの隣に並ぶ女性秘書の木村さんに声をかけた。
「木村さん、ドレスとーっても素敵です」
少し照れたように微笑む木村さんは美人で有名だ。抜けるように肌が白くて伏し目がちの瞳が儚さを醸し出し、おそらく会場で一番の美しい女性なのではないだろうか。
感じもいいし、清水さんの秘書にしておくにはもったいない人材である。
素敵女子木村さんとはもっと話をしたいが、清水さんが一緒なら別よ。
「気軽に食事でも召し上がっていってくださいね」
木村さんにだけ笑顔を向けて、私は早々に立ち去った。
なにしろ忙しい。
その後もあいかわらずバタバタしていると、突然「キャアー」という悲鳴があがった。
「えっ?」
32
お気に入りに追加
295
あなたにおすすめの小説
お酒の席でナンパした相手がまさかの婚約者でした 〜政略結婚のはずだけど、めちゃくちゃ溺愛されてます〜
Adria
恋愛
イタリアに留学し、そのまま就職して楽しい生活を送っていた私は、父からの婚約者を紹介するから帰国しろという言葉を無視し、友人と楽しくお酒を飲んでいた。けれど、そのお酒の場で出会った人はその婚約者で――しかも私を初恋だと言う。
結婚する気のない私と、私を好きすぎて追いかけてきたストーカー気味な彼。
ひょんなことから一緒にイタリアの各地を巡りながら、彼は私が幼少期から抱えていたものを解決してくれた。
気がついた時にはかけがえのない人になっていて――
表紙絵/灰田様
《エブリスタとムーンにも投稿しています》
独占欲強めな極上エリートに甘く抱き尽くされました
紡木さぼ
恋愛
旧題:婚約破棄されたワケアリ物件だと思っていた会社の先輩が、実は超優良物件でどろどろに溺愛されてしまう社畜の話
平凡な社畜OLの藤井由奈(ふじいゆな)が残業に勤しんでいると、5年付き合った婚約者と破談になったとの噂があるハイスペ先輩柚木紘人(ゆのきひろと)に声をかけられた。
サシ飲みを経て「会社の先輩後輩」から「飲み仲間」へと昇格し、飲み会中に甘い空気が漂い始める。
恋愛がご無沙汰だった由奈は次第に紘人に心惹かれていき、紘人もまた由奈を可愛がっているようで……
元カノとはどうして別れたの?社内恋愛は面倒?紘人は私のことどう思ってる?
社会人ならではのじれったい片思いの果てに晴れて恋人同士になった2人。
「俺、めちゃくちゃ独占欲強いし、ずっと由奈のこと抱き尽くしたいって思ってた」
ハイスペなのは仕事だけではなく、彼のお家で、オフィスで、旅行先で、どろどろに愛されてしまう。
仕事中はあんなに冷静なのに、由奈のことになると少し甘えん坊になってしまう、紘人とらぶらぶ、元カノの登場でハラハラ。
ざまぁ相手は紘人の元カノです。

忘れたとは言わせない。〜エリートドクターと再会したら、溺愛が始まりました〜
青花美来
恋愛
「……三年前、一緒に寝た間柄だろ?」
三年前のあの一夜のことは、もう過去のことのはずなのに。
一夜の過ちとして、もう忘れたはずなのに。
「忘れたとは言わせねぇぞ?」
偶然再会したら、心も身体も翻弄されてしまって。
「……今度こそ、逃がすつもりも離すつもりもねぇから」
その溺愛からは、もう逃れられない。
*第16回恋愛小説大賞奨励賞受賞しました*
二人の甘い夜は終わらない
藤谷藍
恋愛
*この作品の書籍化がアルファポリス社で現在進んでおります。正式に決定しますと6月13日にこの作品をウェブから引き下げとなりますので、よろしくご了承下さい*
年齢=恋人いない歴28年。多忙な花乃は、昔キッパリ振られているのに、初恋の彼がずっと忘れられない。いまだに彼を想い続けているそんな誕生日の夜、彼に面影がそっくりな男性と出会い、夢心地のまま酔った勢いで幸せな一夜を共に––––、なのに、初めての朝チュンでパニックになり、逃げ出してしまった。甘酸っぱい思い出のファーストラブ。幻の夢のようなセカンドラブ。優しい彼には逢うたびに心を持っていかれる。今も昔も、過剰なほど甘やかされるけど、この歳になって相変わらずな子供扱いも! そして極甘で強引な彼のペースに、花乃はみるみる絡め取られて……⁈ ちょっぴり個性派、花乃の初恋胸キュンラブです。
契約結婚のはずなのに、冷徹なはずのエリート上司が甘く迫ってくるんですが!? ~結婚願望ゼロの私が、なぜか愛されすぎて逃げられません~
猪木洋平@【コミカライズ連載中】
恋愛
「俺と結婚しろ」
突然のプロポーズ――いや、契約結婚の提案だった。
冷静沈着で完璧主義、社内でも一目置かれるエリート課長・九条玲司。そんな彼と私は、ただの上司と部下。恋愛感情なんて一切ない……はずだった。
仕事一筋で恋愛に興味なし。過去の傷から、結婚なんて煩わしいものだと決めつけていた私。なのに、九条課長が提示した「条件」に耳を傾けるうちに、その提案が単なる取引とは思えなくなっていく。
「お前を、誰にも渡すつもりはない」
冷たい声で言われたその言葉が、胸をざわつかせる。
これは合理的な選択? それとも、避けられない運命の始まり?
割り切ったはずの契約は、次第に二人の境界線を曖昧にし、心を絡め取っていく――。
不器用なエリート上司と、恋を信じられない女。
これは、"ありえないはずの結婚"から始まる、予測不能なラブストーリー。
地味系秘書と氷の副社長は今日も仲良くバトルしてます!
めーぷる
恋愛
見た目はどこにでもいそうな地味系女子の小鳥風音(おどりかざね)が、ようやく就職した会社で何故か社長秘書に大抜擢されてしまう。
秘書検定も持っていない自分がどうしてそんなことに……。
呼び出された社長室では、明るいイケメンチャラ男な御曹司の社長と、ニコリともしない銀縁眼鏡の副社長が風音を待ち構えていた――
地味系女子が色々巻き込まれながら、イケメンと美形とぶつかって仲良くなっていく王道ラブコメなお話になっていく予定です。
ちょっとだけ三角関係もあるかも?
・表紙はかんたん表紙メーカーで作成しています。
・毎日11時に投稿予定です。
・勢いで書いてます。誤字脱字等チェックしてますが、不備があるかもしれません。
・公開済のお話も加筆訂正する場合があります。
恋とキスは背伸びして
葉月 まい
恋愛
結城 美怜(24歳)…身長160㎝、平社員
成瀬 隼斗(33歳)…身長182㎝、本部長
年齢差 9歳
身長差 22㎝
役職 雲泥の差
この違い、恋愛には大きな壁?
そして同期の卓の存在
異性の親友は成立する?
数々の壁を乗り越え、結ばれるまでの
二人の恋の物語
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる