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1.嘘と秘密の誘惑
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昨夜、悟さんから直接電話があった。
会って話がしたいと言われたけれど、それは丁重にお断りした。
『本当にすみません。彼女とは、別れたつもりだったんですが』
『大丈夫ですよ、婚約したわけでもないですし、気にしないでくださいね』
母から聞いた話によると、悟さんの両親が相手の女性を気に入らなくて、前々から反対していたらしいとか。
人の好みは色々だなあとしみじみと思う。私は彼と指先が触れるだけでも嫌悪感しかなかったのに、彼にはちゃんとそういう恋人がいたのだから。
まあよかったんじゃないのかな。
生まれてくる赤ちゃんのためにも、どうぞお幸せにと思う気持ちに嘘はない。悟さんのご両親だってかわいい孫を見ればきっと気持ちが変わるだろう。悟さんは非難されるかもしれないけれど、それは一時的なもの。彼らには祝福が待っている。
そっちの話はもういいとして、問題は私のほう。
悟さんを好きではなかったし、どうせ断るつもりでいたというのは、私だけが知る気持ち。他人からすれば、森村小恋は結婚相手に逃げられたかわいそうな女だ。
父をはじめとして家族全員ものすごい勢いで怒ってしまうし、紹介してくれた仲人さんは駆けつけて来るしで、とにかく昨夜は大変だった。
本人の私が破談になって良かったって言っているのに、そんな簡単な話じゃないと騒ぐ。
まぁそれでも家族はそれでいいとして、問題は……。
車を降りた途端、いやな予感はさっそく形になって表れた。
「小恋ちゃん、小恋ちゃん」
竹箒を手にした掃除のおばちゃんが、待ち構えたように手招きしながら小走りにやってくる。
「ひどい目にあったねぇ」
「え?」
「まだ若いんだから、気にしないで! いい人紹介するから」
「あ、あはは」
おばちゃんは元気だしなよと言いながらバシバシと私の背中を叩いて、持ち場に戻っていった。
恐るべし田舎の情報網。断りの電話があったのは昨日の話である。それなのにもう伝わっているとは。
早い、早すぎるでしょ?
お見合いをした時もそうだった。週明けには何故か皆知っていて、上司は結婚後も仕事は続けるかと聞いてきたし、先輩たちは結婚式の話で盛り上がっていた。掃除のおばちゃんが知っているということは、今回の破談も皆知っているに違いない。
まいったなぁ。
「おはよ、小恋」
「おはよ、ユメちゃん」
「大変だったみたいね。すっかり噂になってるよ」
予想通りの展開にガッカリするやら呆れるやら。
「これだから田舎は。ほんとやだ。で、どうだったの?」
そう言って、私以上にうんざりしたように顔をしかめるのは、パートで来ている幼馴染のユメちゃんだ。
「もう、やんなっちゃったよ。お祖母ちゃんは『傷モノにされちまって、もう嫁の貰い手がない』とか言い出すし。傷モノって酷くない? 手も握ってないのにぃ」
「小恋さぁ、もういっそこの町離れたら?」
「ええ?」
「つまんない町でも、私は旦那がいるから平気だけど。でも小恋はさ、なんだかんだいっても冒険したくなっちゃうくらい、ここでの生活がつまんないわけでしょ? 出るなら今じゃない?」
中学生の頃からやんちゃだったユメちゃんは、高校卒業して間もなく、同じくやんちゃだった旦那さんと結婚した。いまでもラブラブで、既に二児の母である。
「出るって、この町を?」
「いっそ東京でも行ってさ、本気の恋、探しておいでよ」
ユメちゃんは、小声で「仮初めの恋じゃなくて」と付け加える。というのも、彼女だけが私のハロウィンの冒険を知っているのだ。
「わかったでしょ? 小恋はね、実は燃える情熱を秘めた女なのよ。このままおとなしくお見合いで結婚できるわけがないって」
「そんなことないよぉ」
「まだ言ってる。そういう子はね、そもそも危険な冒険なんか、し・な・い」
うっ……。さすがに親友、痛いところを突いてくる。
「いいじゃん。ワクワクして傷ついて、明日が楽しみになるような恋。してきなよ。まだ二十四歳なんだからさ。燃やせ恋の炎」
まだ二十四歳。そう言われると少しホッとする。
転勤で九州にいる兄も『焦って見合いする歳でもないだろう?』と電話で慰めてくれた。
『まあ母さんもお前を心配してるんだろうけどさ』
そうなんだよね。
母だって何も私をただ嫁に行けと責めているわけじゃない。のんびり構えている私の将来を心配して言ってくれている。
自分でも納得したからお見合いをしたんだもの、母を責めるつもりはない。
ただ、思った通りにはいかなかっただけだ。
自分でもわかっている。私、本当は結婚じゃなくて恋がしたい。
恋愛映画みたいに、胸を焦がす恋をしたいんだ。
「はぁ……。でもユメちゃん、燃え尽きたらどうしよう」
ユメちゃんはけらけらと笑う。
「あはは、灰になった時は、私が拾ってあげるから心配ご無用」
そうは言ってもねぇ。
一夜の冒険ならいざ知らず、実際暮らすとなると住む家とか仕事とか経済的な問題が出てくる。引っ越しやその準備をするくらいの貯金はあるけれど。果たして簡単に仕事は見つかるのか。
現実はいつだって、甘くはない。
さあてどうしたものかと、悶々と悩むうちに一週間が過ぎた頃。
一本の救いのメッセージが入った。
『大変だったみたいね。小恋。いっそ、こっちに来ない? 仕事もあるわよ?』
都内に住む叔母からの誘いである。
興奮で、喉の奥がゴクリと音を立てた。
行こうかな、東京へ。
恋を探しに。
会って話がしたいと言われたけれど、それは丁重にお断りした。
『本当にすみません。彼女とは、別れたつもりだったんですが』
『大丈夫ですよ、婚約したわけでもないですし、気にしないでくださいね』
母から聞いた話によると、悟さんの両親が相手の女性を気に入らなくて、前々から反対していたらしいとか。
人の好みは色々だなあとしみじみと思う。私は彼と指先が触れるだけでも嫌悪感しかなかったのに、彼にはちゃんとそういう恋人がいたのだから。
まあよかったんじゃないのかな。
生まれてくる赤ちゃんのためにも、どうぞお幸せにと思う気持ちに嘘はない。悟さんのご両親だってかわいい孫を見ればきっと気持ちが変わるだろう。悟さんは非難されるかもしれないけれど、それは一時的なもの。彼らには祝福が待っている。
そっちの話はもういいとして、問題は私のほう。
悟さんを好きではなかったし、どうせ断るつもりでいたというのは、私だけが知る気持ち。他人からすれば、森村小恋は結婚相手に逃げられたかわいそうな女だ。
父をはじめとして家族全員ものすごい勢いで怒ってしまうし、紹介してくれた仲人さんは駆けつけて来るしで、とにかく昨夜は大変だった。
本人の私が破談になって良かったって言っているのに、そんな簡単な話じゃないと騒ぐ。
まぁそれでも家族はそれでいいとして、問題は……。
車を降りた途端、いやな予感はさっそく形になって表れた。
「小恋ちゃん、小恋ちゃん」
竹箒を手にした掃除のおばちゃんが、待ち構えたように手招きしながら小走りにやってくる。
「ひどい目にあったねぇ」
「え?」
「まだ若いんだから、気にしないで! いい人紹介するから」
「あ、あはは」
おばちゃんは元気だしなよと言いながらバシバシと私の背中を叩いて、持ち場に戻っていった。
恐るべし田舎の情報網。断りの電話があったのは昨日の話である。それなのにもう伝わっているとは。
早い、早すぎるでしょ?
お見合いをした時もそうだった。週明けには何故か皆知っていて、上司は結婚後も仕事は続けるかと聞いてきたし、先輩たちは結婚式の話で盛り上がっていた。掃除のおばちゃんが知っているということは、今回の破談も皆知っているに違いない。
まいったなぁ。
「おはよ、小恋」
「おはよ、ユメちゃん」
「大変だったみたいね。すっかり噂になってるよ」
予想通りの展開にガッカリするやら呆れるやら。
「これだから田舎は。ほんとやだ。で、どうだったの?」
そう言って、私以上にうんざりしたように顔をしかめるのは、パートで来ている幼馴染のユメちゃんだ。
「もう、やんなっちゃったよ。お祖母ちゃんは『傷モノにされちまって、もう嫁の貰い手がない』とか言い出すし。傷モノって酷くない? 手も握ってないのにぃ」
「小恋さぁ、もういっそこの町離れたら?」
「ええ?」
「つまんない町でも、私は旦那がいるから平気だけど。でも小恋はさ、なんだかんだいっても冒険したくなっちゃうくらい、ここでの生活がつまんないわけでしょ? 出るなら今じゃない?」
中学生の頃からやんちゃだったユメちゃんは、高校卒業して間もなく、同じくやんちゃだった旦那さんと結婚した。いまでもラブラブで、既に二児の母である。
「出るって、この町を?」
「いっそ東京でも行ってさ、本気の恋、探しておいでよ」
ユメちゃんは、小声で「仮初めの恋じゃなくて」と付け加える。というのも、彼女だけが私のハロウィンの冒険を知っているのだ。
「わかったでしょ? 小恋はね、実は燃える情熱を秘めた女なのよ。このままおとなしくお見合いで結婚できるわけがないって」
「そんなことないよぉ」
「まだ言ってる。そういう子はね、そもそも危険な冒険なんか、し・な・い」
うっ……。さすがに親友、痛いところを突いてくる。
「いいじゃん。ワクワクして傷ついて、明日が楽しみになるような恋。してきなよ。まだ二十四歳なんだからさ。燃やせ恋の炎」
まだ二十四歳。そう言われると少しホッとする。
転勤で九州にいる兄も『焦って見合いする歳でもないだろう?』と電話で慰めてくれた。
『まあ母さんもお前を心配してるんだろうけどさ』
そうなんだよね。
母だって何も私をただ嫁に行けと責めているわけじゃない。のんびり構えている私の将来を心配して言ってくれている。
自分でも納得したからお見合いをしたんだもの、母を責めるつもりはない。
ただ、思った通りにはいかなかっただけだ。
自分でもわかっている。私、本当は結婚じゃなくて恋がしたい。
恋愛映画みたいに、胸を焦がす恋をしたいんだ。
「はぁ……。でもユメちゃん、燃え尽きたらどうしよう」
ユメちゃんはけらけらと笑う。
「あはは、灰になった時は、私が拾ってあげるから心配ご無用」
そうは言ってもねぇ。
一夜の冒険ならいざ知らず、実際暮らすとなると住む家とか仕事とか経済的な問題が出てくる。引っ越しやその準備をするくらいの貯金はあるけれど。果たして簡単に仕事は見つかるのか。
現実はいつだって、甘くはない。
さあてどうしたものかと、悶々と悩むうちに一週間が過ぎた頃。
一本の救いのメッセージが入った。
『大変だったみたいね。小恋。いっそ、こっちに来ない? 仕事もあるわよ?』
都内に住む叔母からの誘いである。
興奮で、喉の奥がゴクリと音を立てた。
行こうかな、東京へ。
恋を探しに。
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