救済

古明地 蓮

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トラウマと怖がりな守衛

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「本当に道子の言う通り来てたんだ。しかも男まで連れて、いいご身分なこと」

 スライムのようにねばねばとした声。独特の気取った口調。そして私に何度も言った嫌味。そして、いつものようにつれられた三人の子分。それらすべてが、目の前にいる人間の正体をより明確にする。

「私がかわいがってあげてたら、いつの間にか学校に来なくなるなんてね。でも道子が見つけたって言われたときはうれしかったのよ。だってまたかわいがれるんだもの。」

「...燈子...」

 その顔を見た瞬間、心の外套が剥がれ落ちていき曝け出され、磔にされる。恐怖がブラックホールのように私の思考を全部吸収していく。視界が狭まって、目に映るのが燈子だけになる。

「あら、何を怖がってるのかしら。また可愛がってあげるだけじゃないの」

 一歩。また一歩と目に映る燈子が大きくなる。やめて、来ないでという言葉は喉につっかえって、余計に息を詰まらせる。身動きも取れず、目をつむって思考だけを現実から引き離そうとする。

「前までは私に威勢よく喧嘩を売っていたのに、今じゃこんなにおとなしくなっちゃって。でもおかげでこうして触れられるわね」

 さらさらの感触が私の右頬をなでる。冷たくはない。こんな手をしてたっけ。

 安心したのもつかの間、手が思いっきり私の頬をつねる。お菓子の袋を開けるときみたいに、力強く。

「痛い!」 

 ようやく動いた口から飛び出た叫び声とともに、私の目が開かれる。目の前には、切れ長の目、細い眉に怒りをあらわにへの字に曲がった唇の整った顔があった。

パチっ

 いきなり右頬に衝撃が走った。口の中の唾液がはじける音がする。見ると、私の左側に振りぬかれた掌があった。

「ったく、いうことを聞かないおもちゃみたい。まあかわいがれるだけ十分かしらね」

 彼女が取り巻きのほうに戻ったことで、私の視界も回復する。このまま帰ってくれ。役に立たない口の代わりに心で叫ぶ。しかし、無情なことに燈子はまた近づいてきた。もうやめて...

「おい」

 一瞬にして場を凍らせる絶対零度の声。しかし、今の私にとってはこれほど温かい声もなかった。

「大丈夫?」

 俊君が右頬を抑えている私を見て心配そうに声をかける。彼にはなるべく心配も迷惑もかけたくないと思いなるべく平静を装って答える。

「大丈夫だよ。ちょっと喧嘩しただけ」

 本当は美雪も桃花もいない今は俊君にすがってしまいたい。でも、俊君との関係はあくまでバレー部内であって、これはバレー部とは関係ないこと。だから巻き込んじゃいけない。なるべく気にかけないように、燈子から離れたほうに行こうと伝えようとした時だった。

「あんたみたいなやつが、男連れなんていいご身分だこと。母子家庭育ちで税金も払ってないくせにね。まあそしたらかわいがる相手が増えていいかもしれないわね」

 ぺらぺらと話し続ける燈子。俊君を巻き込まないで、と言いたくてもまたのどが詰まってしまう。なんでこんな時に

ぽん

 私の左肩にごつごつとした手が触れた。それは俊君の手で、ブロックでボロボロになっている手。明らかに敵意を私に向けていない表情を見せてから、彼は私の前に出た。

「おい」

 もう一度あの声が場を凍らせる。しかし、今度は続きがあった。

「あんたらが何者か知らないし、晴飛さんと何があったかは知らない。だが今はうちのマネージャーだ。」

 そこで一言区切ると、怒気を孕んだ声を響かせる。

「マネージャーを傷つけるような奴には、相応の報いが待ってると思え」

 これが言葉の圧という奴だろうか。キッと俊君をにらんだ後、燈子たちはその場を去っていった。その中に一人、見覚えのある人がいることに気が付いた。

 そういえば、学校に来た初日に廊下ですれ違った少女。バスケ部にいた安藤 道子だった。彼女が燈子に私が来ていることを伝えたんだろう。あまり印象にない子だったから忘れていた。

 文化祭にふさわしくない雰囲気が私の周りに流れている。周囲の人に申し訳ないなと思いつつも、燈子らを追い返した俊君が帰ってくるとふっと肩の力が抜けてしまった。

「大丈夫か?」

 俊君は私の頬と涙を交互に見ながら聞いた。私は少し頬をさすって、涙をぬぐうと作り笑いをする。涙目に移った彼の顔は少しだけ格好良かった。

「もう大丈夫。ありがとね」

 俊君は何か言いたさげだったけど、それ以上口を開くことなく廊下を歩きだした。まるでこの場の険悪な雰囲気を引き連れていくかのように。だから私は彼から少し距離を取ってついていった。

 少し距離をとっているせいで彼がどこに向かっているのかつかめないまま進むと、急にとある看板の前で立ち止まった。それは

「恐怖の病院」

 とかすれた赤い文字で書かれ、その周りに赤い手形がたくさんついているB級ホラー感あふれるものだった。いや、これうちの看板じゃん。

 看板に見入っている俊君に後ろから声をかける。

「気になるの?」

 すると俊君はかつてないほど子供らしい顔で振り返る。

「うん。俺こういうホラー系苦手だけど好きなんだよね!」

 どっちなんだよ。心の中で突っ込むと、自然に笑いがこみあげてくる。

「俺何かおかしいこと言った?」

 当の本人はついぞ気づかぬ様子で素っ頓狂な声を上げるから、余計に面白かった。ようやくさっきまでの陰惨とした気持ちが吹っ切れたように感じた。

 ようやく私の笑いが収まった時、隣にいたはずの俊君が消えていることに気が付いた。ちょっとあたりを見回していると、思いもがけないところに彼は立っていた。

「入場券二枚下さい」

 私が最初のシフトで働いていたところで、受付の人と話している。まさかと思って近寄ってみると、もうすでに二枚のチケットが握られていた。

「何で二枚買ってんのよ」

 肘で彼を小突くも、さも当然といった様子でこう言ってのけた。

「だって俺一人だと怖いし、晴飛さん怖いの得意そうじゃん」

「私そういうの得意に見える?」

 若干あきれながら聞いたはずなのに、ヘヴィーメタルのボーカル並みのうなずきが帰ってきた。まあ、さっき助けてもらったお礼もあるから、さすがに断るのは不義理だろう。

 いまだにうちのクラスのお化け屋敷は大盛況で、列に並ぶ必要があった。そこで俊君と二人で並んでいると

「さすがにこれは、よくないんじゃない?」

 声に出さずにはいられなかった。文化祭のお化け屋敷に男女が二人で並んでいる。それってどう考えてもそういう風にしか見られないのでは、と思ってしまう。しかし、彼は全く気付くそぶりを見せなかった。

 意識してしまうと思考はどんどん加速するというもので、さらに相手が無頓着だと余計に考えちゃうもので。

「ちょっとトイレ行ってくる」

 とだけ俊君に告げると、いったん近くのトイレに駆け込んだ。鏡越しに自分の顔を見ると、さっき軽く泣いたせいで化粧は落ちてるし、たたかれたのと意識しちゃったせいで頬が赤くなっている。

 しかし、こんな時のためにポケットに忍ばせておいた化粧道具たちで適当にメイクする。頬の赤みを少し抑えて、崩れたところを軽く手直しすると、普段通りの顔に戻った。本当にメイクって便利だ。

 もう一度鏡を確認してから、俊君の元に戻る。列は結構前に進んだみたいで、俊君の前には2人グミが二つ残っているだけだった。

「お待たせ」

 俊君の隣に経つと、俊君は安堵が表情に出るほど、深い息をついた。

「間に合わないんじゃないかと思ったよ」

 右手に握った二枚の入場券がくしゃくしゃになっていることと、額の汗を見る限り相当緊張しているみたいだった。

「なんでそんなことになってるの?」

「俺一人でお化け屋敷に入ったら、絶対怖くて逃げるもん」

 あんた男でしょとか思ったけど、流石に今の彼には言えなかった。代わりに少しだけ慰めの言葉をかける。

「まあ間に合ったんだし、私一応ここのクラスで中身知ってるから大丈夫だよ」

 そこでようやく彼は平常心に戻ったらしかった。タイミングがいいのか悪いのか、ドアの前のクラスメイトから声をかけられる。

「これって、晴飛さんの彼氏さん?」

 彼に聞こえないように耳元にささやかれる。私は即座に彼の耳元に口を当てて、ため息交じりに返す。

「ただの怖がりな部員だよ。」

 ふ~んという言葉が聞こえそうな、いや実際に言ったのかもしれない。彼は元の位置に戻ると、今度は俊君に話しかけた。

「それではチケットを渡してください。」

 俊君がチケットを二枚手渡すと、小さく教室の扉が開かれた。隣の人が入るのをためらっているのを周りに見られるのが嫌だったので、俊君の背中を押して無理やり入場させる。

「ちょ、ちょっと」

「ほら、行くよ」

 私たちの体が教室に収まった瞬間に、音もたてずに扉は閉められた。代わりに目の前に煙をスクリーン代わりにして浮かび上がらせた映像が映る。

「ここは、市内のK病院跡地。しかしこの病院は縦壊すことができず、そのままにされている」

 映像には実際に存在する病院の航空写真が写る。そういえばクラスの人たちが頑張って調整してたのはこれだったのか。私は機械系はあまり得意ではないので手伝わなかったけど、良く作ったなぁと思う。

 隣の彼はどうしてるかなと思って目線をやると、小刻みに震えながら映像を凝視していた。小声で「まさか、あの病院って」と言っているのが聞こえて、場に似つかわしくない笑いがこみあげてくる。

「君たちにはこの遺骨を元の場所に戻してほしいんだ。」

 どうやらこの病院は幽霊が出るせいで取り壊そうとするとけが人が出るらしい。その原因は遺骨が行方不明になった人がいることらしく、見つかった一部を元に戻してほしいとのことだった。何度設定を聞かされても、完全にただの使い捨てとして使われてるような気がする。

 しきりの下から骨壺を模した紙の箱が出てくる。そういえばこの仕組みも私が作ったなぁと感慨に浸っている横で、声も上げずに震えっぱなしの俊君がいた。

 仕方なく私が骨壺を受け取ってから彼に声をかける。

「大丈夫?」

 震えなのかうなずきなのかわからない反応だったけれど、私の手から骨壺を取ったので大丈夫だろうと推察した。道なりを知っているので、私が先導して道を歩かせる。小さい部屋に多くの仕掛けを用意するために道が複雑になっているだけでなく、間違った道の先にはびっくり演出がある。

 ようやく病院の地下に当たる部分に着くと、納骨堂を置くべき墓石もどきがある。その手前に骨壺を置くんだけど、隣の人は大丈夫かな。

「俺ならできる。俺ならできる。」

 ぶつぶつと鼓舞する言葉を並べてから、意を決したように骨壺を置いた。

「おのれ~」

 置いた瞬間に壁を軽くたたく音と同時に老爺のうめき声のような声がわずかに鼓膜をなでる。この壁をたたく音が次の人を入場させる合図なので、大きい音を流すと次の人に聞こえてしまうということで、あえて小さくしている。

 意外とこれでも怖いんだなと考えていると、急に肩に圧力がかかる。

「か、壁を蹴る音がした...!」

「驚くのはそこじゃないでしょ」

 声のほうに驚きなよと思うが、まあ驚いてくれていることには変わりない。このままでいると次のグループと鉢合わせになってしまうので、彼の手首をつかんで連れていく。

 ゴール目前のところまできて、私の意地悪心が目を覚ました。このまま進むと最後のドッキリ要素があるけど、その仕掛けは足元に仕掛けてある。せっかくだから俊君に先に行かせてみたくなってしまった。

「ほら、ここまで来たらゴールだからさ、先に行きなよ」

 私がそういうと、一瞬私の顔をいぶかしんでから先導を切った。私の言葉に安心したのか、ゴール目前だからか少し早い足取りでゴール前の扉に足を踏み入れる。

 パシッ

 段ボールの乾いた音とともに、俊君の足元に鎌がかけられる。

「ひゃぁ」

 女子でも出ないような高い声を出して俊君が後ずさりしてくる。教室のいたるところから声を潜めた笑いが起こる。この声外まで漏れてないよなぁと心配しながら、後ずさりしてきた彼に教えてあげる。

「最後の扉の前の仕掛けはここを踏まなければいいだけ」

 一か所だけ不自然に段ボールの床を避けて扉を開けると、明るい廊下に出る。俊君も取り残さないように、外まで引っ張り出す。遮光カーテンを開けた時ぐらいに日の光がまぶしい。

 外に出ると同時に俊君の手を放す。

「ほら終わったよ?」

「う、うん」

 まだ心が取り残されているかのように、ぶるぶるとしている。しかし、次に彼の口から出た言葉はこれだった。

「めっちゃ楽しかった~」

「えぇ?!」

 思わず聞き返してしまった。まるで私がホラー苦手な人を無理やり連れてきたかのような状態だったのに、本当に楽しいと思えたのだろうか。

「もちろん。すごい怖かったけどめっちゃ楽しかったよ」

 なんなんだこの人は。普段の部活の冷たい感じと、橘君と戯れてる時と、助けてくれた時と、怯えている時と今で全然違う印象の彼が同時に浮かぶ。氷のあだ名がふさわしくないほどいろんな彼が垣間見える。

「俊君ってそんな口調だったっけ」

 すると、彼は軽く頭を振ってからいつもの口調に戻す。

「いつもこんな感じ」

「そうですか」

 最初から冷たい人って印象があったけど、根まで完全に凍えている人ではないということだけはわかった。

「じゃあそろそろ文化祭も終わるし、わかれようか」

 私が言うと、ただ彼は手を振って自分のクラスのほうに歩いていった。元に戻っちゃったかなと思ったけど、すぐに表れた橘君と戯れる様子を眺めて少しほっこりした気持ちになる。

キーンコーンカーンコーン

「これにて文化祭は閉会となります」

 チャイムのすぐ後に文化祭実行委員長の閉会の言葉がかかる。私のクラスはすべての人をさばききれず、入れなかった人に余った脅かし道具などを分けていた。ああいうゴミすら祭りのにおいを帯びると宝になる。

 教室に入ると、わたしよりも先に桃花と美雪が片づけをしていた。彼女らのところに駆け寄って手伝いに入る。話しかけようかと思ったけど、さっきまでのいろんな気持ちがあふれかえりそうで、ひたすら手を動かし続けた。

 お祭りが終われば黒幕も段ボールも輝きを失ってしまう。それらをバラバラにしてゴミ袋に詰めていくと、大きなごみ袋三つに教室中の仕掛けが入ってしまうと、高揚感が抜けてすっきりした気持ちに落ち着かされる。

 片づけが終わると任意解散ということだったので、桃花と美雪を捕まえて肩を組む。

「一緒に帰ろ」

「いいわよ」

「もちろん」

 ゴミ袋にしまわれたお祭り気分は、三人でいるだけで戻って来るのだった。
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