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第一部 - 絶望の底で、僕らは出会った
9話 - レベリングの果てに
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「もし、そこのお方。相当な武練を積んだ僧とお見受けします。その道士服…… 東の果てのお国の方でしょうか?」
さすがロランは物知りだが、下手に彼女を刺激しないでほしい。僕の心配を他所に、ふよふよと無防備に彼女の方へ近づいていった。
少女は完全に無視してただ突っ立っている。ロランはまるで花街の商人のように近づき、気楽な口調で話しかけ始める。
「あなた、冒険者の方ですか? どうもそういう風には見えないんですよね…… キョンシーというモンスターを文献で読んだことがありますが、それに似ているような。あ、これは失敬、私はロランと申しまして、見ての通り死に損ないの……」
「稽古の邪魔」
彼女が拒絶の言葉を発したと思ったその瞬間。音を立てて鋭く踏み込むと同時、両手を胸の中心に構え、一切の間も無くロランに向かって突きだした。流れるような、それでいて一瞬のうちに完結する洗練された動き。踏み込んだ地面にヒビが入り、ロランの胴体に双掌打が炸裂した。激しい風圧が吹き荒れ、衝撃に思わず顔を腕で防ぐ。
もう一度広場の方を見ると、ロランの身体はすでに霧散し、僅かな靄の残滓が漂うばかりであった。
「え…… 消えた? ロラン⁉︎」
ニャスカが叫ぶ。
「ロラン……え、うそでしょ、そん、な……」
(――あいつ……‼︎)
ニャスカが身を低く屈め、残り少ないナイフを投擲せんと構えている。
僕も片方の手で剣を強く握りしめる。ロラン……!
「……ふぅー! あぶないところでしたぁ」
唐突に、ロランの頭が地面からニュッと生えてきた。
「……っ! おいてめぇ、紛らわしいんだよ! アタシはてっきり……!」
「死ぬわけ無いじゃないですか。もうこの通り死んでますしね、ハハハ」
ニャスカは激怒しているが、とにかく無事で良かった。そう思いホッとしたのだが、よく見てみるとロランは首より下の身体を出現させない上に、その霊体の密度というか、存在感がだいぶ薄くなっている。
「いやー、消えはしなかったんですけどね。危うく、あの衝撃だけで散り散りに掻き消えるところでした。あの、ちょっと…… 私、休みますね」
「けっ、使えねぇー! ジル、いくよ!」
そういうと、ニャスカは少女のいる方へと歩き出そうとする。
おそらく一撃で、物理攻撃を完全に無効化するはずのロランの身体から、そのマナの大部分を削りとったということだ。もう滅茶苦茶な威力である。こちらから攻撃すべきじゃない、そう思いニャスカの肩を慌てて掴む。
「安心しろ、いきなり仕掛けるつもりはねぇって」
そう言うと、少女の間合の外で立ち止まってからニャスカが呼びかける。
「ちょっとアンタ! 話がしたいんだけど!」
僕も何かしらの意思を伝えようと、敬礼のように頭をペコペコと下げる。しばらくの沈黙の後、彼女が目線だけをこちらにやり呟く。
「何」
少女は全くの無表情で、極めて端的な言葉で返してきた。ニャスカが立ち上がって向き直る。
「まずあんた、名前はなんての?」
「自分から名乗るのが礼儀」
「へっ! いいだろ。あたしは大盗賊の頭、ニャスカ様だ! こっちの骨はジル」
ニャスカは胸を目一杯張って自己紹介する。一応僕も、改めて騎士なりの礼をしておくことにする。
「……シュエ。ユー・シュエ」
少し不思議な響きの名前だ。シュエ、というのが彼女の呼び名と思っていいのだろう。顔に生気こそないものの、彼女もまた意思あるアンデッドということなのだろうか。
「そのお名前、はやり東の果ての国のご出身ですな」
ロランが合点の言ったようにふむふむと頷く。まだ上半身しか地面から出ていない。
変わった格好の彼女をしげしげと眺めながら、ニャスカがシュエに近づく。
「ところで、これなんだ? なんでお札をぴらぴらさせてんだよ」
「触らないで」
「いいじゃんかよ、ちょっと見せてみろって」
手を伸ばしたその瞬間、シュエの身体が下に沈み込み、手はニャスカの腕に優しく添えられたように見えた。同時に、片足は足はニャスカの股下に深く潜り込む。目で追えたのはそこまでで、気づくとニャスカはぐるりと回転して地面に背中をつけており、シュエが頭を踏みつけようとしていた。が、果たして、その足は空中で止まっていた。
ロランが両手を胸の前で握りしめている。ニャスカの顔の目の前に展開された膜がシュエの踏みつけから守っていたが、やがて弾けるようにして掻き消える。
「お二人とも、やめて下さい。死んでしまいます…… 私が」
なんとか祈祷が間に合ったが、今のだけで相当のマナを消費したのだ。苦しそうな表情のロランからは霧がたちのぼり、一層透けて薄くなっている。
「次は潰す」
「あ……あぁ、悪かったよ……」
ニャスカの顔が完全に引き攣っている。身のこなしにはかなり自信があるはずだが、その彼女を体術で圧倒するとは。
「触られると痛い。嫌な予感がする」
そう言うと、ぷいと背中を向けてしまった。これ以上彼女を刺激しないようにしたいが、いまいち掴みどころが無い。
◆
「で、あんたはなんのためにこんなとこにいんの?」
起き上がったニャスカがシュエに尋ねる。
「強くなるため」
「そりゃこのダンジョンが修行にぴったりなのは分かるけどさ、いくら何でも一人で……」
さらに喋ろうとうするニャスカを、シュエは手で遮った。
「そろそろ、くる」
シュエがそう言って、広間の中央へ向かって歩き出した。
奥の扉の前に、黒い霧が集まる。禍々しいオーラを放ちながら、その中央から再び階層主たる鬼人が姿を表そうとしていた。
先ほど僕らが苦労して倒した個体より、さらに一回り大きい。そして張り裂けんばかりに太い腕には巨大な斧を握りしめている。
「こいつは骨が折れそうですね、ジル?」
あの巨体から振り下ろされれば、骨が折れるどころの話ではない。僕が盾で防御したところで、きっと身体ごと吹き飛ばされてバラバラにされるだろう。
「ったく、楽しくなってきたじゃねーか……」
そういうニャスカの笑みには全く余裕がない。完全に姿を現した鬼人を遠くから睨みつけ、ニャスカがナイフを構える。だが、さらにシュエが単独で前に出る。
「練習の邪魔、しないで」
(練習…… って、もしかしてこいつが練習相手⁉︎)
シュエは、こいつと対等に渡り合えるというのだろうか。いや、この鬼人とシュエでは、そもそも身体のサイズが全く合っていない。いくら彼女が修練を積んでいるからといって、一体どうやって有効な拳打を浴びせるのか見当がつかなかった。いつでも加勢できるように、僕もなんとか剣を構える。
新たな鬼人は、自分の方に真っ直ぐに歩いてくるシュエを敵と認めたようだった。咆哮が広間に響き渡るとほぼ同時、シュエに向かって跳躍する。その巨体に似合わず、ものすごい速度で彼女に肉薄する。既に斧は大上段に構えられている。
――危ない!
シュエが身体全体を捻るように縮めたと思ったのと同時、斧が振り下ろされた。次の瞬間、彼女の輪郭がぶれて前方に伸びた。斧が地面に叩きつけられる。激しい衝撃と共に地面が大きく抉れ、岩石があちこちに飛び散る。しかし、シュエの身体は既にオーガの膝の内側にあった。
「…… ふぅッ‼︎」
裂ぱくの気合いと共に、大木のような緑色の脚に向かってシュエの肘が突き出された。彼女の両足から、叩きつけられた斧よりもさらに大きな亀裂が広がる。彼女の両足は大地に根を張ったかのように沈み込んでいる。鬼人の脚部から骨が砕けるような鈍く嫌な音が響き、そのままあらぬ方向に曲がる。
片膝をついた鬼人は絶叫してシュエを捉えようとするが、彼女は既に鬼人が向いた方にはいない。位置が下がった鬼人の頭の真横で、両手を胸の前に組む。身体を縮め、前方に踏み出す。そのまま、両腕を前後に大きく開きつつ一層激しく踏み込む。右の掌が下顎に吸い込まれた。パァンと乾いた音が鳴り、その頭が真横に回転する。数秒後、その巨体がうつ伏せに倒れ込んだ。
「うっ、わぁー……」
「敵に回さなくて良かったですねぇー、ハハハ」
ニャスカは頭に手を当ててほとんど言葉が出ない様子だ。普段涼しい顔をしているロランすら、今は目が笑っていない。
僕の脚の骨も、この一連の動きを目の当たりにしてカタカタと震え出した。
「よし。前回より早い」
シュエはそう呟きながら鬼人の頭に足を乗せると、深く息を吸い込んだ。反射的にみんなが顔を背ける。
ぐしゃり、と巨大な果物か何かが潰れる音がした。恐る恐るシュエの方を見ると、すでに階層主はまた黒い霧となって空中に散っていくところだった。モンスターに内在していた存在の力が、シュエ一人に取り込まれていく。
「……兄様にはまだ遠く及ばない」
聞こえるか聞こえない程度の呟き。
「けど今は、これが最も高効率」
(まさか、こいつを瞬殺するためだけに……⁉︎)
彼女はこうして、ずっとここに留まって魂の位階を上げ続けているのだろうか。だとすれば、彼女は若干どころか、かなりの戦闘狂ということになる。いったい、何が彼女をそこまで突き動かすのだろうか。
立ちすくんで動けない僕の横から、興奮したニャスカが駆け寄る。
「……すごい! すごいすごい! シュエって言ったよね、キミ、めっちゃ強いじゃん! ねぇ、同じ死人同士さ、一緒にダンジョンを探索してみない⁉︎」
「結構。一人でも強くなれる」
「えーっ、そんなー。それ以上強くなってそれでどうすんのさ?」
「どうもしない。ただ、強くなる」
「……もう死んでるのに?」
それは僕も同じく、そしておそらく、ニャスカ自身やロランも悩んでいたことだ。こんな姿で強くなってその先一体どうするというのか。人前にも出れず、名誉も得られず、ただこのダンジョンで徘徊するだけ。それなのになぜ。
「死んでるかもしれない。よく分からない。でも、そんなことは一切関係ない。ワタシは、強くなりたい……!」
一切の迷いなく、そして出会ってからはじめて聞く大きな声で、きっぱりと言い切った。
その目はただ前だけを真っすぐ見据えている。今の言葉、もしかすると彼女も自分自身に言い聞かせているのだろうか。
その強さへの渇望の裏にどんな事情があるかは推し量れないが、この小さな女の子は躊躇いなく、ただひたすらに武術の極みを追い求めていた。その目的の前に、自身が何者かなどという疑問は問題にすらならないということだ。頭蓋骨をガツンと叩かれたような衝撃を覚えた。
「なるほど、よほど切羽詰まった事情がおありのようですな?」
「知る必要はない」
何かを聞き出したかったのだろうロランには一瞥すらくれない。
「……あと、弱者のお守りは嫌」
「弱者、ってキミ…… 随分はっきり言ってくれるじゃないの。なんならさっきの決着、今からつけても…… って、あれ?」
ニャスカはシュエの言葉に半分キレているが、彼女の挑発を他所に、シュエは僕のほうにツカツカと歩いていくる。
「さっきのやつ、一人で殺せるなら考える」
(いや、無理だ…… でも……!)
胸が熱く鼓動する。頭では不可能だと分かっている。でも、やらなければならない。
「腐ったヒト、弱いけど悪くはない。でも、骨。アナタは全然駄目」
「だぁーれが腐ったヒトだ! アタシのことはニャスカ様と呼べ‼︎」
遠くでニャスカがキレているが、全然ダメと言われた僕も流石にむっとする。それなりにここまで戦ってきて、三人編成ながら第六層の最奥まで探索できているのだ。騎士であれば一人前と言ってもいいはずだ。第一、僕の動きはまだ全く彼女に見せていないのだ。
だが。歩き方や構えからその人の鍛錬の度合いが分かると言うことだろうか。たしか、騎士団の教官も前に似たようなことを言っていた。
それに事実、僕は同じ敵に対してただ盾で耐えて、そして腕を吹っ飛ばされただけだ。このままじゃシュエどころか、ニャスカやロランとだって一緒に戦う資格がない。僕は死んだ。死んでからでもいいから、立派な一人前の騎士になりたい。ただ黙ってここで朽ちていくのか? それは嫌だ!
横で成り行きを見守っていたロランが、僕の肩に手を置いて微笑む。
「ジル、これは神があなたに授けられた試練です。なに、骨は拾ってあげますよ」
試練。そうかもしれない。僕はもっと強くならなければならない。少なくともみんなを護り通せるぐらいには。
ニャスカが上目遣いで迫りながら続けて言う。
「ジル…… 覚悟、決めよっか! それにさ、あんな風に戦えたらキミ、めちゃくちゃカッコいいよ~?」
……よし。覚悟完了だ。シュエにもニャスカにも、そうまで言われて引き下がる訳にはいかない。とにかくここは、男を見せてやる!
◆
なんとしてもこの少女を仲間に引き入れたいロランとニャスカの策略に押され、あるいは僕自身から沸き起こる熱量によって、僕の武者修行が始まった。だが端的に言えば、これは明らかな間違いだった。
まず一戦目。防御が間に合わず一撃で腰を砕かれ、骨を散らされた。ロランが防護祈祷を張って時間を稼いでいる間に、ニャスカが骨を拾い。横からシュエが鬼人を倒しておしまいとなった。
二回目の挑戦では幾らかマシになり、斧の攻撃を一回は避け、一回だけ盾でなんとか受け流した。敵の脚を剣で一度だけ傷つけ、敵を怒らせたところで勝負あり。斧で首の骨をふきとばされ、以下同様。骨を回収してもらった後にとうとう僕は昏倒してしまった。
意識を失う直前に、みんなの声が聞こえてきた。
「足運び、無駄が多すぎ」
「神よ、哀れなるこの者にどうかお慈悲を」
「あっちゃー、こりゃ無理かな……」
(今回の眠りは、長く、なりそう……だ……)
さすがロランは物知りだが、下手に彼女を刺激しないでほしい。僕の心配を他所に、ふよふよと無防備に彼女の方へ近づいていった。
少女は完全に無視してただ突っ立っている。ロランはまるで花街の商人のように近づき、気楽な口調で話しかけ始める。
「あなた、冒険者の方ですか? どうもそういう風には見えないんですよね…… キョンシーというモンスターを文献で読んだことがありますが、それに似ているような。あ、これは失敬、私はロランと申しまして、見ての通り死に損ないの……」
「稽古の邪魔」
彼女が拒絶の言葉を発したと思ったその瞬間。音を立てて鋭く踏み込むと同時、両手を胸の中心に構え、一切の間も無くロランに向かって突きだした。流れるような、それでいて一瞬のうちに完結する洗練された動き。踏み込んだ地面にヒビが入り、ロランの胴体に双掌打が炸裂した。激しい風圧が吹き荒れ、衝撃に思わず顔を腕で防ぐ。
もう一度広場の方を見ると、ロランの身体はすでに霧散し、僅かな靄の残滓が漂うばかりであった。
「え…… 消えた? ロラン⁉︎」
ニャスカが叫ぶ。
「ロラン……え、うそでしょ、そん、な……」
(――あいつ……‼︎)
ニャスカが身を低く屈め、残り少ないナイフを投擲せんと構えている。
僕も片方の手で剣を強く握りしめる。ロラン……!
「……ふぅー! あぶないところでしたぁ」
唐突に、ロランの頭が地面からニュッと生えてきた。
「……っ! おいてめぇ、紛らわしいんだよ! アタシはてっきり……!」
「死ぬわけ無いじゃないですか。もうこの通り死んでますしね、ハハハ」
ニャスカは激怒しているが、とにかく無事で良かった。そう思いホッとしたのだが、よく見てみるとロランは首より下の身体を出現させない上に、その霊体の密度というか、存在感がだいぶ薄くなっている。
「いやー、消えはしなかったんですけどね。危うく、あの衝撃だけで散り散りに掻き消えるところでした。あの、ちょっと…… 私、休みますね」
「けっ、使えねぇー! ジル、いくよ!」
そういうと、ニャスカは少女のいる方へと歩き出そうとする。
おそらく一撃で、物理攻撃を完全に無効化するはずのロランの身体から、そのマナの大部分を削りとったということだ。もう滅茶苦茶な威力である。こちらから攻撃すべきじゃない、そう思いニャスカの肩を慌てて掴む。
「安心しろ、いきなり仕掛けるつもりはねぇって」
そう言うと、少女の間合の外で立ち止まってからニャスカが呼びかける。
「ちょっとアンタ! 話がしたいんだけど!」
僕も何かしらの意思を伝えようと、敬礼のように頭をペコペコと下げる。しばらくの沈黙の後、彼女が目線だけをこちらにやり呟く。
「何」
少女は全くの無表情で、極めて端的な言葉で返してきた。ニャスカが立ち上がって向き直る。
「まずあんた、名前はなんての?」
「自分から名乗るのが礼儀」
「へっ! いいだろ。あたしは大盗賊の頭、ニャスカ様だ! こっちの骨はジル」
ニャスカは胸を目一杯張って自己紹介する。一応僕も、改めて騎士なりの礼をしておくことにする。
「……シュエ。ユー・シュエ」
少し不思議な響きの名前だ。シュエ、というのが彼女の呼び名と思っていいのだろう。顔に生気こそないものの、彼女もまた意思あるアンデッドということなのだろうか。
「そのお名前、はやり東の果ての国のご出身ですな」
ロランが合点の言ったようにふむふむと頷く。まだ上半身しか地面から出ていない。
変わった格好の彼女をしげしげと眺めながら、ニャスカがシュエに近づく。
「ところで、これなんだ? なんでお札をぴらぴらさせてんだよ」
「触らないで」
「いいじゃんかよ、ちょっと見せてみろって」
手を伸ばしたその瞬間、シュエの身体が下に沈み込み、手はニャスカの腕に優しく添えられたように見えた。同時に、片足は足はニャスカの股下に深く潜り込む。目で追えたのはそこまでで、気づくとニャスカはぐるりと回転して地面に背中をつけており、シュエが頭を踏みつけようとしていた。が、果たして、その足は空中で止まっていた。
ロランが両手を胸の前で握りしめている。ニャスカの顔の目の前に展開された膜がシュエの踏みつけから守っていたが、やがて弾けるようにして掻き消える。
「お二人とも、やめて下さい。死んでしまいます…… 私が」
なんとか祈祷が間に合ったが、今のだけで相当のマナを消費したのだ。苦しそうな表情のロランからは霧がたちのぼり、一層透けて薄くなっている。
「次は潰す」
「あ……あぁ、悪かったよ……」
ニャスカの顔が完全に引き攣っている。身のこなしにはかなり自信があるはずだが、その彼女を体術で圧倒するとは。
「触られると痛い。嫌な予感がする」
そう言うと、ぷいと背中を向けてしまった。これ以上彼女を刺激しないようにしたいが、いまいち掴みどころが無い。
◆
「で、あんたはなんのためにこんなとこにいんの?」
起き上がったニャスカがシュエに尋ねる。
「強くなるため」
「そりゃこのダンジョンが修行にぴったりなのは分かるけどさ、いくら何でも一人で……」
さらに喋ろうとうするニャスカを、シュエは手で遮った。
「そろそろ、くる」
シュエがそう言って、広間の中央へ向かって歩き出した。
奥の扉の前に、黒い霧が集まる。禍々しいオーラを放ちながら、その中央から再び階層主たる鬼人が姿を表そうとしていた。
先ほど僕らが苦労して倒した個体より、さらに一回り大きい。そして張り裂けんばかりに太い腕には巨大な斧を握りしめている。
「こいつは骨が折れそうですね、ジル?」
あの巨体から振り下ろされれば、骨が折れるどころの話ではない。僕が盾で防御したところで、きっと身体ごと吹き飛ばされてバラバラにされるだろう。
「ったく、楽しくなってきたじゃねーか……」
そういうニャスカの笑みには全く余裕がない。完全に姿を現した鬼人を遠くから睨みつけ、ニャスカがナイフを構える。だが、さらにシュエが単独で前に出る。
「練習の邪魔、しないで」
(練習…… って、もしかしてこいつが練習相手⁉︎)
シュエは、こいつと対等に渡り合えるというのだろうか。いや、この鬼人とシュエでは、そもそも身体のサイズが全く合っていない。いくら彼女が修練を積んでいるからといって、一体どうやって有効な拳打を浴びせるのか見当がつかなかった。いつでも加勢できるように、僕もなんとか剣を構える。
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――危ない!
シュエが身体全体を捻るように縮めたと思ったのと同時、斧が振り下ろされた。次の瞬間、彼女の輪郭がぶれて前方に伸びた。斧が地面に叩きつけられる。激しい衝撃と共に地面が大きく抉れ、岩石があちこちに飛び散る。しかし、シュエの身体は既にオーガの膝の内側にあった。
「…… ふぅッ‼︎」
裂ぱくの気合いと共に、大木のような緑色の脚に向かってシュエの肘が突き出された。彼女の両足から、叩きつけられた斧よりもさらに大きな亀裂が広がる。彼女の両足は大地に根を張ったかのように沈み込んでいる。鬼人の脚部から骨が砕けるような鈍く嫌な音が響き、そのままあらぬ方向に曲がる。
片膝をついた鬼人は絶叫してシュエを捉えようとするが、彼女は既に鬼人が向いた方にはいない。位置が下がった鬼人の頭の真横で、両手を胸の前に組む。身体を縮め、前方に踏み出す。そのまま、両腕を前後に大きく開きつつ一層激しく踏み込む。右の掌が下顎に吸い込まれた。パァンと乾いた音が鳴り、その頭が真横に回転する。数秒後、その巨体がうつ伏せに倒れ込んだ。
「うっ、わぁー……」
「敵に回さなくて良かったですねぇー、ハハハ」
ニャスカは頭に手を当ててほとんど言葉が出ない様子だ。普段涼しい顔をしているロランすら、今は目が笑っていない。
僕の脚の骨も、この一連の動きを目の当たりにしてカタカタと震え出した。
「よし。前回より早い」
シュエはそう呟きながら鬼人の頭に足を乗せると、深く息を吸い込んだ。反射的にみんなが顔を背ける。
ぐしゃり、と巨大な果物か何かが潰れる音がした。恐る恐るシュエの方を見ると、すでに階層主はまた黒い霧となって空中に散っていくところだった。モンスターに内在していた存在の力が、シュエ一人に取り込まれていく。
「……兄様にはまだ遠く及ばない」
聞こえるか聞こえない程度の呟き。
「けど今は、これが最も高効率」
(まさか、こいつを瞬殺するためだけに……⁉︎)
彼女はこうして、ずっとここに留まって魂の位階を上げ続けているのだろうか。だとすれば、彼女は若干どころか、かなりの戦闘狂ということになる。いったい、何が彼女をそこまで突き動かすのだろうか。
立ちすくんで動けない僕の横から、興奮したニャスカが駆け寄る。
「……すごい! すごいすごい! シュエって言ったよね、キミ、めっちゃ強いじゃん! ねぇ、同じ死人同士さ、一緒にダンジョンを探索してみない⁉︎」
「結構。一人でも強くなれる」
「えーっ、そんなー。それ以上強くなってそれでどうすんのさ?」
「どうもしない。ただ、強くなる」
「……もう死んでるのに?」
それは僕も同じく、そしておそらく、ニャスカ自身やロランも悩んでいたことだ。こんな姿で強くなってその先一体どうするというのか。人前にも出れず、名誉も得られず、ただこのダンジョンで徘徊するだけ。それなのになぜ。
「死んでるかもしれない。よく分からない。でも、そんなことは一切関係ない。ワタシは、強くなりたい……!」
一切の迷いなく、そして出会ってからはじめて聞く大きな声で、きっぱりと言い切った。
その目はただ前だけを真っすぐ見据えている。今の言葉、もしかすると彼女も自分自身に言い聞かせているのだろうか。
その強さへの渇望の裏にどんな事情があるかは推し量れないが、この小さな女の子は躊躇いなく、ただひたすらに武術の極みを追い求めていた。その目的の前に、自身が何者かなどという疑問は問題にすらならないということだ。頭蓋骨をガツンと叩かれたような衝撃を覚えた。
「なるほど、よほど切羽詰まった事情がおありのようですな?」
「知る必要はない」
何かを聞き出したかったのだろうロランには一瞥すらくれない。
「……あと、弱者のお守りは嫌」
「弱者、ってキミ…… 随分はっきり言ってくれるじゃないの。なんならさっきの決着、今からつけても…… って、あれ?」
ニャスカはシュエの言葉に半分キレているが、彼女の挑発を他所に、シュエは僕のほうにツカツカと歩いていくる。
「さっきのやつ、一人で殺せるなら考える」
(いや、無理だ…… でも……!)
胸が熱く鼓動する。頭では不可能だと分かっている。でも、やらなければならない。
「腐ったヒト、弱いけど悪くはない。でも、骨。アナタは全然駄目」
「だぁーれが腐ったヒトだ! アタシのことはニャスカ様と呼べ‼︎」
遠くでニャスカがキレているが、全然ダメと言われた僕も流石にむっとする。それなりにここまで戦ってきて、三人編成ながら第六層の最奥まで探索できているのだ。騎士であれば一人前と言ってもいいはずだ。第一、僕の動きはまだ全く彼女に見せていないのだ。
だが。歩き方や構えからその人の鍛錬の度合いが分かると言うことだろうか。たしか、騎士団の教官も前に似たようなことを言っていた。
それに事実、僕は同じ敵に対してただ盾で耐えて、そして腕を吹っ飛ばされただけだ。このままじゃシュエどころか、ニャスカやロランとだって一緒に戦う資格がない。僕は死んだ。死んでからでもいいから、立派な一人前の騎士になりたい。ただ黙ってここで朽ちていくのか? それは嫌だ!
横で成り行きを見守っていたロランが、僕の肩に手を置いて微笑む。
「ジル、これは神があなたに授けられた試練です。なに、骨は拾ってあげますよ」
試練。そうかもしれない。僕はもっと強くならなければならない。少なくともみんなを護り通せるぐらいには。
ニャスカが上目遣いで迫りながら続けて言う。
「ジル…… 覚悟、決めよっか! それにさ、あんな風に戦えたらキミ、めちゃくちゃカッコいいよ~?」
……よし。覚悟完了だ。シュエにもニャスカにも、そうまで言われて引き下がる訳にはいかない。とにかくここは、男を見せてやる!
◆
なんとしてもこの少女を仲間に引き入れたいロランとニャスカの策略に押され、あるいは僕自身から沸き起こる熱量によって、僕の武者修行が始まった。だが端的に言えば、これは明らかな間違いだった。
まず一戦目。防御が間に合わず一撃で腰を砕かれ、骨を散らされた。ロランが防護祈祷を張って時間を稼いでいる間に、ニャスカが骨を拾い。横からシュエが鬼人を倒しておしまいとなった。
二回目の挑戦では幾らかマシになり、斧の攻撃を一回は避け、一回だけ盾でなんとか受け流した。敵の脚を剣で一度だけ傷つけ、敵を怒らせたところで勝負あり。斧で首の骨をふきとばされ、以下同様。骨を回収してもらった後にとうとう僕は昏倒してしまった。
意識を失う直前に、みんなの声が聞こえてきた。
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とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
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