天敵Darling!?

芽生 青

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第1話 とんだお見合い!?

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 誰にだってあるだろう。
 思い出したくない思い出のひとつやふたつ。
 出来ることなら死ぬまで思い出したくもないし、忘れていられるならそれに越したことのない汚点。

 30歳の春。
 思い出したくもない思い出を刺激された美月みつきの人生は、このとき有り得ない方向に大きく動くことになる。

 それは突然の出来事だった。
 

「美月、ちょっと」
「なに?」
 笹森ささもり美月は部屋で寛いでいるところを父に声をかけられた。
「悪いけど下に下りてきてくれないか」
「わかった」
 何だろう?と訝しみながら階段を下りると父と母は神妙な面持ちでソファーに座っていた。
「何?」
「ちょっと話があるんだが……まあ座れ」
 父に促されるままに両親が座っている向かいのソファーに座る。
 何だか妙な空気が流れているように感じる。
 しばしの沈黙。
「……何よ?」
 重い空気を打破するように美月は言った。
 父と母は何かを口にするのを躊躇っているようにも感じた。そして目配せをし、父が口を開いた。
「……あのな、美月……お前に頼みがあるんだが」
「何?」
「実はな……」
 そして父はそれを口にした。
「お前にある人と結婚して欲しいんだ」
「はあ?」
 父の言葉に美月は呆気に取られた。
「だから結婚してくれ」
「何で?何で私が結婚しないといけないの?」
「今父さんの会社が危ないんだ」
 父は神妙な面持ちで話し始めた。
「それでな、ある人が資金援助をしてくれるって言うんだけどな、その条件っていうのがお前との結婚だ」
「……なんで?」
 美月は思いっきり顔をしかめた。
 何故私なのか?
 美月には妹がいる。どちらかと言えば行かず後家と揶揄されながらもふてぶてしくパラサイトシングルを決め込んでいる美月とは違い、妹の美香はまだ二十代と若い。
 なのに何故?
「結婚なら私じゃなくて美香でいいでしょ」
「いや、お前がいいと……向こうさんが……」
「はあ?」
 ますます意味がわからない。
「ま、今度の日曜に会って……」
「やだね。仕事だし」
「何とか休めないか?」
「無理!!」
 
 美月は図書館司書だ。
 意外と知られていないかも知れないが、図書館業務というものは肉体労働と言っても過言ではない。
 ただカウンターで本の貸し出しと返却処理をしているだけでなく、配架、書架整理というものもある。
 この配架と書架整理というものが肉体労働だ。
 配架は返却された本を書架に戻すのだが、まずその本がどこの書架に属するのか覚えておかなくてはならず、もし間違えると遠回りをし、無駄足を踏むこともある。
 とにかく歩く。ブックトラックを押してとにかく歩く。そんなに本がない場合は本を抱え、とにかく歩く。
 書架整理はある意味スクワットと同じだ。
 書架の一番上から一番下まで本を綺麗に並べる。
 立ったり中腰になったりしゃがんだり。
 それを繰り返すとスクワットと同じ効果があるように思えてくる。
 美月も図書館に勤め始めた頃はこの配架と書架整理のお陰で痩せたくらいだった。
 一日一万歩以上歩き、何十回とスクワットをする。
 それに加えて書庫から本を出してきたり利用者の所望する本を探したり書架を案内したり。あとレファレンス業務というものもあり、そのほかにも一般に知られていない仕事も多数存在する。
 特に美月の勤める図書館は公共図書館で土日はもちろん開館している上、大変混雑している。
 カウンターに入れば息つく間もないほどに貸し出し、返却のための列を成し、もちろん返却も多いのでその分配架業務が増える。
 書架もかなり乱れており、整理も大変なのだ。
 土日のみのアルバイトを雇っているほどに忙しく、そんな中望んでもいない見合いなどで休むことなど、美月には出来そうもない。気持ちの面で。

「そこを何とかならんか?」
「無理。今度の日曜は出勤日だから無理」
「じゃあお前の休みの日だったらいいのか?」
「……てか……何で私?」
 まずはその疑問からだった。
 ただ結婚してくれ、では納得がいかない。
「……それは……」
 思わず息を飲む。相手方は一体何が良くて自分を見初めたのか。随分奇特な奴だ。悲しいかな、美月自身そう思った。

 正直なところ、美月は自他共に認める女子力の低い女だった。
 作りは決して悪くはない。十人並みと言ったところだろう。
 しかしながら化粧はするのだが着る服は実用性に富んだもの。動きにくい服やスカートなどもってのほか。専らジーンズやジャージを好む。
 仕事が図書館司書ということからか、どちらかと言えば動きやすさを重視する職業柄であるし、OLの友人の話に聞く、ブランド物にアクセサリー、デート用の服にお金をかけるという生活でなくてよかったと心の底から思っている。
 本人自身の性格もどちらかと言えば『男前』で、友人からはその『男前』度から慕われ、事ある毎に美月に相談を持ちかけるほどで。
 気が付けば二十代後半も過ぎ三十代。
 確かに美月は三十代とは思えないほど若く見える。しかしながら三十代は三十代。
 このままでいいのか?という気持ちもあるにはあるのだが、どうにも結婚がしたいなどというそんな気持ちは全く湧き上がってこない。
 これには理由があるのだが……。
 そんな美月に両親や既に嫁いだ姉、そして妹は心配を隠せなかった。
 男勝りで女子力の低い美月を発破をかけること数十回、いや数百回。それでも美月は知らぬ存ぜぬ。
 暖簾に腕押し糠に釘とはこのことか?とさえ思うほどだった。
 妹の美香はそんな姉とは違い女子力は高い。男からの受けはいいが女からの信用度はイマイチ。
 全く真逆の姉妹ではあるが、意外にも仲はいい。妹はやる気の感じられない姉をいつも心配し、「お姉ちゃんを置いて結婚なんて出来ない」と言い、美月は美月で「美香が結婚してくれないと安心できない」と言う。
 美月より一つ年上の姉の美咲はしっかり者の長女という感じで、25歳で結婚し、26歳で娘を産んだ。早々に嫁いだ自分と違いいつまでも落ち着かない妹二人が心配でならない。実のところ、両親よりもこの姉が一番心配性なのかも知れない。
 根底では似た者姉妹であった。

「それは……」
 美月は父の言葉を待った。
 思わず息を呑む。
「それは……俺にもわからん」
「はあっ!?」
 父の言葉に思わず間の抜けた声が出た。
「わからんって、何それっ!?」
「俺も聞いた。だがあちらさんはお前がいいとしか言わんのだ」
 父ですら困惑した。
 何故美月なのか。
 親の欲目から言えばそこそこの顔立ちではあるが、際立っているところはない。むしろ妹の美香の方が男受けはいい方だろう。
 それなのに美香ではなく美月の方。
 この話を聞いたとき、何度も確認したほどだった。
 しかし相手は間違いなく美月だと言った。
「頼む、会うだけでも会ってくれ」
「えーっ!! だって政略結婚じゃない」
「聞こえは悪いが……そうだな」
「そんな……」
 思わず絶句した。まさか自分の身に政略結婚などという、およそセレブ一家にしか存在しないだろうことが降りかかるとは……。
「美月、頼む」
 父は深々と頭を下げている。土下座しそうな勢いだ。
 美月とて父のそんな姿を見せられては心が痛む。
「……わかった」
「本当かっ!?」
 父は思いっきり顔を上げた。
「でも向こうから『やっぱりコイツじゃ無理』って言ってきても文句言わないでね」
「そりゃあもうっ」
 父は嬉しそうな顔で何度も頷いている。
(仕方がない……)
 美月は嬉しそうな父とは正反対にこの世の終わりのような顔をした。
 

 美月は部屋に戻り、盛大に溜息を吐いた。
 ベッドの上に寝転がり、天井を眺める。
「結婚か……」
 胸が痛んだ。
 美月には結婚を考えられなくなった理由があった。
 二年前だった。
 当時大学の頃から付き合っていた男がいた。
 美月はその男との結婚を考えていた。
 しかしその男は浮気をした。よりによって美月の友人と。
 浮気が本気になり、男は美月に別れを切り出した。
 ここでも男前な美月は泣いてすがることもなく、ただ『わかった』とだけ答えた。
 その後男を寝取った友人が目の前で泣きながら謝罪した。美月はそれをただ呆然とと眺めていた。
 これが女のやることなんだ。
 何となく他人事のように、本当だか嘘だかわからない涙を流すその人を、つまらない昼ドラを観るような心持で見ていた。
 それ以来二人には会っていない。連絡先も消去した。
 
 一応結婚まで考えた男だ。それだけ好きだったとも言える。
 だからだろうか、美月はどこか恋愛に臆病になっていた。結婚なんて言語道断だ。

 そんな自分がお見合い?結婚?意味がわからない。
 家の為とは言え、結婚話が出ていることに、どうにも現実感がなかった。



 急なお見合いは美月の休みの日に決まった。
 そこまでされたら仕方がない。いい男だったら前向きに考えよう。変な相手だったら嫌われるように仕向ければいい。
 美月は腹をくくった。
 お見合い当日。
「ほら、振袖着て」
「絶対ヤダ!! それだけは勘弁してっ!!」
 母がこの日の為に出しておいた成人式のときに着た振袖を全力で拒否する。
「何で?折角だし」
「この年齢になって着れるわけないって!!」
「もう……仕方がないねえ……」
 あまりの拒否振りに母も嘆息する。
 三十路を越えて振袖もあるまい。それに何だか気合が入っているようで。
 とりあえず黒のスーツを選ぶと……
「そんな地味な色やめなさいっ!!」
「何でっ!? 服の色くらい別にいいでしょっ!? 行くだけマシだと思ってよっ!!」
「何言ってるのっ!?見合いよ見合いっ」
「こっちは行きたくて行くんじゃないんだよっ、気合い入ってるみたいでヤダッ!! それにそんなの持ってない」
 やはり全力で拒否する。
「もうっ、美香っあんたのスーツ貸してちょうだい」
 傍観を決め込んでいた美香に母は振った。
「なによ~、いいじゃん、それで」
「よねえ?この年齢で美香が着るようなスーツは無理だわ」
 美月は美香に同意を求めた。
「お姉ちゃんは若く見えるから大丈夫だと思うけどさ、あたしの持ってるのは見合いには向かないわね。コンパじゃないんだし。それに気合い入ってるみたいで痛いわ」
「あんた……自分で言うのもどうかと思うけど……」
 美香の言葉に美月は呆れる。自分で言うか、それを。
「そこらへんはちゃんと自覚してるからね。計算よ計算」
「……あざといわね」
 これが百戦錬磨の実力か。などと本気で感心しそうになった。
「まあいいじゃんそれで。ホントはベージュとかのがいいんだけどね。お姉ちゃんには似合わないし、逆にそれのがいいと思うよ」
「だってさ」
「もう……アンタたちは……」
 母は呆れてたように娘たちを睨んだが、当の二人はどこ吹く風。
「いいわよ……それで」
 結局諦めるしかなかった。
 一見似ていないこの姉妹だが、いざと言うときは二人でタッグを組む。
 こうなると二人揃って頑固者故、引くことはなかった。
 母が引いたことで、二人は顔を見合わせて笑った。
「それよりさ、美香も一緒に行こうよ」
「何でよっ!?」
「だってさ、美香のこと気に入るかも知れないじゃん?」
「あのね~お姉ちゃんに来たお見合いでしょ?」
「だってさあ……」
「いい加減腹括りなって」
「……チェッ……ケチ」
「何とでも」
 子供のような美月に美香は嘆息した。


 お見合いの席は近所でも有名な料亭だった。
『死ぬまでに一回は入りたいわねえ』
 前を通る度にそう言うことが母の口癖のようなものだったが、まさかこういう形で叶うとは……。
 美月は何だか複雑な思いだった。
 通された部屋はこの料亭でも一番の個室だった。
 庭園と言っても過言ではない庭。
「何か……圧倒される……」
 茫然と立ち尽くして庭を眺めていると母にスカートの裾を引っ張られた。
 美月は渋々席に着いた。
 でも、この料亭を選ぶってことは近所の人? 
 この辺りでは有名とは言え、特別知名度が高いわけではない。
 知る人ぞ知る、と言ったところか。
 その『知る人ぞ知る』ってことか。
 美月はさして深く考えなかった。
 つか、呼びつけておいて待たせるってどういうことよ。
 美月は不機嫌そうな顔で庭に目を向けた。
(いい天気だなあ)
 池は太陽の光を反射してキラキラと光っている。庭の桜も満開だ。
(ここでお花見できただけでも儲けもんか?)
 そう思わずにはいられない。
「お連れ様がお着きです」
 仲居……ではなく女将だろうか、上品な女性が襖を開けた。
「お待たせ致しました。急な来客で、遅れて申し訳ない」
 襖の外から姿を現したロマンスグレーの中年の男。
 聞く限り玩具会社の社長なのだそうだが、ただの工務店の社長の自分の父とは随分かけ離れているように感じた。どこで出会ったんだろうか、と思うくらいに共通点はない。
「いや、こちらこそ忙しいのに平日なんかに」
「こっちが言い出したことだ。気にすることないよ」
 父とこの社長のやり取りに驚愕した。
 なんだ、この気さくな感じはっ!?
 目を丸くしている美月にロマンスグレーは気がついて苦笑した。
「何だケンちゃん、俺たちが幼馴染だって娘さんに言ってなかったのか?」
「ああ、そう言えば言ってなかったなあ」
 そう言えば言ってなかっただとっ!?
 美月は父を思いっきり睨みつけた。
「何だか頼もしそうな娘さんじゃないか。気に入った」
「ホント、こんなののどこがいいんだか」
 言いたい放題かっ!? 
 美月は更に父を睨みつけた。
「気の強そうなところは相変わらずだな」
 ロマンスグレーの後ろからククッという笑い声とともに長身の男が姿を現した。
 その声の主に顔を向ける。
「え?」
 誰?
「まさか俺のこと忘れちまったのか?笹森」
「……」
 長身でなかなかのイケメン。意地の悪そうに笑うその男の顔に美月は何となくデジャブを覚えたような気がした。
「……まさか……」
 思い出したくもない顔だった。封印しようとしていた中学時代の辛い思い出が蘇った。
「たか……とお……」
「ご名答」
 その男は、高遠たかとお一馬かずまは意地が悪そうにニヤリと笑った。
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