飴屋あやかし噺

神楽 羊

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人形屋敷ノ事(ニ)

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 僕達はタクシーを使い屋敷へと向かった。それは夜中の2時を過ぎた辺りで、僕は内心こんな時間に確実に悪霊の居る場所へ行くのが怖かった。しかし囚われた順子の友達がいつまでも無事でいるとは思えない、腹を決めタクシーに乗り込む。順子は運転手に行き先を告げるとポケットから御守りを取り出し固く握り締めた。

 それはそうだ、彼氏が得体の知れない化け物屋敷に閉じ込められているのだ。相当辛いだろうな、と僕は思いなんとなくその祈る両手を見てはいけない様な気がして窓の外の流れ去る景色を見るとも無しに眺める。


 カクリヨを出る時に飴屋は一度準備をしてくると言い、僕と順子を車に乗せるとフラフラと闇に消えて行った。本当に掴みどころの無い男だ。

「現地で1時間後にお会いしましょう、玲さん順子さんのエスコートを頼みます。」
 と言うと飴屋はうやうやしくお辞儀をした。

 冷静を装ってはいたが心臓は早鐘の様に脈打っている。初めての事だらけで、その上今から悪霊を祓いに行くのだ。
 落ち着けと必死に自分に言い聞かせ飴屋に応える。

「任せてくれ、彼を取り戻そう。俺も昔は友達と心霊スポットによく行ったけどこんなのあまりに酷すぎる。」

 順子は肩を強張らせ、恐縮しながらつぶらな瞳を涙で滲ませてお礼を言う。

「ご迷惑をおかけしてすみません、こんな馬鹿な事をしてしまって。お二人には感謝してもしきれません、本当にありがとうございます。もう二度と肝試しなんてしません!あいつにもきつく言います。」

「いえいえ良いんですよ、なぜなら人間の本能として恐怖に対する興味や憧れというの物があるのですから。本能なんです惹きつけて離さない、死や此方側には無い物を見たいと思うのが人の性なのですから。だからこそ…いや、では後ほどお会い致しましょう。」



 海沿いに見えるコンビナートのやけに機械じみた風景を見ながら僕は先ほどのやり取りを思い出していた。

 確かに僕自身も神社仏閣が好きで所謂いわゆる神や仏、目に見えずそれでも存在を感じるそれらへの畏怖の念や興味は尽きない。

 その感覚から近からず遠からずの場所に肝試しがあるように感じていたからこそ彼女達を頭ごなしに否定する事など出来なかった。

 僕と彼女の決定的な違いは悪い霊によって行方不明者を出してしまった事だけだ。

「順子ちゃん大丈夫だ、きっと彼氏も無事で居るよ。飴屋が何とかしてくれる。」

 御守りを握っているのを知らないフリをして僕は言った。

「はい…でも怖くて。もし酷い目に遭っていたらとかもしかしてもう生きていないんじゃないかとか思ったら不安に押し潰されそうで。なんでこんな事しちゃったんだろう。」

 と言うと彼女はしくしくと泣き出してしまった。車内に何とも言えない空気が流れる。

 僕は現場に到着するまで彼女を励まし大丈夫だと声をかけ続ける事しか出来なかった。

 そしてタクシーは人形屋敷の手前にある階段の下へと辿り着く。

 順子を先に降ろし料金を払っている時、白髪混じりの人の良さそうな運転手が
「あんな可愛い女の子泣かせちゃダメだよ。」

 と優しく諭すように言った、僕は何も答えられずどんな感情か分からない情けない笑みを浮かべてタクシーを降りた。



 そこにはもう飴屋が先に来ていて先ほどまで被っていなかった山高帽を被りベストを身に付けている。

 まるで絵画の中の英国紳士が抜け出てきたようで僕はしばし見惚れていた。

「順子さん玲さんそれでは向かいましょうか、お友達を助けに。まず初めにこの飴を舐めていただけますか?これは此世のものでは無い者達を見えるようにする為の飴です。」

 突然の事で順子は驚いている、それはそうだ。酔った勢いの与太話みたいな事を素面で言われているのだ、''経験"が無ければ信じられないだろう。
 
それでも彼女は素直に飴を口に放り込んだ。

 僕はあの時の光景が不意にフラッシュバックし脂汗が出て来る。

「ああ、玲さんにも一応渡しましたがきっと貴方はちゃんと視えると思いますから食べなくても結構ですよ、お気遣い出来なくて申し訳ありませんでした。」
 と言うと飴屋は帽子を軽く持ち上げた。

 閑静な住宅街の中に突如として現れる異質な森、遠くで犬が遠吠えをした。酷くジメジメとした夜だ。

 大きく深呼吸をすると僕は緩い階段を登り始める、右手には黄色と黒の工事用フェンスが張り巡らされていて森を囲っているようだ。階段の半ば辺りにバーで順子が話してくれた破れ目があった。

網目から森を眺めると思っていたより近くに屋敷があり目と鼻の先に禍々しい井戸があった、蓋が閉じられているもののどう考えてもホラー映画に出てくるシチュエーションだ。

順子も飴の効果なのかそちらを意識的に見ないようにしている。

「それではこの勝手口の方から彼等のお屋敷にお邪魔するとしましょう。」

井戸の左手に朽ちかけた扉がありそれを開けると嫌な軋みを立ててドアが開いた、僕と順子は固唾を飲む。

 突き当たりまで暗闇を塗り込めた様な真っ暗い長い廊下が続いていた。

 廊下の向こうを見ると何故か目眩がした。

 飴屋は持って来た古びたガスのランタンに火を付ける。彼曰くこの灯りだと彼等を刺激しないらしい。飴屋を先頭に順子を挟むように僕達は廊下を歩いて行った。
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