彼がスーツに着替えたら

森野きの子

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投げられた賽3

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「おはようございます」
 冴子は、三人のブリリアントオーラに目を潰されそうになりながら挨拶をしたが、返事はなかった。松原は華麗に素通りする。
「えっ! あっ! あっつ!!」
 右に秋元、左は結城、それぞれ肩をぶつけられ、素っ頓狂な声を上げる。トレイの上のカップが倒れた。熱いコーヒーが冴子のジャケットやスカートを汚した。
「あーもうヤダぁ。邪魔」と秋元。
「早く冷やした方がいいよー。医務室行ってきな~」と結城が悪びれることなく言った。
「古巣で着替え、借りてくれば? 事・務・員・さ・ん」と松原が振り返って笑った。三人の高笑いが遠ざかる。
 確かに熱かったがもう冷めかけた。冴子は廊下の絨毯にトレイを置き、ジャケットを脱いだ。通りかかった仲良しの清掃員の石橋が驚いて駆け寄ってくる。
「どうしたの!? あらららら、やけどしてない? 床、やっとくから冷やして着替えておいで!」
「石橋さん。ごめんね。仕事増やしちゃった」
「んなこたいいから早く冷やしてきな! やけど甘くみちゃダメだよ!」
「あ、ああ。うん。ごめん。ありがとう」
 気が動転していてぎこちない返答しかできなかった。騒ぎを聞きつけたのか、若手の男性社員の立花がやって来て、トレイとカップの片づけを引き受けてくれた。
 冴子は松原たちがいる更衣室には行かず、そのまま庶務課に行き、備品に予備の制服はないか問い合せた。幸い、事務員の制服の予備があったが、白いカラーシャツもベストとジャケットとスカート一式、買取りの上、シャツとベストとジャケットは普段胸に合わせて買うところのワンサイズ小さめしかないが、試着も叶わないので、購入するしかない。一緒に購入したストッキングは対葬儀用か薄手の25デニール。絶対寒いじゃん、と心の中で文句をいいつつ、医務室で胸の間とみぞおち付近と両腕を冷やし、制服に着替えて、絶望した。
 最近の既製服は細身な作りをしているのか、肩やウエスト周りは問題ないのに、胸が押し出される。無理にボタンを留めようとすれば、谷間が強調され、ボタンの間と間に隙間ができてしまう。仕方なくボタンを二つ外すと、谷間をアピールしているように見えた。ベストを着てもあまり代わり映えしない。しかも何故かスカートは更に小さいサイズで、ウエストは絞りあげられ、丈も若干短い。鏡を見て冴子は思う。

 どう見ても、えっちなやつ。薄手の黒いストッキングがいわせる。痴女じゃん。―――と。

 どうしたものかと頭を抱えていると、社内用の携帯電話が鳴った。大槻からだ。
「はい。桐原です」
「大槻です。あなた、今どこで何をしてらっしゃるのですか。社長がお待ちですよ」

 ――――詰んだ――――。

 気が遠くなりかけた冴子の脳裏に、その一言だけが浮かぶ。

「申し訳ありません。実はコーヒーをこぼしてしまって、今、庶務課に制服を買いに行っておりまして……」
「買えたのですか?」
「は、はい。一応」
「それでは速やかに着替えを済ませてこちらにお戻りください」

 ――――詰んだ――――。

 二度目もそれしか出てこなかった。大槻が通話を切った。

 仕方なくジャケットの前を閉じ、胸元を隠しながら最上階へ戻った。
 これは、私の趣味じゃないんです! と心の中で叫びながら――。
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