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 玄関のドアを開けると、奥の部屋に正座で座っている女性の背中があった。懐かしい母の背中だ。アイロンがけをしている。私は制服を着ている。高校生だ。ああ、お母さんが生きている。と安堵で胸を撫で下ろす。ただいまと声をかけても返事はない。母に近づき、肩越しに手元をのぞきこんでみると、ごしごしとアイロンでシーツをこすっている。お母さんどうしたの? ともう一度声をかける。汚いの。汚いのよ、と静かに怒りを込めた声で振り向く。顔が分からない。

 ハ、と息を吸い込んで目が覚めた。薄明かりの朝の青い空気の中、見慣れた天井を見つめる。夢だとわかってホッとした。二度寝は時間調節を誤ると怠さが残る。もう少し寝ていたい気もしたけれど、また訳のわからない奇妙な夢を見るのは嫌だった。

 小野塚くんは私を抱き枕だと思っているんじゃないだろうか、などと考えながら、重い腕から抜け出してトイレに行くと、生理がきたっぽい。トイレットペーパーにべったりついた薄い赤い半透明の粘液。始まるのが少し早いような。そして、思い当たる。あ、これ、もしかして、違う。

 シャワーを浴びた後、再びトイレに入り、頭上に取り付けた突っ張り棒の簡易棚の袋からパンティライナーを取り出して、クロッチにつける。生理だと思わなくもないけれど、腰の重だるさも下腹の奥の鈍い疼きも別物だ。なんだか変な感じ。

 トイレを出ると、奥の部屋では、ベッドマットの上で身体を起こした小野塚くんが目の辺りを擦っているところだった。

「んー。おはよー。井上さん、ちゃんと起きててえらいね」

 といって大きな欠伸をした。

「おはよ。小野塚くんの今日の予定は?」

「今日は予定は入れてない……」

 くわっともう一度欠伸をする。私はシャツとデニムを身につける。

「朝ごはんは?」

「昨夜コンビニで買ったやつ、冷蔵庫にいれてあるよ」

「あ、そうなんだ」

 そういえば、卓袱台の上もその周りもすっきりしてる。

「片付けてくれたんだね。ありがとう」

「井上さんに無理させたからこれくらい」

 ブランケットをかけた膝の上に手首をひっかけて半分体育座りのような格好で、小野塚くんはぼんやりしている。

「……ずっと一緒にいて四六時中セックスしていたい……」

 彼の突拍子もない呟きに吹いてしまった。

「無理だよそれ」

「願望を呟いとくと現実になる……」

 ゆらゆらと頭を揺らしながら、どうも睡魔と戦っているようだ。

「今日は絶対無理」

「いつか叶えばいい……」

「朝ごはんは食べる?」

「ううん。ねえ。井上さん」

「ん。なあに?」

「今日はここにいてもいい?」

「いいけど、仕事は? 大丈夫なの?」

「大丈夫。今までの仕事は一旦止めて、新しいプロジェクト始めてるところなんだ」

「そうなの? 大変じゃない?」

「裏方に回るから、今までより束縛はないかな。あ、でも、今度やるTGFが表立ってやる仕事のラストかも。あ、トーキョーガールズフェスティバル? 知ってる?」

「うん。知ってる。へえ。そうなんだ」

 東京ガールズフェスティバルの名前にドキッとした。けれど、私も参加するんだとは言えなかった。

「あ。シークレット枠だから内密に」

 と長い人差し指を唇に当てた。

「言わないよ」

 洗面台で化粧にとりかかる。ギシ、と足音がして、鏡越しに敷居の間に立っている小野塚くんと目が合う。

「なんか恥ずかしいから見ないで」

「そのセリフすっげーくる」

「やめてよー! 本当にやりづらくなるから」

「ごめん。けど、また言ってほしい」

「別の機会にでも」

「どんな機会なんだろ。楽しみ。シャワー借りるね」

 と言って、頭頂部にキスして浴室に入っていった。

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