一度私が振ったらしい美形の歳下ワンコくんが溺愛してきます。

森野きの子

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「井上さん。十九時ラストに指名入りました。新規です」

 アシスタントの子に声を掛けられ、手が止まる。新規さんで指名とな。確かにネットで出てるけど、珍しい。

「了解です」

 sakitoのことは忘れよう。オープンから指名無しのお客さんが四人続いてる。ラストに予約入ったなら、お昼休みに多田さんのところに行けるように店長に相談してみよう。お昼ならおにぎりだから移動しながら済ませられる。

 怒りの鏡磨きを終わらせて開店に備える。

 店長に話をして、午前中と午後の予約の合間の一時間を貰えた。多田さんにもメッセージを入れる。

 忙しいのにありがとう。迷惑かけてごめんね。と返ってきた。

 でも、事故に遭って、東京ガールズフェスティバルに出られなくて、本当は多田さんは悔しいんじゃないかな。私みたいな新入りに今までを費やしてきたポジションを取られるなんて。まあ、よく知りもしない間柄だけど。

 今日は予約のおかげでsakitoさんのアシスタントをしなくて済む。

 一人目のカットのお客様はショートカット。特にこだわりもないから短くして、との事だった。

 それでもヘアカタログを見せ、話をしながらスタイルの具体的なイメージを作る。聞き出していけばなんとなく要望はあるものだ。コーミングをし、ブロッキングをして、カットラインを見つける。右の流れが強い。難しいほうから切り進めればミスが少ない。まずはそこから切っていくことにした。

 その方は子供が生まれたばかりで、手入れをする暇がなく、久しぶりの美容院だといっていた。とにかく短くして。と二度ほど言われた。癖のある毛先活かして、柔らかさのあるベリーショートに仕立てた。

「すごい。くせ毛でボサボサだったのに、オシャレになった」

 首と肩周りのマッサージを終え、出来上がったスタイルを見て、鏡越しにも、彼女の目が輝いたのが見えた。私の胸も昂揚し、今朝のチクチクした気持ちが洗い流された。

「ありがとう」

 会計とメンバーズカードの作成を済ませ、レシートとカードを手渡す時に言われた。二ヶ月後にまた予約をいれて帰っていった。

 思わず身体が震えた。なんとも言えない恍惚が全身を巡る。私の手技が彼女を感動させたのだ。

 はー。誰かに話したい。この感動を誰かと分かち合いたい。でも、そんな相手がいない。己の日頃のコミュニケーション不足を呪いながら、アシスタントの子と掃除をして、シザーやコームの消毒を済ませる。

 朝イチの感動に浮かれずに、次はさらに冷静に。気を引き締めて。

 やってきたのはサラリーマン風の男性。外回りのついでだろうか。男性客はよっぽど美意識が高くないと、ほとんどの方のリアクションはない。まあ、ここに来るような若い男性はだいたいコミュ力が高いし、要望もきちんとしている。

 トップの長さは変えずに伸びてきたツーブロックの部分を短く刈ってほしいとの事だった。

 骨格に合わせてツーブロックにする部位をブロッキングする。頭の形が綺麗に見えるようにグラデーションになるようにハサミとバリカンを使って刈り上げる。

 ハチ張りやコシの強い髪の人は、やみくもに刈り上げてしまうと、ひと月も経てば広がりが抑えられなくなる。

 想像だけど、外回りの多い営業職なら清潔感とスマートさが大事だろうし、時間もないだろう。だからこそ伸びてきた時もあまり野暮ったくならないように仕上げる。

 午前の部はあっという間に終わり、片付けを済ませると、さて、多田さんの病院だ。出発と同時にメッセージを入れて、早足で向かった。
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