一度私が振ったらしい美形の歳下ワンコくんが溺愛してきます。

森野きの子

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 出勤をして、掃除や道具の消毒をしたり、鏡を念入りに磨いたりして、ふと気づく。アシスタントが多いってのもあるけど、他のスタイリストは、予約の確認をし終わると、控え室で雑談をしたりスマホを見ていたりと、自分たちの時間を過ごしている。アシスタントの子と一緒に朝練をして後片付けをしていると、sakitoさんが出勤してきた。

「井上さん、ちょっと」

 と指を振って呼ばれる。その仕草が偉そうでちょっとムカついた。

 控え室に行くと、他の人はおらず、sakitoさんが椅子に足を組んで腰かけ、腕組みをしていた。

「多田ちゃんからレシピは預かってきた?」

「え? いえ。まだです。今日行く予定です」

「はあ? 昨夜暇だったんでしょ? 何してたの?」

「はい?」

「俺に練習もちかけてきたじゃん。それともナニ? 練習って言っといて、俺とワンチャン狙ってた?」

 不快すぎてゾワッと鳥肌が立った。

「そんなふうに思われるなんて心外です。東京ガールズフェスティバルでの段取りのために、sakitoさんのやり方に慣れておいた方がいいと思ってお願いしたんです。でも、分かりました。要らぬ誤解を避けるためにも多田さんに訊くことにします。レシピも多田さんがご存知のようですし」

「なにムキになってんの? 俺が脈ナシだから逆ギレ? 怖いんだけど」

 ヤバいな、この人。触らぬ神に祟りなし。お触り厳禁。

「あの、お話はそれだけですか?」

「いや、俺がきみに他に用事あると思う?」

「思いません」

 私の方は一切ないよ! 全身を駆け巡る怒りの吐き出し口がない。

「それでは失礼します」

 控え室を出ると、スタイリストの佐田さんと江崎さんが遠巻きにこちらを見ていて、目が合うとサッと逃げられた。

 四ヶ月経ってもほとんど喋ったことのない人ばかり。アシスタントの子とは、練習の時にシザーの持ち変え方とか、切り始めの場所とか、レイヤーの入れ方とか、新しいスタイルとかカラーのこと、たくさん話すことはあるのに。

 まあ、友達のブックカフェで小さなイベントとか、ちょっとした集まりでDJとして参加とか、女子会とか、プライベートな話にはついていけないし。

 私服は、もうほとんど白シャツ黒シャツ、黒スキニーorジーンズだし。そりゃセンスを磨かなきゃいけない職業だけど、コーディネートに自信が持てない。

 けれど、私はずっときちんとサロンワークと向き合っている。テクニックなら誰にも負けない自信がある。幸い街を歩いていればトレンドを観察できるし、業界誌やお店のヘアカタログやファッション雑誌のチェックもする。

 なにがいいたいかというと、sakitoなんかより私の方が実力はある! はず……。ああ。悔しさを紛らわす術が他にない! だいたい女と見れば、誰もが自分のとり巻きの女性と同じと一括りにしないでほしい。アンタなんて趣味じゃないのよ! なんなのよ、あの丘サーファー(死語)みたいなフワッとパーマ! 色素薄い王子様系スタイルも気に食わない! カラコン使いがあざとい! 似合ってるのわかってるのが腹立つ! 趣味じゃないのよ! ちくしょー!

 怒りのやり場がなく、ひたすら店の鏡という鏡を磨きまくった。

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