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欲しいのは
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マコトの元へ向かう道中で、フェリクスの気持ちは落ち着きを取り戻しつつあった。
楽観視していたのだ。まさか本気でマコトが自分のそばを離れるなど、フェリクスは欠片も思っていなかった。
愛されているという自覚が彼を盲目にしていた。それを嘲笑うかのように、マコトはフェリクスを拒絶した。
「もう、帰って」
扉一枚隔てた向こう側にマコトがいる。だというのに、顔すらも見せてくれない状況に、フェリクスの心は掻き乱されていた。
「……お前が何を考えているのか分からない」
理由を聞いても明瞭な答えは返ってこない。頑なに拒否し続けるマコトに、フェリクスの焦燥感は募る一方だった。
「マコト、どうしてもダメなのか?」
マコトがこの扉の内側にいるのだ。今諦めてしまえば、もう二度とこの扉は開かれないような予感がしていた。
このまま引き下がることはできない。けれど、マコトの意思もまた固かった。
「嫌いになるよ」
その言葉はフェリクスにとって禁句だった。それを言われてしまえばもう、これ以上食い下がることはできなかった。
「分かった」
もちろん、本当の意味で納得したわけではない。しかしながら、他に打つ手がないのもまた事実だった。
今は引き時だと己に言い聞かせ、後ろ髪を引かれる思いでその場を立ち去る。わけもなく、すぐに引き返していた。
「持久戦なら負けんぞ」
マコトとの逢瀬を阻む扉を憎々しげに睨み付け、宣戦布告した。
そうと決まればやることは一つだ。扉に背を預けるようにして地べたに座り込む。説得が困難ならば、マコトがどこにも行かないよう、出口を封じてしまえばいいのだ。
「マコト、俺は本気だ。お前の意思を無視するのは不本意だが、話し合いすらできないと言うのなら致し方ない」
扉一枚隔てた向こうにマコトがいる。扉の向こうにいるマコトはどんな顔をしているのだろうと想像するだけで、焦燥感は愛おしさに変わっていた。
「……どこにも行くな」
口に出したことでより気持ちが膨れ上がる。早く会いたいという思いが募る一方で、この扉を無理やり開けることはやはりできなかった。
そんな葛藤を繰り返しながら祈るような気持ちで待ち続け──いつのまにかプツンと意識が途切れていた。
「フェリクス、起きて。こんなところで寝たら風邪引いちゃうよ」
少し困ったような、けれど穏やかで耳心地の良い声がした。
陽だまりのような温もりの主を確かに知っている。暗闇の中でその手を手繰り寄せれば、頭上でくすくすと笑う声がした。
「……どこだ、ここは」
寝ぼけ眼でぐるりと周囲を見回す。
見慣れた寝室ではないことだけは確かだった。
「おはよう、フェリクス。廊下で寝たらダメだよ」
困ったような声に昨夜の出来事が蘇る。
ハッとしてマコトの顔を見上げれば、その目は泣き腫らしたように痛々しく赤らんでいた。
「泣いたのか」
当たり前のようにその目尻に手を伸ばす。マコトの涙を拭い慰めてやるのはフェリクスの役目だ。フェリクスだけの、特権なのだ。
「少しね」
分かりやすい嘘をつくところもいじらしくて好きだ。
他人に弱さを見せたがらないのは、意地っ張りなのではなく優しさなのだと知っている。だからこそ、フェリクスの前では素直に弱さを見せてほしかった。
「嘘をつくな」
「嘘じゃないよ。本当に少しだけ、寂しくて泣いちゃっただけだから」
「何故泣く。怒っていたんじゃないのか」
「……怒ってないよ。仕方のないことだって、ちゃんと分かってるから」
「なんの話だ」
本当に、なんのことなのか皆目検討もつかなかった。
マコトが泣く理由が仕方のないこと? そんなはずはない。フェリクスが唯一慈しみその心を守りたいと願う人が悲しみに暮れるなど、あってはならないことだ。
どんなことがあろうと、マコトが傷ついていい理由にはならない。ましてやそれがフェリクスに関わることならば、尚更だ。
どうにかマコトが心を痛めている理由を探ろうとするフェリクスを取り残して、マコトは達観した表情で続けた。
「フェリクス、君が王様になったら、いつでも綺麗な星空が見えるようにするって言ってくれたの覚えてる?」
覚えている。夜空に輝く星を手に入れることはできなくとも、美しい星空を彼が望むままに見せてあげたかった。
「ああ」
小さく頷いたフェリクスに、ほっとしたようにマコトが微笑んだ。
「良かった。楽しみにしてるね」
楽しみにしている。それはつまり、この国の王になって、政策を実行しろということだろうか。
「……俺に、王になれと言っているのか」
権力や地位になど興味がないのだと思っていた。マコトの望みはただ、フェリクスが幸せであること、ただそれだけだと。
身勝手にも、裏切られたような気持ちになった。だからこそ、否定の言葉を期待した。けれど、マコトはさも当然のように肯定した。
「うん? そうだよ」
「それが、お前の望みなのか」
違うと言ってくれ。
そんな願いも虚しく、マコトは静かに頷いた。
「立派な王様になってね」
心のどこかでは、愚かにも期待していたのだ。たとえフェリクスが王子でなかったとしても、しがない平民であったとしても、マコトとならば、心を通わせ合うことができるのではないかと期待していた。
ただ一人の人として愛し、求められるのだと。
少なくともフェリクスは、マコトが隣にいてくれるのなら、王位などいらなかった。
マコトに出会って変わったのだ。最愛の母を失って以来、光のささない重く息苦しい過去に囚われていた。そんなフェリクスの心は、飾り気がなく純真な、太陽のような温もりを持った人に救われた。
マコトはフェリクスの全てだ。彼無しでは生きる意味がない。それほどまでに、フェリクスはマコトに心酔している。
たとえ想いを踏み躙られたとしても、今更もう手放すことなどできなかった。
「王になれば、お前は泣き止むのか」
今この瞬間、フェリクスが望むことはただ一つだ。
愛する人に、笑っていてほしい。それだけだった。
フェリクスの問いかけに、マコトは何も答えなかった。ただ曖昧に微笑むばかりの彼に、何故、とは聞けなかった。
「お前が望むなら、俺はこの国の王になる」
その言葉に嘘偽りはなかった。けれど、心がバラバラに切り裂かれたような痛みもまた、フェリクスの本心を表していた。
楽観視していたのだ。まさか本気でマコトが自分のそばを離れるなど、フェリクスは欠片も思っていなかった。
愛されているという自覚が彼を盲目にしていた。それを嘲笑うかのように、マコトはフェリクスを拒絶した。
「もう、帰って」
扉一枚隔てた向こう側にマコトがいる。だというのに、顔すらも見せてくれない状況に、フェリクスの心は掻き乱されていた。
「……お前が何を考えているのか分からない」
理由を聞いても明瞭な答えは返ってこない。頑なに拒否し続けるマコトに、フェリクスの焦燥感は募る一方だった。
「マコト、どうしてもダメなのか?」
マコトがこの扉の内側にいるのだ。今諦めてしまえば、もう二度とこの扉は開かれないような予感がしていた。
このまま引き下がることはできない。けれど、マコトの意思もまた固かった。
「嫌いになるよ」
その言葉はフェリクスにとって禁句だった。それを言われてしまえばもう、これ以上食い下がることはできなかった。
「分かった」
もちろん、本当の意味で納得したわけではない。しかしながら、他に打つ手がないのもまた事実だった。
今は引き時だと己に言い聞かせ、後ろ髪を引かれる思いでその場を立ち去る。わけもなく、すぐに引き返していた。
「持久戦なら負けんぞ」
マコトとの逢瀬を阻む扉を憎々しげに睨み付け、宣戦布告した。
そうと決まればやることは一つだ。扉に背を預けるようにして地べたに座り込む。説得が困難ならば、マコトがどこにも行かないよう、出口を封じてしまえばいいのだ。
「マコト、俺は本気だ。お前の意思を無視するのは不本意だが、話し合いすらできないと言うのなら致し方ない」
扉一枚隔てた向こうにマコトがいる。扉の向こうにいるマコトはどんな顔をしているのだろうと想像するだけで、焦燥感は愛おしさに変わっていた。
「……どこにも行くな」
口に出したことでより気持ちが膨れ上がる。早く会いたいという思いが募る一方で、この扉を無理やり開けることはやはりできなかった。
そんな葛藤を繰り返しながら祈るような気持ちで待ち続け──いつのまにかプツンと意識が途切れていた。
「フェリクス、起きて。こんなところで寝たら風邪引いちゃうよ」
少し困ったような、けれど穏やかで耳心地の良い声がした。
陽だまりのような温もりの主を確かに知っている。暗闇の中でその手を手繰り寄せれば、頭上でくすくすと笑う声がした。
「……どこだ、ここは」
寝ぼけ眼でぐるりと周囲を見回す。
見慣れた寝室ではないことだけは確かだった。
「おはよう、フェリクス。廊下で寝たらダメだよ」
困ったような声に昨夜の出来事が蘇る。
ハッとしてマコトの顔を見上げれば、その目は泣き腫らしたように痛々しく赤らんでいた。
「泣いたのか」
当たり前のようにその目尻に手を伸ばす。マコトの涙を拭い慰めてやるのはフェリクスの役目だ。フェリクスだけの、特権なのだ。
「少しね」
分かりやすい嘘をつくところもいじらしくて好きだ。
他人に弱さを見せたがらないのは、意地っ張りなのではなく優しさなのだと知っている。だからこそ、フェリクスの前では素直に弱さを見せてほしかった。
「嘘をつくな」
「嘘じゃないよ。本当に少しだけ、寂しくて泣いちゃっただけだから」
「何故泣く。怒っていたんじゃないのか」
「……怒ってないよ。仕方のないことだって、ちゃんと分かってるから」
「なんの話だ」
本当に、なんのことなのか皆目検討もつかなかった。
マコトが泣く理由が仕方のないこと? そんなはずはない。フェリクスが唯一慈しみその心を守りたいと願う人が悲しみに暮れるなど、あってはならないことだ。
どんなことがあろうと、マコトが傷ついていい理由にはならない。ましてやそれがフェリクスに関わることならば、尚更だ。
どうにかマコトが心を痛めている理由を探ろうとするフェリクスを取り残して、マコトは達観した表情で続けた。
「フェリクス、君が王様になったら、いつでも綺麗な星空が見えるようにするって言ってくれたの覚えてる?」
覚えている。夜空に輝く星を手に入れることはできなくとも、美しい星空を彼が望むままに見せてあげたかった。
「ああ」
小さく頷いたフェリクスに、ほっとしたようにマコトが微笑んだ。
「良かった。楽しみにしてるね」
楽しみにしている。それはつまり、この国の王になって、政策を実行しろということだろうか。
「……俺に、王になれと言っているのか」
権力や地位になど興味がないのだと思っていた。マコトの望みはただ、フェリクスが幸せであること、ただそれだけだと。
身勝手にも、裏切られたような気持ちになった。だからこそ、否定の言葉を期待した。けれど、マコトはさも当然のように肯定した。
「うん? そうだよ」
「それが、お前の望みなのか」
違うと言ってくれ。
そんな願いも虚しく、マコトは静かに頷いた。
「立派な王様になってね」
心のどこかでは、愚かにも期待していたのだ。たとえフェリクスが王子でなかったとしても、しがない平民であったとしても、マコトとならば、心を通わせ合うことができるのではないかと期待していた。
ただ一人の人として愛し、求められるのだと。
少なくともフェリクスは、マコトが隣にいてくれるのなら、王位などいらなかった。
マコトに出会って変わったのだ。最愛の母を失って以来、光のささない重く息苦しい過去に囚われていた。そんなフェリクスの心は、飾り気がなく純真な、太陽のような温もりを持った人に救われた。
マコトはフェリクスの全てだ。彼無しでは生きる意味がない。それほどまでに、フェリクスはマコトに心酔している。
たとえ想いを踏み躙られたとしても、今更もう手放すことなどできなかった。
「王になれば、お前は泣き止むのか」
今この瞬間、フェリクスが望むことはただ一つだ。
愛する人に、笑っていてほしい。それだけだった。
フェリクスの問いかけに、マコトは何も答えなかった。ただ曖昧に微笑むばかりの彼に、何故、とは聞けなかった。
「お前が望むなら、俺はこの国の王になる」
その言葉に嘘偽りはなかった。けれど、心がバラバラに切り裂かれたような痛みもまた、フェリクスの本心を表していた。
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