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酷い人
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別れの準備をするための時間は十分に合った。それなのに、今この瞬間になっても未練が断ち切れないでいる。
「全部置いていかなきゃな」
この数ヶ月で思い出の品がたくさん増えた。
仲直りのためにフェリクスがくれたプレゼントや、僕のために誂えてくれたオーダーメイドの服。ピクニックに行った時にミリウス殿下がくれた木の実。ユルゲンさんが地元の名産だからとくれた蜂蜜酒。
全部大切な宝物だけど、未練を断ち切るには置いていかなきゃいけない。
「思った以上にキツいなぁ」
聖女様にはあんな風に啖呵を切ったけど、本当は離れる覚悟なんてまだできてなかった。
それでも、これが何も持たない僕にできる最善なんだ。
「よしっ!」
頰をパチンッと叩いて気合を入れた。朝までには荷物をまとめて出て行かなきゃいけないんだから、ウジウジしている暇なんてない。
必要最低限の荷物を布袋に詰めていく。その時だった。コンコンと控えめなノックの音がした。
「はい、どうぞ」
呼びかけてみるけど返事はない。
不思議に思って扉に歩み寄れば、今では耳慣れた声が僕を呼んだ。
「マコト」
フェリクスだ。扉一枚隔てた向こう側にフェリクスがいる。その事実に、未練がましく縋りつきそうになる心を必死に抑えた。
「フェリクス? どうしたの?」
「……入っていいか?」
いつになくしおらしい声に、うんと頷いてしまいたくなるけどダメだ。顔を見たら、声を聴いてしまったら、離れ難くなってしまう。
「……ごめん、今は体調が悪くて」
「顔が見たい」
飾り気のないその言葉に強く心が揺さぶられる。
こういう時、フェリクスはずるいと思う。子供みたいなおねだりが僕には一番効くって絶対分かってやってるんだ。そうじゃなきゃ、君はあまりに魔性すぎる。
「ごめんね。また明日、元気になったら会おう」
「怒っているのか」
「え?」
「……アレクシスとお前の従者が、このままだとお前がいなくなると騒いでいた」
「従者って、コレット君?」
「ああ」
フェリクスには言わないでってお願いしてたけど、心配性の二人がすんなり納得してくれるわけないか。
それにしても、なんだかんだ一緒に行動してるあたり、あの二人は根っこの部分がそっくりだと思う。
思わず笑いそうになって、慌てて気を引き締める。
「怒ってないよ。ただ少し、一人になりたいだけだから」
「……俺が悪かったなら謝る」
悪いよ。僕がいるのに、本物の聖女様を喚ぶなんて酷い。
そんなに王様になりたいの? 僕が傷ついても平気なの? なんて、めんどくさい思考で頭が埋め尽くされていく。
これ以上彼と話せば、みっともない本音が溢れてしまいそうだ。
「フェリクスは何も悪くないよ。お願いだから今日はもう帰って。話なら明日聞くから」
扉越しにそれだけ伝えて、返事を聞く前に早足でその場を離れた。そのまま荷物をまとめる作業に戻ってしまえば、もうこれ以上何も考えずに済むと思った。
「マコト」
悲しげな声に返事をしてしまいそうになるのをグッと堪える。
何も聞こえないふりをして、大して多くもない荷物をまとめていく。
その間もフェリクスはずっと僕の名前を呼んでいた。その度に胸が張り裂けそうになる。
「マコト、入ってもいいか」
ドアノブに手をかけるような音がして、慌てて扉に駆け寄った。
内側からドアノブを掴んで扉を開けられないようにする。僕の抵抗を感じ取ったのか、フェリクスが不満げな声を出した。
「怒っていないなら顔を見せろ」
「……イヤだ」
「何が不満なんだ」
「……」
「……言葉にしてくれないと分からない」
うん、そうだよね。君は不器用だから、他人の気持ちの機微を察するのも苦手だもんね。
でも、これくらいは言わなくても分かってよ。
本物の聖女様が現れて、どうしようもなく惨めな気持ちになった僕の気持ちを、どうして分かってくれないんだよ。
「マコト……」
名前を呼ばれる度に泣きそうになる。でも、フェリクスの前でだけは泣きたくなんてなかった。
「もう、帰って……お願いだから」
「……お前が何を考えているのか分からない」
それは僕のセリフだ。王様になるために本物の聖女様を喚んだくせに、どうして当たり前の顔をして僕に会おうとするんだ。
罪悪感なんてこれっぽっちも感じてないって態度のフェリクスに、怒りよりも悲しみがこみ上げる。
「マコト、どうしてもダメなのか?」
フェリクスの縋るような声に胸が痛んだ。
本当は、ダメじゃない。僕だって会いたいよ。でも、君のことが大切だから会えないんだよ。
どうしても納得してくれないフェリクスに、唯一にして最大の武器を使うことにした。
「……嫌いになるよ」
ドアノブが微かに揺れた。フェリクスの動揺が伝わってきて、なんだか僕まで悲しくなった。
「分かった」
暫くの沈黙の後、フェリクスがポツリと呟いて、やがて気配が遠ざかっていった。
追いかけたいと駄々をこねる体を必死に押さえ込む。ふかふかのベッドに突っ伏して、枕に顔を押し付けながら泣いた。
「……っ……ふ、っ……」
どれだけ辛くても、どれだけ惨めな気持ちにさせられても、不思議なくらい僕はまだフェリクスのことが好きだった。
でも、フェリクスは違うんだ。だからあんな風に、平気な顔で僕に会いに来た。昨日までと変わらずに、顔が見たいだなんていじらしい我儘を言う。
君は酷い人だ。要らないってはっきり切り捨てられた方が、ずっと楽だったよ。
泣いて泣いて、気づいたら寝てしまっていた。
泣きすぎて頭が痛くて、胸が苦しい。このまま息が止まって存在ごと消えてしまいたいとすら思った。
それでも朝はやってくるから、重たい体を引きずってベッドから這い出る。
聖女様と約束したとおり、朝になる前に出ていかなくちゃいけない。
「さようなら」
ぽつりとこぼして部屋を出る。はずが、ドアノブに手をかけたところで違和感に気づいた。
「あれ? なんで?」
まるでバリケードでも張られてるみたいに扉が重かった。
扉を強い力で押すと、ずずず、と何かが動く音がする。
まさかと思いながら、僅かに空いた隙間を覗けば、そこには見慣れた色彩があった。
「フェリクス!?」
隙間から覗き込むと、見慣れた白銀の頭が項垂れているのが見えた。
自分の部屋に帰ったと思っていたのに、扉の前でずっと待っていたらしい。
「……風邪、引いちゃうよ」
「ん……」
寝苦しそうに唸りながらも、フェリクスが目覚める気配はない。
眉間に皺を寄せて眠る姿に、懐かしい思い出が頭をよぎった。あの時は、今日とは逆で、怒っていたのはフェリクスの方だった。
目を閉じると、あの日のことが昨日のことのように鮮明に思い出せた。
「全部置いていかなきゃな」
この数ヶ月で思い出の品がたくさん増えた。
仲直りのためにフェリクスがくれたプレゼントや、僕のために誂えてくれたオーダーメイドの服。ピクニックに行った時にミリウス殿下がくれた木の実。ユルゲンさんが地元の名産だからとくれた蜂蜜酒。
全部大切な宝物だけど、未練を断ち切るには置いていかなきゃいけない。
「思った以上にキツいなぁ」
聖女様にはあんな風に啖呵を切ったけど、本当は離れる覚悟なんてまだできてなかった。
それでも、これが何も持たない僕にできる最善なんだ。
「よしっ!」
頰をパチンッと叩いて気合を入れた。朝までには荷物をまとめて出て行かなきゃいけないんだから、ウジウジしている暇なんてない。
必要最低限の荷物を布袋に詰めていく。その時だった。コンコンと控えめなノックの音がした。
「はい、どうぞ」
呼びかけてみるけど返事はない。
不思議に思って扉に歩み寄れば、今では耳慣れた声が僕を呼んだ。
「マコト」
フェリクスだ。扉一枚隔てた向こう側にフェリクスがいる。その事実に、未練がましく縋りつきそうになる心を必死に抑えた。
「フェリクス? どうしたの?」
「……入っていいか?」
いつになくしおらしい声に、うんと頷いてしまいたくなるけどダメだ。顔を見たら、声を聴いてしまったら、離れ難くなってしまう。
「……ごめん、今は体調が悪くて」
「顔が見たい」
飾り気のないその言葉に強く心が揺さぶられる。
こういう時、フェリクスはずるいと思う。子供みたいなおねだりが僕には一番効くって絶対分かってやってるんだ。そうじゃなきゃ、君はあまりに魔性すぎる。
「ごめんね。また明日、元気になったら会おう」
「怒っているのか」
「え?」
「……アレクシスとお前の従者が、このままだとお前がいなくなると騒いでいた」
「従者って、コレット君?」
「ああ」
フェリクスには言わないでってお願いしてたけど、心配性の二人がすんなり納得してくれるわけないか。
それにしても、なんだかんだ一緒に行動してるあたり、あの二人は根っこの部分がそっくりだと思う。
思わず笑いそうになって、慌てて気を引き締める。
「怒ってないよ。ただ少し、一人になりたいだけだから」
「……俺が悪かったなら謝る」
悪いよ。僕がいるのに、本物の聖女様を喚ぶなんて酷い。
そんなに王様になりたいの? 僕が傷ついても平気なの? なんて、めんどくさい思考で頭が埋め尽くされていく。
これ以上彼と話せば、みっともない本音が溢れてしまいそうだ。
「フェリクスは何も悪くないよ。お願いだから今日はもう帰って。話なら明日聞くから」
扉越しにそれだけ伝えて、返事を聞く前に早足でその場を離れた。そのまま荷物をまとめる作業に戻ってしまえば、もうこれ以上何も考えずに済むと思った。
「マコト」
悲しげな声に返事をしてしまいそうになるのをグッと堪える。
何も聞こえないふりをして、大して多くもない荷物をまとめていく。
その間もフェリクスはずっと僕の名前を呼んでいた。その度に胸が張り裂けそうになる。
「マコト、入ってもいいか」
ドアノブに手をかけるような音がして、慌てて扉に駆け寄った。
内側からドアノブを掴んで扉を開けられないようにする。僕の抵抗を感じ取ったのか、フェリクスが不満げな声を出した。
「怒っていないなら顔を見せろ」
「……イヤだ」
「何が不満なんだ」
「……」
「……言葉にしてくれないと分からない」
うん、そうだよね。君は不器用だから、他人の気持ちの機微を察するのも苦手だもんね。
でも、これくらいは言わなくても分かってよ。
本物の聖女様が現れて、どうしようもなく惨めな気持ちになった僕の気持ちを、どうして分かってくれないんだよ。
「マコト……」
名前を呼ばれる度に泣きそうになる。でも、フェリクスの前でだけは泣きたくなんてなかった。
「もう、帰って……お願いだから」
「……お前が何を考えているのか分からない」
それは僕のセリフだ。王様になるために本物の聖女様を喚んだくせに、どうして当たり前の顔をして僕に会おうとするんだ。
罪悪感なんてこれっぽっちも感じてないって態度のフェリクスに、怒りよりも悲しみがこみ上げる。
「マコト、どうしてもダメなのか?」
フェリクスの縋るような声に胸が痛んだ。
本当は、ダメじゃない。僕だって会いたいよ。でも、君のことが大切だから会えないんだよ。
どうしても納得してくれないフェリクスに、唯一にして最大の武器を使うことにした。
「……嫌いになるよ」
ドアノブが微かに揺れた。フェリクスの動揺が伝わってきて、なんだか僕まで悲しくなった。
「分かった」
暫くの沈黙の後、フェリクスがポツリと呟いて、やがて気配が遠ざかっていった。
追いかけたいと駄々をこねる体を必死に押さえ込む。ふかふかのベッドに突っ伏して、枕に顔を押し付けながら泣いた。
「……っ……ふ、っ……」
どれだけ辛くても、どれだけ惨めな気持ちにさせられても、不思議なくらい僕はまだフェリクスのことが好きだった。
でも、フェリクスは違うんだ。だからあんな風に、平気な顔で僕に会いに来た。昨日までと変わらずに、顔が見たいだなんていじらしい我儘を言う。
君は酷い人だ。要らないってはっきり切り捨てられた方が、ずっと楽だったよ。
泣いて泣いて、気づいたら寝てしまっていた。
泣きすぎて頭が痛くて、胸が苦しい。このまま息が止まって存在ごと消えてしまいたいとすら思った。
それでも朝はやってくるから、重たい体を引きずってベッドから這い出る。
聖女様と約束したとおり、朝になる前に出ていかなくちゃいけない。
「さようなら」
ぽつりとこぼして部屋を出る。はずが、ドアノブに手をかけたところで違和感に気づいた。
「あれ? なんで?」
まるでバリケードでも張られてるみたいに扉が重かった。
扉を強い力で押すと、ずずず、と何かが動く音がする。
まさかと思いながら、僅かに空いた隙間を覗けば、そこには見慣れた色彩があった。
「フェリクス!?」
隙間から覗き込むと、見慣れた白銀の頭が項垂れているのが見えた。
自分の部屋に帰ったと思っていたのに、扉の前でずっと待っていたらしい。
「……風邪、引いちゃうよ」
「ん……」
寝苦しそうに唸りながらも、フェリクスが目覚める気配はない。
眉間に皺を寄せて眠る姿に、懐かしい思い出が頭をよぎった。あの時は、今日とは逆で、怒っていたのはフェリクスの方だった。
目を閉じると、あの日のことが昨日のことのように鮮明に思い出せた。
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