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全部あげる

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 何か大切なことを忘れている気がする。
 当初の目的をようやく思い出したのは、湯浴みを済ませてフェリクスの寝室に通されてからだった。

「そうだ! 僕、フェリクスに言いたいことがあったんだ」
「なんだ」
「この前は勝手なことばかり言ってごめんなさい」

 ベッドの上で正座をして深々と頭を下げた僕に、しばらくの間フェリクスは何も言わなかった。呆れているのかもしれない。それでも、ちゃんと謝らないといけないと思った。

「フェリクスの寝室なんだから、泊まるかどうか決めるのはフェリクスの自由だよね。冷静になって思えば当たり前のことなんだけど、あの時はミリウス殿下のことが心配って気持ちばっかりで、フェリクスの気持ちを考えられてなかった。ごめんなさい」
「もういい。顔を上げろ」
「うん……ごめんなさい」
「もういいと言っている。これ以上謝るな」

 フェリクスが呆れたように溜息をついた。やっぱりまだ怒ってるのかなと顔を上げてフェリクスを見れば、どこか不機嫌そうに僕を見下ろしていた。
 でも、怒っているというよりも、これは……拗ねてる?

「お前が謝る必要はない」
「でも……」
「あの夜は、俺が……悪かった」

 フェリクスが僕と目を合わせないまま、ぼそりと呟いた。

「……お前の気持ちを考えずに、無神経で大人げなかったと反省している」

 予想もしていなかった謝罪に目を瞬かせる。
 多分、フェリクスなりにものすごく葛藤しながら謝ってくれたんだろうな。口をへの字に曲げて謝る姿は丸切り拗ねた子供で、思わず笑いが零れてしまった。

「ふはっ」
「なぜ笑う」
「あ、いや、ごめん……だってフェリクス、初めて会った時はもっと余裕たっぷりでかっこよく見えたのに……」

 くすくすと笑いながら告げると、フェリクスがムッとしたように眉を寄せてそっぽを向いてしまった。子供っぽい仕草にまた笑いが込み上げてくる。
 そんな僕に何か思うところがあったのか、フェリクスがちらりと僕を見た。

「……今の俺はカッコ悪いのか?」
「はは、そんなことないよ。ただ前よりも年相応っていうか、親しみやすいっていうのかな。今の方が話しやすくていいなって思うよ」
「それはお前の前だけだ」
「え?」
「この話は終わりだ。もう寝るぞ」
「あ、うん」

 フェリクスがサイドテーブルの蝋燭をふっと吹き消した。
 そのままベッドに寝転んだフェリクスにならって、僕も隣に寝転がった。

「……おやすみ」
「ああ」

 小さな返事の後、フェリクスは僕に背を向けるようにして寝返りを打った。
 その背中に、思わず声をかけていた。

「フェリクス」
「……なんだ」
「……何も、しないの?」

 ぴくりとフェリクスの体が揺れた。
 少しの沈黙の後、フェリクスが静かに口を開いた。

「ミリウスから聞いただろう」
「え?」
「もう魔力は足りている。魔力供給は必要ない」

 そういえば確かにミリウス殿下がそんなことを言っていたような……。

「魔力供給が必要なくなったから、もう僕には何もしないの?」

 情けなく声が震えた。フェリクスがまた寝返りを打って、静かに僕を見た。

「……口実がない」
「なんの口実?」
「お前に触れる口実だ」

 暗闇の中で白く浮かび上がる手が僕の頰に伸びる。なのに、触れる寸前で離れていってしまった。
 その手を、今度は僕の方から掴んでいた。

「口実なんていらない。自覚を持てって言ったのはフェリクスだよ」
「なんのことだ」
「分かってるくせに」

 フェリクスが何か言う前に、その唇をキスで塞いだ。

「っ……」

 フェリクスが小さく息を呑む音がした。
 そっと唇を離して、美しい金の瞳を見つめた。

「婚約者なんだから、理由なんていらないよ」
「……無理強いする気はない」
「これが無理強いだと思うなら、君はやっぱりまだ子供だね」

 両手で滑らかな頰を包み込んで、もう一度その唇を奪った。

 下唇を軽く食んで引っ張れば、フェリクスの目に確かな情欲が灯るのがわかった。

「君が僕をこんな風にしたんだよ。だからちゃんと、責任取って」

 返事の代わりとばかりに、今度はフェリクスからキスされた。
 顎を持ち上げられて、薄く開いた口にフェリクスの舌が侵入してくる。頰の裏側をなぞられて肩が跳ねた。呼吸ごと奪われるみたいな深い口づけに息が乱れる。

「はっ……ぁ……ン」

 ゾワゾワとうなじを興奮が駆け上がる。
 こんな風に煽るようなことを言う僕じゃなかった。君に出会ってから、僕はどんどん知らない自分になっていく。

「んンッ……フェリ、クスっ……ふっぁ……」

 舌が絡んで水音が響く。息継ぎの合間に名前を呼んでも、フェリクスは返事もしてくれず夢中で僕の唇を貪るばかりだ。
 ようやく唇が離れていった時には完全に息が上がっていた。酸欠でぼんやりする頭でフェリクスを見上げれば、熱を帯びた眼差しと目があった。

「責任を取れと言うなら、お前も俺を煽った責任を取れ」
「……フェリクス」
「なんだ」
「僕のことも、名前で呼んで」

 そうしたらもう、身体だけじゃなくてこの心ごと君にあげる。

「フェリクス、僕を全部君にあげる。だから、ちゃんと僕を見て」

 お飾りの聖女でも、仮初の婚約者でもない。神狩真という僕自身を、君にだけは見てほしい。ただ一人の人として、君に触れられたい。
 柔らかな髪に指を通せば、甘えるように僕の手のひらに擦り寄ってきた。

「ふふ、やっぱりシロちゃんなんだね」

 猫の時のように耳の裏を指先でくすぐる。
 心地良さそうに睫毛を伏せていたフェリクスが、静かな目で僕を見た。澄んだその瞳に僕の姿が映る。

「ずっと見てきた」
「……うん」
「マコト、お前が欲しい」

 その言葉の意味がわからないほど子供じゃない。
 そっとフェリクスの首に腕を回して、その耳元に唇を寄せた。

「君が欲しいなら、全部あげる」

 ごくりと喉を鳴らす音がした。
 次の瞬間には、欲に濡れた目をしたフェリクスに荒々しく唇を奪われていた。
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