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心に触れる
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その存在に一層の興味が増した頃、気まぐれのように父王から呼び出しがかかった。婚約者だからという理由でマコトにも声がかかったらしい。
本来であれば政務を理由に父からの召集を拒んでいるところだが、マコトへの興味から誘いに乗っていた。
フェリクスが初めてマコトの人間らしい側面を目撃したのは、父王の元へ向かう道中のことだった。
「……泣いているのか」
呆然と廊下に立ち尽くすマコトの背に、無意識に声をかけていた。自分でも、なぜその言葉を選んだのかわからない。
ただ、フェリクスよりも幾分華奢なその背中が、無性に頼りなく見えた。
「っ!」
弾かれたように振り返ったマコトは、確かめるように自身の目元に手をやった。
「いえっ、全然大丈夫です! ちょっとボーッとしちゃって、はは、すみません」
ベールに隠され、その表情は窺い知れない。けれど、指の隙間から見えた口元は、何かを堪えるように引き結ばれていた。
「顔を見せろ」
「あっ、ダメですっ。見ても楽しいものじゃないので!」
「お前が不器量なことは知っている。今更隠す必要などない」
「あ……っ」
ベールを取られまいと抵抗するマコトの両手首を一纏めにし、フェリクスは躊躇なくベールを取り払った。
あらわになったマコトの瞳は涙に濡れている。せめて涙をこぼすまいと唇を噛み締めるその姿に、なぜだか息が詰まった。
「……何があった」
「な、なにも」
「なら、何故そんな顔をしている」
語気を強めたフェリクスに、マコトは逡巡するように口を開閉させた。けれど結局は、力なく首を横に振った。
「本当に、なんでもないです」
「俺には言えないことか」
「いえ、フェリクス殿下が気になさるようなことは何もありません」
「どんなことでも構わん。言え」
マコトの瞳が戸惑いに揺らぐ。そこでふと、ある男の顔がフェリクスの脳裏を過ぎった。
「……アイツに会ったのか」
「へ……?」
「分かりやすい奴だな。拒絶されて傷ついたのか?」
「ち、違います」
腹違いの兄─エヴァンとは、数年来まともに口を聞いていない。お互いに敵対視しているからだ。
父王の次に嫌悪しているといっても過言ではない男の存在にマコトが心を乱している。その事実に言い知れない憤りを覚えた。
「言ったはずだ。お前は聖女ではない」
「っ……」
これでは単なる八つ当たりだ。頭では分かっていても、胸の内に渦巻く負の感情を抑えきれない。
さらに言葉を続けようとしたフェリクスだったが、その口から暴言が飛び出すことはなかった。
「──聖女じゃないなら、帰りたい……っ」
くしゃりと顔を歪めたマコトが、初めて弱音を吐いた。
頰を伝う涙に、マコト自身は気づいていないようだった。
本音を口にしたきり、マコトは黙り込んでしまった。だが、嗚咽を押し殺そうとする背中が小刻みに震えているのは一目瞭然だった。
「元の世界には帰せない」
優しい慰めの言葉など知らない。真実を告げてやることも優しさだ。そう己に言い聞かせたが、マコトが短い睫毛を悲しげに伏せたことで考えを改めざるを得なかった。
「……はい、分かってます」
「……いつか、方法が見つかる、かもしれない」
確証もなく希望を与えるなど酷なだけだ。頭では分かっていても、仮初の希望を与えずにはいられなかった。
息が詰まるのだ。目の前の男が涙を流す姿は、まるでフェリクス自身が鋭利な刃物で切り付けられたような痛みを彼に与えた。
何故─その疑問に答えを見つけられないまま、フェリクスは痛む心臓から必死に意識を逸らした。
マコトの脆さに触れ、フェリクスは動揺を隠さなかった。そんな彼に更なる驚きを与える知らせが舞い込んだ。
「ミリウスがあの男を受け入れたのか?」
「はい。聖女様のことをいたく気に入られたご様子で、侍女頭殿もこんなことは初めてだと随分お喜びになられていました」
「そうか……」
「ミリウス殿下が聖女様にご好意を寄せていらっしゃるということは、聖女様はやはり偽善者などではなく真の善人ということになりますね」
「……ああ」
ごく限られた人間にしか明かされていないが、末の弟であるミリウスには特別な力があった。
それは単に魔法が使えるというだけではなく、相手の本質を見抜く目を持っているのだ。
たとえどれだけ取り繕おうとも、ミリウスには相手が善人か悪人か、その区別がつく。だからこそ、ミリウスは幼くして人間の悪意に辟易してしまい、今では他者との接触を避けるように北の離宮で暮らすようになった。
そんなミリウスが、一目見てマコトを気に入ったというのだ。乳母のアリシアですら口を聞いてもらうまでに二週間かかったのだから、これはまさしく快挙である。
「……あの方の存在で、この国の未来が変わるかも知れませんね」
「偽物の聖女の存在でか?」
「確かにあの方に聖女としての素質はないかも知れません。けれど、それ以上に大切なものをこの国にもたらしてくれるかも知れませんよ。気まぐれで事を起こすほど神も暇ではないでしょうから」
「全てのことは必然だと?」
「ええ。あの方がこの国に幸福をもたらすか、あるいは破壊するか、これからじっくり拝見させていただくことにしましょう」
カミールはいつになく愉しげだった。新しいおもちゃを見つけた子供のような反応に、フェリクスは深くため息をついた。
本来であれば政務を理由に父からの召集を拒んでいるところだが、マコトへの興味から誘いに乗っていた。
フェリクスが初めてマコトの人間らしい側面を目撃したのは、父王の元へ向かう道中のことだった。
「……泣いているのか」
呆然と廊下に立ち尽くすマコトの背に、無意識に声をかけていた。自分でも、なぜその言葉を選んだのかわからない。
ただ、フェリクスよりも幾分華奢なその背中が、無性に頼りなく見えた。
「っ!」
弾かれたように振り返ったマコトは、確かめるように自身の目元に手をやった。
「いえっ、全然大丈夫です! ちょっとボーッとしちゃって、はは、すみません」
ベールに隠され、その表情は窺い知れない。けれど、指の隙間から見えた口元は、何かを堪えるように引き結ばれていた。
「顔を見せろ」
「あっ、ダメですっ。見ても楽しいものじゃないので!」
「お前が不器量なことは知っている。今更隠す必要などない」
「あ……っ」
ベールを取られまいと抵抗するマコトの両手首を一纏めにし、フェリクスは躊躇なくベールを取り払った。
あらわになったマコトの瞳は涙に濡れている。せめて涙をこぼすまいと唇を噛み締めるその姿に、なぜだか息が詰まった。
「……何があった」
「な、なにも」
「なら、何故そんな顔をしている」
語気を強めたフェリクスに、マコトは逡巡するように口を開閉させた。けれど結局は、力なく首を横に振った。
「本当に、なんでもないです」
「俺には言えないことか」
「いえ、フェリクス殿下が気になさるようなことは何もありません」
「どんなことでも構わん。言え」
マコトの瞳が戸惑いに揺らぐ。そこでふと、ある男の顔がフェリクスの脳裏を過ぎった。
「……アイツに会ったのか」
「へ……?」
「分かりやすい奴だな。拒絶されて傷ついたのか?」
「ち、違います」
腹違いの兄─エヴァンとは、数年来まともに口を聞いていない。お互いに敵対視しているからだ。
父王の次に嫌悪しているといっても過言ではない男の存在にマコトが心を乱している。その事実に言い知れない憤りを覚えた。
「言ったはずだ。お前は聖女ではない」
「っ……」
これでは単なる八つ当たりだ。頭では分かっていても、胸の内に渦巻く負の感情を抑えきれない。
さらに言葉を続けようとしたフェリクスだったが、その口から暴言が飛び出すことはなかった。
「──聖女じゃないなら、帰りたい……っ」
くしゃりと顔を歪めたマコトが、初めて弱音を吐いた。
頰を伝う涙に、マコト自身は気づいていないようだった。
本音を口にしたきり、マコトは黙り込んでしまった。だが、嗚咽を押し殺そうとする背中が小刻みに震えているのは一目瞭然だった。
「元の世界には帰せない」
優しい慰めの言葉など知らない。真実を告げてやることも優しさだ。そう己に言い聞かせたが、マコトが短い睫毛を悲しげに伏せたことで考えを改めざるを得なかった。
「……はい、分かってます」
「……いつか、方法が見つかる、かもしれない」
確証もなく希望を与えるなど酷なだけだ。頭では分かっていても、仮初の希望を与えずにはいられなかった。
息が詰まるのだ。目の前の男が涙を流す姿は、まるでフェリクス自身が鋭利な刃物で切り付けられたような痛みを彼に与えた。
何故─その疑問に答えを見つけられないまま、フェリクスは痛む心臓から必死に意識を逸らした。
マコトの脆さに触れ、フェリクスは動揺を隠さなかった。そんな彼に更なる驚きを与える知らせが舞い込んだ。
「ミリウスがあの男を受け入れたのか?」
「はい。聖女様のことをいたく気に入られたご様子で、侍女頭殿もこんなことは初めてだと随分お喜びになられていました」
「そうか……」
「ミリウス殿下が聖女様にご好意を寄せていらっしゃるということは、聖女様はやはり偽善者などではなく真の善人ということになりますね」
「……ああ」
ごく限られた人間にしか明かされていないが、末の弟であるミリウスには特別な力があった。
それは単に魔法が使えるというだけではなく、相手の本質を見抜く目を持っているのだ。
たとえどれだけ取り繕おうとも、ミリウスには相手が善人か悪人か、その区別がつく。だからこそ、ミリウスは幼くして人間の悪意に辟易してしまい、今では他者との接触を避けるように北の離宮で暮らすようになった。
そんなミリウスが、一目見てマコトを気に入ったというのだ。乳母のアリシアですら口を聞いてもらうまでに二週間かかったのだから、これはまさしく快挙である。
「……あの方の存在で、この国の未来が変わるかも知れませんね」
「偽物の聖女の存在でか?」
「確かにあの方に聖女としての素質はないかも知れません。けれど、それ以上に大切なものをこの国にもたらしてくれるかも知れませんよ。気まぐれで事を起こすほど神も暇ではないでしょうから」
「全てのことは必然だと?」
「ええ。あの方がこの国に幸福をもたらすか、あるいは破壊するか、これからじっくり拝見させていただくことにしましょう」
カミールはいつになく愉しげだった。新しいおもちゃを見つけた子供のような反応に、フェリクスは深くため息をついた。
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