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不可解な男

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 日がな一日後宮に篭って贅沢の限りを尽くしている。─不名誉な噂とは裏腹に、マコトの生活は質素そのものだった。

「食事は使用人の賄いと大差ないような質素なものですし、ドレスも支給された数着しか着回していません。日中はほとんど使用人の手伝いをしているようで、厩務員に借りた作業着姿のことの方が多いようですね」
「ますますわけがわからないな」

「全くです」とカミールが同意するように頷く。

「国王陛下から生活費として渡された過分なまでの金銭は全て慈善活動に費やしているようです」
「……そうか」
「本日の報告は以上ですが、明日以降も続けるおつもりですか? 粗を探そうにも、あの方は呆れるほどの善人のようですので、単なる骨折り損のような気もしますが」
「粗探しをしているのではない」
「……純粋に、聖女様の人となりに興味がおありだと、そう仰るのですか?」
「……暇つぶしだ」
「ええ、そうでしょうとも。数多の女人に言い寄られても全て袖にしていた殿下がこれほど関心を寄せているのですから、それはもう最高の暇つぶしなのでしょうね」
「何が言いたい」
「いえ、お気になさらず。引き続き聖女様の素行をご報告いたしますのでご安心を」

 フェリクスの睨みを躱すようにカミールはさっさと執務室を後にした。一人残されたフェリクスは、むず痒い気持ちと共に大きな溜め息を吐いたのだった。


 多忙を極める政務の傍ら、空き時間を見つけては自らもマコトの観察に勤しんだ。
 そこで得た情報は、マコトは一日のほとんどを厩舎で過ごしているということだった。
 一体そこで何をやるのかといえば、なんのことはない、馬の手入れに勤しんでいる。
 馬の毛並みを丁寧にブラッシングしてやり、体の隅々まで汚れを落としてやる。その丁寧かつ手際の良い作業は見ていて気持ちが良かった。

「ブルルッ」
「ふふ、たくさん食べて大きくなるんだよ」

 特にマコトが気にかけているのは、飼育されている馬の中でも一際小柄な雄の白馬だった。

「フィン、ご飯を食べ終わったら少しお散歩しようか」
「ブルッ」
「よしよし、いい子だね。近くにいい原っぱがあったから、そこでかけっこしようね」

 フィンと呼ばれた白馬が嬉しそうにマコトに鼻先を擦り寄せる。マコトも愛おしげに白馬の首筋を撫でてやった。
 その眼差しからは、打算や偽善の類いは一切感じられない。本心から目の前の生き物を慈しんでいることが窺えた。


 またある時は、王宮内の庭師の手伝いをしていた。

「これはなんていうお花ですか?」
「これはリラックです。花言葉は……まあ、色々ありますが、この紫のなんかは『初恋』なんて言われてますね」
「へぇ、素敵ですね。確かに綺麗なだけじゃなくて可愛らしいお花ですもんね。このお庭に咲いているお花全部の花言葉を覚えていらっしゃるんですか?」
「ええ、まあ」
「へ~、すごいですね! 愛情深い方に育ててもらえて、このお花たちもきっと幸せですね」

 庭師はマコトの言葉に照れ臭そうに頰を搔いた。どうやらこの老爺とは顔馴染みらしい。
 そんなマコトの仕事ぶりは、これまた実に要領が良かった。
 老爺に指示されたことを正確かつ迅速にこなし、自身の仕事の傍ら、腰を悪くした老爺への気遣いも忘れない。老爺のみならず、他の庭師からもマコトの働きぶりは賞賛され、可愛がられている様子だった。

「聖女様は本当にお優しい方です」「我々のような身分の者にも敬意を持って接してくださいます」「誰にでも分け隔てなく笑顔を振りまいてくださって、聖女様がいらっしゃると場の空気が和みます」と、彼の人となりに触れた者たちは口を揃えてマコトは良い人間だと言う。
 そんな彼らの言葉を鵜呑みにするわけではないが、それでも、事実としてマコトは良い人間なのだろうと思う。

 称賛すべきは人柄だけでなく、人としての品位も申し分なかった。身なりこそ質素なものの、所作や物腰からは育ちの良さと品性が感じられる。言葉遣いも丁寧で、決して身分の低い者を見下すこともない。
 身分を笠に着ることもなく、謙虚で誠実な性格は周囲からの人望も厚いようだった。

「これではまるで聖人君子ですね。ここまでくると、人間みがなさすぎて逆に不気味と言いますか、実は精巧にできたアンドロイドなのかもしれないと思えてきましたよ」
「人並みの感情がないということか?」
「ええ。負の感情が一切ない人間はいないでしょう。どれだけよくできた人間でも、多少なりとも他者への妬みや恨みを抱くものです。それなのに、聖女様からはそういった負の感情は一切感じられません」

 人間味がない。正直なところ、内心ではその言葉に同意していた。
 こちら側の勝手な都合で異世界に召喚され、かと思えば偽物扱いされて邪険に扱われる。さらには見ず知らずの男と婚約までさせられて、身勝手すぎるこの世界の人間に憎悪を抱くなという方が無理だろう。
 けれど、マコトにはそれがない。騒いだところでどうしようもないと言わんばかりに淡々と受け入れている。
 なぜそんなことができるのか、不思議でならなかった。

「アンドロイド、か」
「技術は日々進歩していますからね」

 流石にアンドロイドだとは思わないが、カミールの言葉にも一理あると思えた。

「……読めない男だ」

 フィンを連れて野原を駆け回る姿は確かに慈愛に満ちていた。感情のないアンドロイドだというには、彼はあまりに人が良すぎる。
 知れば知るほど、マコト・カガリという男は不可解な人物だった。
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