罰ゲームから始まる不毛な恋とその結末

すもも

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本当に会いたい人

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 あの日から一週間。ない頭を使ってあれこれ考え過ぎたせいか、社会人になって初めて体調を崩してしまった。幸いにも今日を乗り切れば明日から三連休が始まる。
 こういう時、無表情で良かったなと思う。具合が悪いのがバレて会社の人に心配をかけたくなかった。

「おはようございます」
「おー、おはようさん。午後の会議の資料もうまとめられてるか?」
「はい。伊勢さんに昨日のうちに渡してあります」
「流石、柿谷は仕事が丁寧だし早くて助かるよ。次もまたよろしくな」
「はい」

 バシッと肩を叩かれてちょっとふらついてしまった。部長はいい人だけど、ノリがちょっと体育会系なのだ。
 フラフラした足取りでデスクに向かう。隣の席の羽多野君が俺に気付いて顔を上げた。

「おはよう」

 いつもだったらすぐに挨拶を返してくれるのに、羽多野君は何かを探るように無言で俺の顔を見つめた。
 そして開口一番、「休んでください」と言われてしまった。

「柿谷さん、熱ありますよね」
「え、や、平熱、だよ」
「体温計で測ったわけじゃないでしょう。顔色悪いです。柿谷さんが倒れたら部長が自分のせいだって気に病むかもしれませんよ」

 羽多野君は優しいけれど、こういう時は容赦がない。
 本当は会議にも参加したかったけど、確かに羽多野君の言う通りだ。無理して倒れでもしたらみんなに迷惑をかけてしまう。

「柿谷さん、無理は禁物です。人間誰しも体調を崩すことはあります。無理をして悪化させるより、今日一日休んで体調を整えた方が賢明ですよ」

 子どもみたいに諭されて情けなかったけれど、羽多野君の言う通りだ。

「……うん、そうする」
「薬は飲みましたか?」
「いや、まだ」
「ならまずは病院ですね。部長には俺から言っておきます」
「あ、いや、それは流石に自分で言うよ」
「そうですか……。何か、俺にできることはありますか?」
「一応、急ぎの仕事は昨日のうちに終わらせてあるから、特には大丈夫かな」
「……仕事以外では、ありませんか?」
「え? えーと、特には」
「……看病しに行ったらダメですか」

 いつもクールな羽多野君にしては珍しく、どこか切羽詰まったような必死さが感じられた。
 熱のせいでぼんやりとした思考で、なんだかちょっとだけ次郎に似ているなぁなんて思った。
 二年前に天国に旅立った愛犬は、俺が風邪を引くとクンクン鼻を鳴らしてそばにいてくれた。

「そうだね、もし羽多野君が看病してくれたらすごく嬉しい」

 いつもだったら恥ずかしくて言えなかったかもしれない言葉は、熱のせいかすんなりと口をついて出た。
 羽多野君が僅かに目を見張る。それからすぐに、安心したように表情を和らげた。

「仕事が終わり次第すぐに向かいます。お大事になさってください」
「うん、ありがとう」

 弱っているせいか、羽多野君の優しさにちょっとだけ泣きそうになってしまった。


 薬を飲んで寝て、どれくらい経ったんだろう。
 ピンポーンとチャイムが鳴って目が覚めた。

「けほっ、ん゛ん」

 喉が痛い。頭もガンガンするし、熱のせいか視界がぼやけて足元が覚束なかった。
 フラフラと心許ない足取りで玄関に向かう。

「遅くなってすみません。大丈夫、ではないですよね」

 約束通り、羽多野君がお見舞いに来てくれた。
 羽多野君に支えてもらいながら、フラフラとベッドに逆戻りした。

「お粥買ってきたので食べてください。無理そうだったらゼリーもあるので、そっちが良ければ言ってください」
「うん……ありがとう」

 お言葉に甘えて桃のゼリーをいただいた。食欲がわいてきたことに安心していると、食後に風邪薬まで渡してくれた。至れり尽くせりだ。

「ありがとう」

「いえ。熱が上がっているようですし、今日はこのまま泊まっていいですか?」
「え?」
「柿谷さんが嫌なら帰ります」
「やじゃ、ないよ」
「良かったです」
「でも、遠慮します」
「え?」
「風邪、移したくない、から」
「いえ、むしろ移してください。そうしたら早く良くなるかもしれません」
「ううん、だめ」

 ふるふると首を横に振る。
 ああ、頭が痛い。耳鳴りまでし始めた。じわじわと生理的な涙まで滲んできて、ズビッと鼻を啜った。

「ありがとう」
「柿谷さん、無理やり話を終わらせて追い返そうとしてませんか?」
「ううん。でも、ごめん。ちょっと、眠い、から……ありがとう、また、火曜日に、ね」

 布団にくるまって目を閉じる。きゅっと指先を握られたけど、握り返す元気はなかった。

「……俺じゃ、ダメですか?」
「……」

 無言で首を横に振る。今度は指先じゃなくて手のひらを握られた。
 俺の手が熱すぎるからか、羽多野君の熱をほとんど感じない。
 不思議だな。向坂と繋いだ時は、そこから発火するんじゃないかってくらい熱くて、心臓が爆発しそうなくらいにドキドキしたのに。

「柿谷さん、本当のことだけ答えてください」

 静かな声だった。懇願するような、でもどこか、覚悟を決めたような声。

「俺に気を遣わなくて大丈夫です。もちろん、あの人にも」

 あの人……向坂のことかな。

「今、ここにいてほしい人は誰ですか。そばにいてほしい人は誰ですか。玄関を開けた時、誰に来てほしいと思ってましたか」

 どうやら羽多野君には全部お見通しだったらしい。
 ポロリと涙がこぼれ落ちた。
 会いたい。今すぐに、会いたいよ。

「こぅさか」

 子供みたいな舌足らずな声。
 羽多野君が小さく息を詰めて、ぎゅっと俺の手を握った。まるでこれが最後みたいに、長い間無言で俺の手を握っていた。

「柿谷さん、好きです」

 ありがとうと、うまく言えたか分からない。
 気づいたら羽多野君はそばにいなくて、代わりに向坂の声がした。

「ごめん、遅くなって」
「ん……」

 大きくて硬い手のひらが、労わるように優しく優しく頭を撫でてくれた。
 おでこに張り付いた前髪をよけて、ヒンヤリとしたものを当ててくれた。

「体、少し起こせる?」

 コクリと頷いて身じろぐ。肩の辺りに腕が差し込まれて、背中に手を添えられたまま上半身を起こした。
 差し出された体温計を素直に脇に挟む。ぼんやりした頭で、やけに静かだなと思った。でもそれが心地いい。無言でも、向坂の隣では安心できる。
 ピピッという電子音で我に返った。体温計を差し出すと、向坂が顔をしかめたのが分かった。

「解熱剤、ちゃんと飲んだか?」
「うん」
「そっか。大丈夫、今日が一番熱が上がるだろうけど、少しだけ頑張ったら楽になれるから」
「ん……や、だ」
「ん?」
「いかなぃ、で」
「いかないよ。ずっとそばにいる」
「寝たら、いなく、なる」
「ならないってば。そんな心配して……可愛いな」

 かわいい? 向坂が、俺を可愛いって言った?
 相変わらず頭はガンガンするけど、バクバクしてた心臓が今度はキュンキュンした。

「起こしてごめんな」
「ん……」

 優しい手つきで布団に戻されて、毛布を肩まで掛けてくれた。頭を撫でて、背中をさすって、俺がぐすれば熱を分けるみたいに抱きしめてくれた。
 ああ、好きだな。やっぱり、大好きだな。
 胸がいっぱいになって溢れるくらいに好きだと思った。こんな気持ちになれるのは向坂だけだと心の底から思った。
 「早く良くなれよ」と祈るような声で言った向坂に心が締め付けられた。また泣いてしまったのは熱のせいだけじゃない。


 朝起きたら熱はだいぶ下がっていて、向坂の言った通り随分と楽になった。

「おはよう」
「……おはよ」

 ベッドから起き上がってすぐ向坂に抱きしめられた。その途端、朝の憂鬱さが嘘みたいに心が軽くなった。我ながら単純で笑えるくらいだった。

「体、大丈夫?」
「うん」

 おでこ同士をコツンとぶつけられる。
 一晩中看病してくれていたのか、向坂は昨日の格好のままだった。
 もしかしたら、あれから寝ていないのかもしれない。

「昨日の夜、さ」
「うん」
「羽多野さん、来てたろ?」
「え……」

 ドクンと心臓が跳ねた。バクンバクンと今まで感じたことがないくらいに激しく鼓動する。
 別に、悪いことをしてるわけじゃない。羽多野君はただ看病をしに来てくれただけだし、実際に何もなかった。それに、向坂にはまだ返事をしていないから、何かあったからって浮気になるわけでもない。
 それでも罪悪感が押し寄せてくるのは、もし俺が向坂の立場だったら嫌だなと思うからだ。

「……ごめん」
「謝るなよ。ただ、悔しかっただけだから」
「くやしい?」
「……柿谷が辛い時、一番に駆けつけてやれなかった」
「それは……風邪引いてるの、言わなかったから」
「それでも、誰よりも早く駆けつけたかった。他の誰かじゃなくて、俺が」

 ぎゅっと抱きしめられてドキドキした。こんなにも直球に愛情を示されて嫌なわけがない。嬉しいに決まってる。
 ここまでしてもらって、好きになるなっていう方が無理な話だ。
 そっと向坂の背中に手を回せば、俺の背を抱く力が強まった。

「弱ってるところに漬け込むみたいでダサいけど、もし答えが決まってるなら、今聞かせてほしい」
「……うん」

 言わなきゃいけない。決めたんだろ? と自分に言い聞かせて、心を落ち着かせるために深呼吸をした。

「向坂」
「ん?」
「っ……」

 トクトクと速まる鼓動を手で押さえながら口を開いたのに、肝心の言葉が上手く出てこなかった。意気地なしな自分が嫌になる。喉まで出かかっている答えを声にできなくて、口を噤んだまま首を横に振った。
 そんな俺を見て向坂は怒るでもなく呆れるでもなく、ただ静かに頭を撫でてくれた。

「いいよ、ゆっくりで」
「……うん」

 向坂の優しさに涙が出そうになる。嬉しいはずなのに、その優しさがひどくもどかしい。

「っ好き、もう、離れたくない……っ」

 八年越しにようやく言えた。
 涙がボロボロ溢れて、鼻水まで垂れてきた。ぐちゃぐちゃで汚い俺の顔を見ても、向坂は眉を顰めなかった。
 ふっと向坂の口元が緩む。優しい目で俺を見てくれるだけで息が詰まった。

「もう絶対、離さない」

 抱きしめられたままベッドに寝かされた。向坂が覆いかぶさってくる。

「風邪、伝染るよ」
「いいよ。今風邪ひいて死んでも、全然いい」
「だめ。俺のこと、離さないって言った」
「……ごめん柿谷」
「え?」
「風邪引いてて辛いの分かるけど、今のお前、可愛すぎるよ」

 そういう向坂はカッコ良すぎるよ。
 ああ、今すぐキスがしたいな。早く風邪を治したい。そしたら八年分、死ぬほどキスしてもらおう。
 元気になってそれを言ったら、向坂は「あー……」と頭を抱えて、それからいっぱいキスをしてくれて、なんならキス以上のこともいっぱいしてくれた。
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