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八年越しの
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あれから八年。地方の大学を出た後、就職を機に東京に戻って来た。
だからといって何があるわけでもない。連絡先を変えたことで、高校時代の同級生とは疎遠になっていた。もちろん、向坂とも。
「柿谷さん、今度一緒に映画観に行きませんか? 前に気になるって言ってた映画のチケット貰ったんで、良かったら一緒に行きませんか」
「いいの?」
「何がですか?」
「羽多野君なら他に一緒に行く相手たくさんいると思って」
「まあ誘えば来る奴はいるでしょうけど、誘いたいのは柿谷さんなんで」
「なるほど」
「で、どうなんですか?」
切れ長の目がじっと俺を見据える。
女性社員からクールでカッコいいと評判の羽多野君は、どういうわけか俺のことが好きらしい。
つい一週間前、まるで明日の天気の話でもするようなトーンで告白されたのだ。
『柿谷さん、好きです。俺と付き合ってください』
『罰ゲーム?』
咄嗟にそう返した俺を責めないでほしい。何年経っても、過去の古傷が癒えてくれないのだ。
『罰ゲームってなんですか』
ムッとしたように眉を顰めた顔もカッコよかった。
うん、やっぱり罰ゲームだ。だって、羽多野君みたいにイケメンで仕事ができてモテモテな子が俺なんかを好きになるわけがない。
『大丈夫。ちゃんと分かってるから』
『いや、何も分かってないですよね』
並大抵のことでは揺るがないポーカーフェイスが、その時ばかりは焦りを滲ませていた。
あれ、もしかしてこれ本気なのかな? らしくない動揺を感じ取って、ようやく羽多野君の告白が本気なのだと気づけた。
『本当に俺のことが好きで告白してくれてるの?』
『はい。罰ゲームで告白なんて、そんな最低なことする男に見えますか?』
ああ、それでちょっと拗ねてたんだ。
『ごめん。羽多野君のせいじゃなくて、俺の問題だから』
『どういう意味ですか』
『いや、俺のこと本気で好きになってくれる人なんて今までいなかったから』
『なら、俺が初めての男になります』
『……うん』
『貴方を好きになった最初で最後の男でいたいです』
嬉しいと同時に、なんで俺? と思わずにはいられなかった。
俺は本当に、どこにでもいる普通の男なのだ。
お金持ちでもないし、スポーツが得意なわけでもなければ、頭がいいわけでもない。表情筋が死んでいて、愛嬌のあの字もないようなつまらない男。
そんな俺を、羽多野君は好きだと言ってくれた。それなら俺も、彼に対しては誠実でありたいと思った。
『ごめん。羽多野君とは付き合えない』
『恋愛対象としては見れませんか』
『ううん。これから先見れる可能性は全然あるよ。ただ、本気で好きな人としか付き合わないって決めてるから』
『付き合ってから好きになる、じゃダメですか?』
昔はそれでいいと思ってた。その結果、どうしようもなく好きな人を苦しめてしまった。
『もう同じ過ちは繰り返したくない。だから、羽多野君のことを本気で好きになるまでは付き合えない』
『なら、本気で好きにさせます。絶対、俺に惚れさせてみせます』
俺を見る羽多野君の目があんまりにも真っ直ぐで、どうしてか少しだけ泣きたくなった。
「──にさん、柿谷さん、聞こえてますか」
「あ、ごめん。ぼーっとしてた」
「いえ。映画、どうしますか?」
「……せっかくだし、俺でよければご一緒させてください」
「柿谷さんがいいんです。なので、こちらこそご一緒させてください」
普段笑わない人が微笑むとこんなに威力があるんだ。
嬉しそうに口角を上げた羽多野君を見て、キュンと胸が高鳴った。
「……柿谷さん、その顔俺以外にしないでくださいね」
「え?」
「いえ、柿谷さんの笑顔はレアなので、その分破壊力がすごいんです」
それはつまり、笑顔がブサイクだから自重しろということだろうか。
仮にも俺のことが好きな羽多野君がそう言うんだから、俺の笑顔はよっぽど凶悪なんだろう。
「わかった、気をつける」
「俺の前では気をつけなくていいですからね」
「うん? うん」
よく分からないけど、羽多野君がいいならいいか。
これから笑いたくなった時は、羽多野君のところに行こう。
「迷惑かけてごめんね」
「なんのことですか?」
「いや、見たくないものをたくさん見せることになりそうだから」
「すみません。話がよく─」
羽多野君の形のいい唇が言葉を紡ぐ。
それを掻き消すようにして、どこか耳馴染みのある声が俺を呼んだ。
「柿谷?」
街を行き交う人混みの中、その声だけがはっきりと俺の耳に届いた。
「柿谷」
今度は、確信を持って呼ばれた。
咄嗟に逃げ出すより早く、背後から腕を掴まれて引き止められる。耳元で、懐かしい声が俺を呼んだ。
「柿谷!」
「っ……」
「やっと、見つけた」
変なの。まるで、何年も俺のことを探してたみたいだ。
やめてほしい。ようやく、次に踏み出せそうだったのに。本気で俺を好きになってくれた人を、好きになれそうだったのに。
八年もの時間があっという間に巻き戻る。
俺はバカだ。何年経っても、身の程知らずな思いを断ち切れないだなんて。
「っ、向坂……」
振り向いちゃダメだって頭では分かってる。でも、もう一度会いたいと何度も願った人を、何度も夢に見ては虚しさに泣いたその存在を、こんなにも間近に感じらたらもうダメだった。
「やっぱり、柿谷だ」
ああ、向坂だ。
八年経って、整った容貌は精悍さが増して、大人の色気を纏うようになった。身につけてるスーツも一目で上等だと分かる。
それでも、色素の薄い髪はそのままで、俺の好きだった色彩がそこにはあった。
どうやら向坂も同じことを思ったらしい。一度も染めたことのない俺の黒髪を見て、懐かしむように目を細めた。
「変わんないな」
「……向坂は、変わった」
「変わってねぇよ」
砕けた話し方は、確かにあの頃と変わらない。
それでもやっぱり、俺が追いかけ続けた向坂とは少し違って見える。
「柿谷さんのお知り合いですか」
「あ、うん」
俺たちの間に割って入るようにして、羽多野君が俺の体を抱き寄せた。
それでも向坂が俺の腕を離さないから、側から見たら美形二人がフツメンを取り合ってるような構図になってるんじゃなかろうか。
「あの、二人とも」
「柿谷のお知り合いですか?」
「会社の後輩です」
「ああ、これはどうも。初めまして、向坂と申します。柿谷の高校時代の同級生で、とても深いお付き合いがありました」
「羽多野と申します。柿谷さんには新卒の頃からお世話になっていて、今でも手取り足取り指導していただいています」
「へぇ、それは羨ましいですね」
「ええ、プライベートでも懇意にさせていただいています」
気のせいだろうか。俺を挟んで二人が火花を散らしている気がする。
なんだろう。イケメン同士同族嫌悪的な感じだろうか。せっかくなら仲良くすればいいのに。
「あの、人が見てるから」
「別に周りなんてどうでもいいだろ。そんなことより、積りに積もった話があるんだけど?」
「……向坂、やっぱり変わった」
「変わってねぇって」
「ううん、変わった。昔は、俺と一緒にいるところ見られたくなさそうだった」
「っ……」
核心をつかれたとばかりに向坂が瞳を揺らした。
あの頃の向坂は、冴えない俺と連んでるところを人に見られたくないみたいだった。周りの目を気にして、人前ではあんまり俺と一緒にいたがらなかった。
卒業式の日だって、俺より元カノさんを優先してたし。
でもそれは普通のことだ。向坂はゲイじゃないし、罰ゲームで俺と付き合ってただけだから。
「罰ゲーム、もう終わってるよ」
「は、」
「もう、無理しなくていいよ」
八年前、俺が向坂の前から姿を消した日に、全部終わらせた。だからもう、俺のこと好きなフリしなくていいんだよ。
「俺、気にしてないから」
向坂は優しいから、八年経った今も罪悪感に苦しんでるのかもしれない。
だとしたら申し訳ないな。やっぱりあの日、いきなり消えるんじゃなくてちゃんと別れ話をすればよかった。俺は全然気にしてないからって、嘘でも恋人ができて楽しかったって、俺も本気じゃなかったから気にしないでって、ちゃんと言えばよかった。
でも言えなかった。向坂のことを本気で好きになってしまったから、嘘でも好きじゃないなんて言えなかった。
「逃げてごめん」
「……なんで、謝んの。柿谷は何も悪くないだろ」
「嘘ついたから」
「ウソ?」
「本当は好きじゃなかったのに、好きって嘘ついて付き合った。だから、ごめん」
「そんなの、謝る理由になんねぇよ」
「……向坂に嫌な思いさせた」
好きでもない男と付き合わされて、したくもないデートをして、キスまでさせてしまった。
向坂はゲイじゃないから、俺とのキスはトラウマになってしまったかもしれない。
「本当に、ごめんなさい」
卒業式の日と同じように頭を下げた。
違ったのは、涙が溢れる前に向坂に抱きしめられたことだ。
「こう、さか……?」
「ごめん。謝んなきゃいけないことばっかだけど、それよりもっと伝えたいことがある」
「……なに?」
「好きだ」
幻聴にしてはやけにはっきり聞こえた。
夢にしては触れ合った場所から伝わる熱がリアルだ。
甘くて深い香水も、首筋を掠める吐息も、不安げに揺らぐ双眸も。全部が全部、これが都合のいい妄想じゃないって教えてくれる。
だからこそ辛かった。八年経った今でもまだ、向坂は俺を騙そうとしてる。
「ウソだ」
「嘘じゃない。ごめん。今更だって分かってるけど、柿谷のこと好きだ」
「罰ゲーム、もう終わったってば」
「違う。罰ゲームじゃなくて、本気で言ってる。好きだ。何年経っても忘れられないくらい、死ぬほど好きで仕方ねぇんだよ」
好き。俺も、向坂が好き。
喉元まで出かかった言葉は、背後から回された大きな手のひらに食い止められた。
「むぐ」
「柿谷さん、俺がいるのに浮気ですか」
「は? 柿谷と付き合ってるんですか?」
「いえ、まだです。ただ、柿谷さんはもう先約済みなので」
「恋人じゃないなら首突っ込まないでもらえますか」
「恋人じゃなくても、俺は柿谷さんのことが好きなので。貴方と違って、くだらない嘘で柿谷さんを傷つけたりしません」
羽多野君は聡い子だ。俺たちの会話の節々から、なんとなくどんな関係か察したらしい。
いつもは冷静沈着なのに、羽多野君は目に見えて怒っていた。
「柿谷さん、一緒に帰りましょう。この人のことはもう忘れてください」
「だから、君は俺たちとは無関係なんだから口出ししないでくれよ」
「貴方とは無関係でも、柿谷さんとは特別な間柄ですので」
「悪いけど、俺の方が柿谷との仲は深いよ」
「でも、全部嘘だったんですよね」
向坂が小さく息を呑む気配がした。
俺の腰を抱いていた手の力が弱まる。でもすぐに、さっきよりも強く深く抱き寄せられた。
「最初は嘘だった。でも、全部が嘘じゃない。好きだったよ。認められなかっただけで、本気で好きだった」
鋭い目で羽多野君を見据えていたけど、その声は俺に語りかけているようだった。
好き。向坂が俺を好き。罰ゲームじゃなくて、本気で俺を好きって言った。
「向坂」
「柿谷、悪い。いきなりこんなこと言われても迷惑なだけだろうけど─」
「なんで俺のこと好きになったの?」
八年前に同じ質問をした時は、楽だから、と言われた。
今も答えは変わらないのかな。
楽だから? 都合がいいから?
なんで、俺が好きなの、向坂。
「柿谷には、笑っててほしいって思った、から」
向坂にしては珍しく、拙い日本語だった。
ていうかそれ、理由になってないよ。俺が同じこと言った時、向坂そう言ったのに。
「覚えてたんだ」
「忘れられなかった」
てことは、この八年間、向坂も忘れようと努力したんだな。
俺と一緒で、思い出にしようとしたけどできなかったんだ。
ずっとずっと、忘れたくても忘れられなかった。思い出すたびに涙が出るくらい、そばにいられた時間が幸せだったから。
「向坂、俺……」
「うん、なに?」
「っ……」
俺も、好きだよって。素直になるだけでいいはずなのに、本当にそれでいいのかなって胸がザワザワした。
不安定な瓦礫の上に立ってるみたいに、不安で足が竦んだ。
だってもし、もう一度裏切られたら。今度こそ俺は立ち直れない。
あの時のトラウマが蘇って、咄嗟に向坂を突き放していた。
「ごめん!」
「柿谷!」
「羽多野君、行こう!」
「はい」
さっきまでの怒りは鎮まったのか、羽多野君が冷静に頷いて俺の手を取った。
いつのまにか、男同士の痴情のもつれを見ようと野次馬が集まっていた。その波を掻き分けて、羽多野君と二人で夜道を駆ける。
向坂は追ってこなかった。多分、俺が泣きそうな顔をしたからだ。
最後に「ごめん」と聞こえた気がして、その声を振り切るように無我夢中で走った。
だからといって何があるわけでもない。連絡先を変えたことで、高校時代の同級生とは疎遠になっていた。もちろん、向坂とも。
「柿谷さん、今度一緒に映画観に行きませんか? 前に気になるって言ってた映画のチケット貰ったんで、良かったら一緒に行きませんか」
「いいの?」
「何がですか?」
「羽多野君なら他に一緒に行く相手たくさんいると思って」
「まあ誘えば来る奴はいるでしょうけど、誘いたいのは柿谷さんなんで」
「なるほど」
「で、どうなんですか?」
切れ長の目がじっと俺を見据える。
女性社員からクールでカッコいいと評判の羽多野君は、どういうわけか俺のことが好きらしい。
つい一週間前、まるで明日の天気の話でもするようなトーンで告白されたのだ。
『柿谷さん、好きです。俺と付き合ってください』
『罰ゲーム?』
咄嗟にそう返した俺を責めないでほしい。何年経っても、過去の古傷が癒えてくれないのだ。
『罰ゲームってなんですか』
ムッとしたように眉を顰めた顔もカッコよかった。
うん、やっぱり罰ゲームだ。だって、羽多野君みたいにイケメンで仕事ができてモテモテな子が俺なんかを好きになるわけがない。
『大丈夫。ちゃんと分かってるから』
『いや、何も分かってないですよね』
並大抵のことでは揺るがないポーカーフェイスが、その時ばかりは焦りを滲ませていた。
あれ、もしかしてこれ本気なのかな? らしくない動揺を感じ取って、ようやく羽多野君の告白が本気なのだと気づけた。
『本当に俺のことが好きで告白してくれてるの?』
『はい。罰ゲームで告白なんて、そんな最低なことする男に見えますか?』
ああ、それでちょっと拗ねてたんだ。
『ごめん。羽多野君のせいじゃなくて、俺の問題だから』
『どういう意味ですか』
『いや、俺のこと本気で好きになってくれる人なんて今までいなかったから』
『なら、俺が初めての男になります』
『……うん』
『貴方を好きになった最初で最後の男でいたいです』
嬉しいと同時に、なんで俺? と思わずにはいられなかった。
俺は本当に、どこにでもいる普通の男なのだ。
お金持ちでもないし、スポーツが得意なわけでもなければ、頭がいいわけでもない。表情筋が死んでいて、愛嬌のあの字もないようなつまらない男。
そんな俺を、羽多野君は好きだと言ってくれた。それなら俺も、彼に対しては誠実でありたいと思った。
『ごめん。羽多野君とは付き合えない』
『恋愛対象としては見れませんか』
『ううん。これから先見れる可能性は全然あるよ。ただ、本気で好きな人としか付き合わないって決めてるから』
『付き合ってから好きになる、じゃダメですか?』
昔はそれでいいと思ってた。その結果、どうしようもなく好きな人を苦しめてしまった。
『もう同じ過ちは繰り返したくない。だから、羽多野君のことを本気で好きになるまでは付き合えない』
『なら、本気で好きにさせます。絶対、俺に惚れさせてみせます』
俺を見る羽多野君の目があんまりにも真っ直ぐで、どうしてか少しだけ泣きたくなった。
「──にさん、柿谷さん、聞こえてますか」
「あ、ごめん。ぼーっとしてた」
「いえ。映画、どうしますか?」
「……せっかくだし、俺でよければご一緒させてください」
「柿谷さんがいいんです。なので、こちらこそご一緒させてください」
普段笑わない人が微笑むとこんなに威力があるんだ。
嬉しそうに口角を上げた羽多野君を見て、キュンと胸が高鳴った。
「……柿谷さん、その顔俺以外にしないでくださいね」
「え?」
「いえ、柿谷さんの笑顔はレアなので、その分破壊力がすごいんです」
それはつまり、笑顔がブサイクだから自重しろということだろうか。
仮にも俺のことが好きな羽多野君がそう言うんだから、俺の笑顔はよっぽど凶悪なんだろう。
「わかった、気をつける」
「俺の前では気をつけなくていいですからね」
「うん? うん」
よく分からないけど、羽多野君がいいならいいか。
これから笑いたくなった時は、羽多野君のところに行こう。
「迷惑かけてごめんね」
「なんのことですか?」
「いや、見たくないものをたくさん見せることになりそうだから」
「すみません。話がよく─」
羽多野君の形のいい唇が言葉を紡ぐ。
それを掻き消すようにして、どこか耳馴染みのある声が俺を呼んだ。
「柿谷?」
街を行き交う人混みの中、その声だけがはっきりと俺の耳に届いた。
「柿谷」
今度は、確信を持って呼ばれた。
咄嗟に逃げ出すより早く、背後から腕を掴まれて引き止められる。耳元で、懐かしい声が俺を呼んだ。
「柿谷!」
「っ……」
「やっと、見つけた」
変なの。まるで、何年も俺のことを探してたみたいだ。
やめてほしい。ようやく、次に踏み出せそうだったのに。本気で俺を好きになってくれた人を、好きになれそうだったのに。
八年もの時間があっという間に巻き戻る。
俺はバカだ。何年経っても、身の程知らずな思いを断ち切れないだなんて。
「っ、向坂……」
振り向いちゃダメだって頭では分かってる。でも、もう一度会いたいと何度も願った人を、何度も夢に見ては虚しさに泣いたその存在を、こんなにも間近に感じらたらもうダメだった。
「やっぱり、柿谷だ」
ああ、向坂だ。
八年経って、整った容貌は精悍さが増して、大人の色気を纏うようになった。身につけてるスーツも一目で上等だと分かる。
それでも、色素の薄い髪はそのままで、俺の好きだった色彩がそこにはあった。
どうやら向坂も同じことを思ったらしい。一度も染めたことのない俺の黒髪を見て、懐かしむように目を細めた。
「変わんないな」
「……向坂は、変わった」
「変わってねぇよ」
砕けた話し方は、確かにあの頃と変わらない。
それでもやっぱり、俺が追いかけ続けた向坂とは少し違って見える。
「柿谷さんのお知り合いですか」
「あ、うん」
俺たちの間に割って入るようにして、羽多野君が俺の体を抱き寄せた。
それでも向坂が俺の腕を離さないから、側から見たら美形二人がフツメンを取り合ってるような構図になってるんじゃなかろうか。
「あの、二人とも」
「柿谷のお知り合いですか?」
「会社の後輩です」
「ああ、これはどうも。初めまして、向坂と申します。柿谷の高校時代の同級生で、とても深いお付き合いがありました」
「羽多野と申します。柿谷さんには新卒の頃からお世話になっていて、今でも手取り足取り指導していただいています」
「へぇ、それは羨ましいですね」
「ええ、プライベートでも懇意にさせていただいています」
気のせいだろうか。俺を挟んで二人が火花を散らしている気がする。
なんだろう。イケメン同士同族嫌悪的な感じだろうか。せっかくなら仲良くすればいいのに。
「あの、人が見てるから」
「別に周りなんてどうでもいいだろ。そんなことより、積りに積もった話があるんだけど?」
「……向坂、やっぱり変わった」
「変わってねぇって」
「ううん、変わった。昔は、俺と一緒にいるところ見られたくなさそうだった」
「っ……」
核心をつかれたとばかりに向坂が瞳を揺らした。
あの頃の向坂は、冴えない俺と連んでるところを人に見られたくないみたいだった。周りの目を気にして、人前ではあんまり俺と一緒にいたがらなかった。
卒業式の日だって、俺より元カノさんを優先してたし。
でもそれは普通のことだ。向坂はゲイじゃないし、罰ゲームで俺と付き合ってただけだから。
「罰ゲーム、もう終わってるよ」
「は、」
「もう、無理しなくていいよ」
八年前、俺が向坂の前から姿を消した日に、全部終わらせた。だからもう、俺のこと好きなフリしなくていいんだよ。
「俺、気にしてないから」
向坂は優しいから、八年経った今も罪悪感に苦しんでるのかもしれない。
だとしたら申し訳ないな。やっぱりあの日、いきなり消えるんじゃなくてちゃんと別れ話をすればよかった。俺は全然気にしてないからって、嘘でも恋人ができて楽しかったって、俺も本気じゃなかったから気にしないでって、ちゃんと言えばよかった。
でも言えなかった。向坂のことを本気で好きになってしまったから、嘘でも好きじゃないなんて言えなかった。
「逃げてごめん」
「……なんで、謝んの。柿谷は何も悪くないだろ」
「嘘ついたから」
「ウソ?」
「本当は好きじゃなかったのに、好きって嘘ついて付き合った。だから、ごめん」
「そんなの、謝る理由になんねぇよ」
「……向坂に嫌な思いさせた」
好きでもない男と付き合わされて、したくもないデートをして、キスまでさせてしまった。
向坂はゲイじゃないから、俺とのキスはトラウマになってしまったかもしれない。
「本当に、ごめんなさい」
卒業式の日と同じように頭を下げた。
違ったのは、涙が溢れる前に向坂に抱きしめられたことだ。
「こう、さか……?」
「ごめん。謝んなきゃいけないことばっかだけど、それよりもっと伝えたいことがある」
「……なに?」
「好きだ」
幻聴にしてはやけにはっきり聞こえた。
夢にしては触れ合った場所から伝わる熱がリアルだ。
甘くて深い香水も、首筋を掠める吐息も、不安げに揺らぐ双眸も。全部が全部、これが都合のいい妄想じゃないって教えてくれる。
だからこそ辛かった。八年経った今でもまだ、向坂は俺を騙そうとしてる。
「ウソだ」
「嘘じゃない。ごめん。今更だって分かってるけど、柿谷のこと好きだ」
「罰ゲーム、もう終わったってば」
「違う。罰ゲームじゃなくて、本気で言ってる。好きだ。何年経っても忘れられないくらい、死ぬほど好きで仕方ねぇんだよ」
好き。俺も、向坂が好き。
喉元まで出かかった言葉は、背後から回された大きな手のひらに食い止められた。
「むぐ」
「柿谷さん、俺がいるのに浮気ですか」
「は? 柿谷と付き合ってるんですか?」
「いえ、まだです。ただ、柿谷さんはもう先約済みなので」
「恋人じゃないなら首突っ込まないでもらえますか」
「恋人じゃなくても、俺は柿谷さんのことが好きなので。貴方と違って、くだらない嘘で柿谷さんを傷つけたりしません」
羽多野君は聡い子だ。俺たちの会話の節々から、なんとなくどんな関係か察したらしい。
いつもは冷静沈着なのに、羽多野君は目に見えて怒っていた。
「柿谷さん、一緒に帰りましょう。この人のことはもう忘れてください」
「だから、君は俺たちとは無関係なんだから口出ししないでくれよ」
「貴方とは無関係でも、柿谷さんとは特別な間柄ですので」
「悪いけど、俺の方が柿谷との仲は深いよ」
「でも、全部嘘だったんですよね」
向坂が小さく息を呑む気配がした。
俺の腰を抱いていた手の力が弱まる。でもすぐに、さっきよりも強く深く抱き寄せられた。
「最初は嘘だった。でも、全部が嘘じゃない。好きだったよ。認められなかっただけで、本気で好きだった」
鋭い目で羽多野君を見据えていたけど、その声は俺に語りかけているようだった。
好き。向坂が俺を好き。罰ゲームじゃなくて、本気で俺を好きって言った。
「向坂」
「柿谷、悪い。いきなりこんなこと言われても迷惑なだけだろうけど─」
「なんで俺のこと好きになったの?」
八年前に同じ質問をした時は、楽だから、と言われた。
今も答えは変わらないのかな。
楽だから? 都合がいいから?
なんで、俺が好きなの、向坂。
「柿谷には、笑っててほしいって思った、から」
向坂にしては珍しく、拙い日本語だった。
ていうかそれ、理由になってないよ。俺が同じこと言った時、向坂そう言ったのに。
「覚えてたんだ」
「忘れられなかった」
てことは、この八年間、向坂も忘れようと努力したんだな。
俺と一緒で、思い出にしようとしたけどできなかったんだ。
ずっとずっと、忘れたくても忘れられなかった。思い出すたびに涙が出るくらい、そばにいられた時間が幸せだったから。
「向坂、俺……」
「うん、なに?」
「っ……」
俺も、好きだよって。素直になるだけでいいはずなのに、本当にそれでいいのかなって胸がザワザワした。
不安定な瓦礫の上に立ってるみたいに、不安で足が竦んだ。
だってもし、もう一度裏切られたら。今度こそ俺は立ち直れない。
あの時のトラウマが蘇って、咄嗟に向坂を突き放していた。
「ごめん!」
「柿谷!」
「羽多野君、行こう!」
「はい」
さっきまでの怒りは鎮まったのか、羽多野君が冷静に頷いて俺の手を取った。
いつのまにか、男同士の痴情のもつれを見ようと野次馬が集まっていた。その波を掻き分けて、羽多野君と二人で夜道を駆ける。
向坂は追ってこなかった。多分、俺が泣きそうな顔をしたからだ。
最後に「ごめん」と聞こえた気がして、その声を振り切るように無我夢中で走った。
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