上 下
26 / 48

26 父の婚約

しおりを挟む
 その後もアルはダニエルに必死で自分を売り込み、また何よりも案外乗り気になっているガラティーンの口添えもあり、年内に二人の婚約を成立させることになった。社交界デビューした年のうちに結婚を決めることができて良かったとガラはひっそりと安堵する。
「私にも、普通の女性の感覚があったみたいだよ」
 リンダにその胸の内をリンダに告げる。
「いいじゃないですか。しかもお嬢様が好きになった方とご結婚」
「それを言われると何とも気恥ずかしいね」
 ガラティーンはアルからのリクエストで、ハンカチに彼のイニシャルを刺繍している彼女は、ドレス姿ではなくトラウザーズを履いて、足を広げて座っている。そんな姿ではあるが、刺繍はそこまで不得意ではないので、それなりにこなしている。
「結婚できなかったらどうしようかと思った。私が結婚しなかったら父上も結婚しなさそうだし」
「いや、お嬢様が結婚しても、ダニエル様は……どうでしょうね……」
「本当は、コーネリアの旦那さんになってもらいたかったんだけどね」
 たおやかで美しいコーネリアは引く手あまたで、彼女の父のエッジウェア伯は結婚相手をゆっくりと吟味しているところだという。
「エッジウェア伯が許さないのでは……」
「やっぱりそう思う?」
 ガラティーンは、刺繍をする手を止めて伸びをする。そしてふと窓の外を見たところで、ダニエルの馬車が戻ってきたのを見つける。
「おや、父上が帰ってきたよ。……まだ日も高いのに」
「そうですね」
 ガラティーンとリンダはそれ以上の注意は特に払わずにまた刺繍に戻っていたら、屋敷の中がにわかに騒がしくなった。
「なんの騒ぎだい?」
 ガラティーンが面白そうに騒ぎの方を覗きに行くと、冷静沈着な家令の目に涙が浮かんでいる。
「アンダーソン、どうしたの?」
「ダニエル様が、ご、ご結婚を」
「ええ!?」
 ガラティーンは目を丸くして驚く。
「ど、どちらのご令嬢と!?」
 ガラティーンについてきたリンダは、二人のやりとりを聞いてきゃあ、と大きな声を上げる。リンダからしてもこれだ、邸内の使用人がみなこのような反応をしていたら、それは先ほどのように大騒ぎになるだろう。
「エッジウェア伯からです」
「えっ、まさか」
「コーネリア嬢です!」
 リンダはもう声も出せず口を覆って、目に涙を浮かべている。ガラティーンもじんわりと胸が熱くなる。ダニエルのことを好ましいと感じていたコーネリアが、ダニエルに嫁ぐことになるのだ。何があったのかはわからないが、それはコーネリアにとっては喜ばしい出来事であるだろうに違いない。
 家令も感極まったようで、浮かんだ涙を指先でぬぐい、ぐっとその手を握りしめる。
「ガラティーン様、ダニエル様、お二方の婚儀を見ることができるようで、私は…!」
「アンダーソン…」
 ダニエルの結婚、そして自分の結婚にも喜んでくれる家令を見て、ガラティーンは嬉しくなると同時に、自分たちはそんなに心配をされていたんだなあという気持ちもわいてくる。
「詳しくはダニエル様からもう少し話を聞きだしてからにしましょう。ガラティーン様もこちらへ」
「あ、ああ」
 アンダーソンは一度強くうなずき、ガラティーンに頭を下げる。
 自分たちがこれだけの騒ぎになるのだ、父上はどうなってしまっていることやら、とハラハラしながらダニエルの居室へ家令と一緒にガラティーンは向かう。
 そこにはダニエルだけではなくてエッジウェア伯もいたので、ガラティーンはしまった、と思ったがそれは表に出さず、その日のトラウザーズ姿に沿った形のあいさつをする。
「お久しぶりです、エッジウェア伯」
「久しぶりですね、ガラティーン嬢」
「まさかおいでになるとは思わず、このような姿で失礼いたします」
「いや、コーネリアからあなたの話をよく聞いているよ」
 コーネリアはガラティーンのトラウザーズ姿の方が好ましいらしく、クーパー家に彼女が遊びに来るときにはトラウザーズ姿をリクエストされている。それをコーネリアの父のハーバートも知っていたようだ。
「どうもこちらの方が気楽で」
「確かに、自分があのようにずるずる、ひらひらした服を着ると思うと、こちらの方が気楽だね」
 ハーバートは、ガラティーンが思っているよりはくだけた人物のようだった。ダニエルとそれなりに付き合いがあるという時点で、まあ頭が固いばかりの官僚、ということではないのだろう。
「先ほどは、その――申し訳ありません。邸内を騒がしくしてしまいまして」
 ガラティーンもまさかあれだけ邸内が騒がしいのだから、来客はなかっただろうと考えていたのだ。
「かまわないよ。……ダニエルに結婚話が来たからと邸内があれだけ盛り上がるのは、彼が使用人たちにも愛されている証拠ではないかな」
「そう言っていただけると、助かります」
 ガラティーンは素直に微笑む。そして、周りを軽く見回す。自分が普通にエッジウェア伯と話をしているけれども、そもそもエッジウェア伯を連れてきたのは父のはずだ。
「ダニエルは参ってしまったようで、そこにいるよ」
 ハーバートはにやりと唇の左側を上げて笑い、机の向こう側で、椅子の座面を抱え込んで床に座っているダニエルを指さす。
「……父上!」
「だって恥ずかしくて……」
 消え入りそうな声で椅子を抱えるダニエルを見て、ガラティーンは天を仰ぐ。
「子供ですか……」
「コーネリアにこれを見せたらどうなることやら」
「全くですよ!」
 ガラティーンは深い、深いため息をつく。
「この人のことですから、コーネリア嬢のことは大切にします。それは間違いない。万が一何かあったら私がコーネリアを守ります」
「はは、まるで君に嫁がせるようだね」
「私が男だったら、私の方から彼女に求婚していました」
 ガラティーンは明るく笑う。
「コーネリアはダニエルのことが良いらしい。そして君の家のこともとても気に入っている。君との付き合いはまだ一年ほどなのにね」
「そうですね。ほんとうに、私も……コーネリアと出会えたのは一生の宝です。ありがとうございます」
 自分の娘のことを気に入ってくれている婚家予定の家の小姑にハーバートは微笑む。
「仕事を通じてだが、私はダニエルのだめなところも良いところも知っている。それでも自分の娘――かわいい、大事な娘を渡して縁付いてもいいとは思っているのだからね。私も、君たちと知り合えてよかったと思っているよ」
「ありがとうございます…!」
 ガラティーンは深く頭を下げる。
「そんなに恐縮しないでくれ」
 ハーバートは苦笑する。
「まあ、結婚についてはこちらも、そちらも何も問題はないということでよいのかな」
「もちろんです!」
「あの恥ずかしがり屋からは返事を聞いていないんだけれどね」
「否なんてありませんよ。嫌だったら恥ずかしがっている余裕はないはずですから」
 ねえ父上、と離れたところから声をかけるガラティーンにも、ダニエルは返事をしない。
「……乙女じゃあるまいし、父上がそういうことをやってもかわいくもなんともありませんよ!」
 厳しく言い捨てるガラティーンを見て、ハーバートは大笑いをする。
「いやあ楽しいね」
「失礼いたしました」
 ガラティーンはわざと涼しい顔を作ってハーバートに大げさな礼をする。
「いやあ君は女にしておくには本当に惜しかった」
「そう言っていただけると光栄です」
 一年前まではクーパー家の御子息の話題が良く上っていたんだよ、とハーバートは笑う。
「紳士録には息子とは書いてなかったけれどもね、確かに君を見ていたら紳士録の記載が間違えているとしか思えなかった」
「紳士録が間違えていた!ははは、そうだったら良かったのに」
 ガラティーンはいつも、ハーバートからの高評価で素直に喜んでしまう。身内ではない――身内になるが――人物に高く評価してもらっていたというのは、多少は大げさに言われているだろうにしても、素直に受け取りたくなるものだった。
「しかし、君とコーネリアとで、婚約の時期が重なってしまうのは」
「私は気にしないで、コーネリアを優先してください。父の方が結婚は先にするのが順番だと思っています」
「それでいいのかね」
「私はそれでいいですが」
 ガラティーンからしてみたら、彼女の父と親友の結婚だ、さっさとまとめてしまいたい。
「君の婚約者はそれでいいのかね」
「……問題ないと思いますけど」
「アルジャーノン・ラッセルは大変だな……一応彼にも確認してみてくれるか。君たちの方が先に婚約の話が出ていたのだから、そちらが先に進めるべきではないかね」
 ハーバートはアルジャーノンはすでに尻に敷かれているのだな、と苦笑する。
「いやあ……」
 父上の方が年上なのだからそちらを先に、とガラティーンはぶつぶつつぶやくも、アルジャーノンに確認をしますということで話を収めた。
「さて、私はこれで失礼するよ。娘に朗報を届けなければいけない」
「ありがとうございます。……本当にありがとうございます」
 ガラティーンはコーネリアの分もダニエルの分も、という勢いでハーバートに礼をする。
「君にそれだけ喜ばれるのは……ああ、そうか。知っていたわけだね」
「もちろんです」
 ハーバートは、 デビュタント・ガラの時のことを話題に乗せる。
「私もあの時に、コーネリアがダニエルのことを好ましく思っているようだとは思ったけれどもね、まさかねえ」
 ハーバートは、わざとしかめ面を作る。
「今後とも、よろしく頼むよ」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
 ガラティーンは、およそ一年前にも父の部屋でハーバートと会ったことを思い出す。彼の家の手伝いを受けてデビュタント・ボールの準備などを進めていったのだ。そしてガラティーンはアルジャーノンと結婚することになりそうだし、ダニエルもコーネリアと結婚をすることになる。
「それでは、また」
「はい。きちんとご挨拶に伺わせていただきます」
「よろしく頼むよ」
 もちろんです、と微笑むガラティーンは家督を継ぐ者のような顔をしている。女性が伯爵位を継げないこの国の制度が違ったものであったなら、と思いながらハーバートはクーパー邸を退出する。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...