【完結】月よりきれい

悠井すみれ

文字の大きさ
上 下
28 / 32
五章 まこと、ひとつ

4.餞(はなむけ)

しおりを挟む
 その日の残りの仕事をどう終えたのか、清吾せいごには分からなかった。ただ、気付いたら住処で瓦版かわらばんを手中にもてあそんでいた。何度読んでも、陽の光の下でも行燈あんどんの灯りのもとでも、られた内容は変わらない。

 身請みうけの決まった唐織からおり花魁に、思い合う情人がいること。花魁のために大金を摘んだ和泉いずみ屋は、間男を許すまじと息巻いていること。瓦版の挿絵は、花魁を責め立てる和泉屋の図だ。どこから聞いたのか分からない話を書き立てた後、筆者はさらにあおっていた。その男は花魁を攫うため、和泉屋に一泡吹かせるために姿を現すのか。はたまた涙を呑んで諦めるのか。その場合は、花魁は涙を見せるだろうか、と。

「これは、俺のことか……?」

 いったい誰の話だか、と苦笑しつつ、清吾は振袖新造ふりそでしんぞうのさらさの言葉を思い出していた。

『和泉屋様も怪しんでいるご様子──』

 だから二度と姿を見せるな、と。あの少女は必死に訴えていた。あのころから既に、和泉屋は花魁のの存在を疑っていたのかもしれない。あるいは、唐織がそのように仕向けて金を吐き出させようとしたのか。瓦版の絵図のように、あの女が問い詰められて泣き崩れる様はどうにも想像できない。

(となると、これは花魁の仕組んだことなのか……?)

 唐織のことが片時も頭を離れない一方で、さすがに清吾も単純にあの女を信じたり案じたりする気は失せている。

 嘘八百で美談をこしらえてでも己の声望を高めようとしていたのを知っているからこそ、身請けに当たっても世間の耳目を引き付けようと目論んだ、ということは十分あり得る。妹分を巻き込んでの芝居も、すでにからくりを明かされた。

 無論、和泉屋が嫉妬深いこともまた仄聞そくぶんしてはいるし、惚れこんだ女が横から攫われようとしていると思えば、あらゆる手を使って止めようとするのも当然ではある。

 とはいえ、これが唐織の芝居なのか和泉屋の本気なのかは、大した問題ではないだろう。清吾の頭を悩ませるのは、ただ一点だ。

(あの女は、を望んでいる……?)

 噂通りに、彼が姿を見せるほうか。それによって、男に取り合いされるほどの女、との評判をも手に入れようというのか。
 それとも、この騒動は和泉屋の暴走であって、晴れがましい身請けの行列が妨げられることは望まないのか。

 いずれもあり得るし、そして、いずれであったとしても、清吾が行く必要はまったくない。これで最後と言われたのを真に受ければ──否、そもそも彼が瓦版を目にしたかどうかさえ、唐織には確かめることができないのだ。知らぬ振りを決め込んだところで、不義理を責められるいわれはない。ないのだが──

(身請け間際の駆け落ちか。まるで、先代の唐織花魁だな?)

 あの夜、狭く蒸し暑い布団部屋で、唐織が語ったことを思い出してしまう。先代の唐織花魁は、捕らえられるのを覚悟で情人と吉原を飛び出そうとした、らしい。相手の男も、勘当なり袋叩きなり、代償を覚悟していたはずだ。その覚悟をもって好いた相手に接したことを、妹分の今の唐織はまことと呼んでいた。姉たちが見たという、あり得ぬみそかの月に焦がれる眼差しをしていた。

「俺が行っても、みそかの月は見えやしねえだろうが──」

 何しろ、清吾と唐織の間にあるのは恋でも愛でもない。いくらかの縁で、心の裡を少しばかり打ち明けて慰め合った、それだけの関係だ。のこのこと顔を出したところで迷惑がられる可能性も、大いにある。

(だが、それでも……?)

 危険を冒して、あの女に会うために現れた男がいた、ということ。その事実をはなむけに贈ってやりたいと思うのは──やはり清吾の勝手ではあるのだろうが。

「嘘だけで生きていくのは、つれえもの」

 「信乃しの」を見送ったばかりの彼には、嘘を吐きとおした後の虚しさも骨身に染みて分かっている。少しばかりのまことの欠片くらい、渡してやっても良いだろう。要らぬ世話だというなら、あちらで投げ捨ててくれれば済むことだ。

 丸めた瓦版を行燈の火にかざすと、瞬く間に燃え上がった。身をよじり、黒い煙を上げて灰と化していく紙切れは、果たして誰に似ていただろう。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

吉原の楼主

京月
歴史・時代
吉原とは遊女と男が一夜の夢をお金で買う女性 水商売に情は不要 生い立ち、悲惨な過去、そんなものは気にしない これは忘八とよばれた妓楼の主人の話

なんや三成やけど。

sally【さりー】
歴史・時代
石田三成のはなし

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

浅葱色の桜

初音
歴史・時代
新選組の局長、近藤勇がその剣術の腕を磨いた道場・試衛館。 近藤勇は、子宝にめぐまれなかった道場主・周助によって養子に迎えられる…というのが史実ですが、もしその周助に娘がいたら?というIfから始まる物語。 「女のくせに」そんな呪いのような言葉と向き合いながら、剣術の鍛錬に励む主人公・さくらの成長記です。 時代小説の雰囲気を味わっていただくため、縦書読みを推奨しています。縦書きで読みやすいよう、行間を詰めています。 小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも載せてます。

葉桜よ、もう一度 【完結】

五月雨輝
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞特別賞受賞作】北の小藩の青年藩士、黒須新九郎は、女中のりよに密かに心を惹かれながら、真面目に職務をこなす日々を送っていた。だが、ある日突然、新九郎は藩の産物を横領して抜け売りしたとの無実の嫌疑をかけられ、切腹寸前にまで追い込まれてしまう。新九郎は自らの嫌疑を晴らすべく奔走するが、それは藩を大きく揺るがす巨大な陰謀と哀しい恋の始まりであった。 謀略と裏切り、友情と恋情が交錯し、武士の道と人の想いの狭間で新九郎は疾走する。

処理中です...