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参考文献について
二冊のエリザベート本③
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エリザベートの生涯を描いた二冊の本の違いについて、引き続き語って参ります。
前回、「最後の皇女」にはソース不明の小説的な記述が多い、という話をしておりましたが、具体的な例を挙げていこうと思います。本作「ich rede nichts」でも触れた通り、エリザベートの母、ルドルフ皇太子の未亡人であるシュテファニーはとある伯爵と身分違いの再婚をしたのですが、再婚を巡る母と娘のやり取りを、「赤い皇女」では下記のように記述しています。以下、引用です。
(略)皇太子妃シュテファニーは、なぜローニャイ伯爵を嫌うのかと、皇女に問うた。
『どうして、あなたは伯爵が嫌いなのですか』
『私は、彼を憎んでいます』皇女は、激しい口調で答えた。
『彼を憎む……? それではあなたは、伯爵に会って話したことがあるのですね』
『いいえ。でも、私には我慢できないのです!』
『なぜ? 誰かが彼のことを悪く言ったのですか』
『いいえ。ママ。そんなことはありません。一年前に会ったあの瞬間から、私は彼が嫌いでした。どうかママ。私の前で伯爵の話をするのは、止めてください!』(P107-P108)
一方、「最後の皇女」で同じエピソードに触れた記述は以下の通り。
(略)母をさえぎって、エリザベートは激しい口調で言い放った。
「一年前に初めてあの人に会った時から、私は彼が大嫌いだったわ。お母様はあのころから、私をないがしろにして、私を一人ぼっちにしてしまったのね!」
「一人ぼっちですって! それは私のほうよ。十年以上も、たった一人でした。あなたのお父様は、私の人生を滅茶苦茶にしてしまったのよ(略)」(文庫版上巻P106-P107)
同じ引用元を参照しているか、あるいは、「赤い皇女」の訳者あとがきで示唆されたように、「最後の皇女」の執筆にあたって著者の塚本先生は「赤い皇女」を参考にしたのだと思われます。
この場面、「赤い皇女」の記述によると「この件についての事情通と称する「ベルリン地方新聞」はこう伝えている。」とのことです。ウィーンの宮廷の奥の事情をベルリンの新聞が把握できるものなのか首を傾げますが、何らかの内通者がいたのでしょうか……。あるいは、週刊誌のゴシップ記事ていどのことなのでしょうか。ともあれ、当時そういう噂があったということだな、と考えることはできます。
一方、「最後の皇女」はというと、この親子のやり取りの引用元を記述していないのです。しかも、読み比べるとエリザベートの「台詞」の後半から大幅に追加されているのが分かります。この後も、「最後の皇女」では「赤い皇女」には記述のない親子喧嘩が一ページほど続きます……。親子ともに感情をあらわにした言葉遣いで訳出しているのも相まって「どこからが創作なの……?」と構えてしまうのです。なので、「最後の皇女」だけに載っているエピソードについては、「興味深いけど自作には採用しない」という判断をしたものが結構あったりします。もしも塚本先生の創作だとしたら、「歴史から題材を取って小説に書き起こす」という体裁が崩れてしまいますので……。
上記に上げた例以外にも、「最後の皇女」には「誰が見てきたんですか……?」というような場面・エピソードが多々描かれます。エリザベートとふたり目の夫のレポルト・ペツネック氏のごく私的なやり取りなどですね。日記や手紙の引用なら分かるのですが、当事者以外に目撃者・証言者がいないはずの場面の描写がしばしば挿入されるのです。
そのすべてが塚本先生の想像・創作なのかというと──実はそうでもないんじゃないか、と思っています。ソースはこれなんじゃないかなあ、と密かに疑っている本があるのです。
少し長くなったので、根拠の薄い推測であることを断りつつ、また次回に続きます。
前回、「最後の皇女」にはソース不明の小説的な記述が多い、という話をしておりましたが、具体的な例を挙げていこうと思います。本作「ich rede nichts」でも触れた通り、エリザベートの母、ルドルフ皇太子の未亡人であるシュテファニーはとある伯爵と身分違いの再婚をしたのですが、再婚を巡る母と娘のやり取りを、「赤い皇女」では下記のように記述しています。以下、引用です。
(略)皇太子妃シュテファニーは、なぜローニャイ伯爵を嫌うのかと、皇女に問うた。
『どうして、あなたは伯爵が嫌いなのですか』
『私は、彼を憎んでいます』皇女は、激しい口調で答えた。
『彼を憎む……? それではあなたは、伯爵に会って話したことがあるのですね』
『いいえ。でも、私には我慢できないのです!』
『なぜ? 誰かが彼のことを悪く言ったのですか』
『いいえ。ママ。そんなことはありません。一年前に会ったあの瞬間から、私は彼が嫌いでした。どうかママ。私の前で伯爵の話をするのは、止めてください!』(P107-P108)
一方、「最後の皇女」で同じエピソードに触れた記述は以下の通り。
(略)母をさえぎって、エリザベートは激しい口調で言い放った。
「一年前に初めてあの人に会った時から、私は彼が大嫌いだったわ。お母様はあのころから、私をないがしろにして、私を一人ぼっちにしてしまったのね!」
「一人ぼっちですって! それは私のほうよ。十年以上も、たった一人でした。あなたのお父様は、私の人生を滅茶苦茶にしてしまったのよ(略)」(文庫版上巻P106-P107)
同じ引用元を参照しているか、あるいは、「赤い皇女」の訳者あとがきで示唆されたように、「最後の皇女」の執筆にあたって著者の塚本先生は「赤い皇女」を参考にしたのだと思われます。
この場面、「赤い皇女」の記述によると「この件についての事情通と称する「ベルリン地方新聞」はこう伝えている。」とのことです。ウィーンの宮廷の奥の事情をベルリンの新聞が把握できるものなのか首を傾げますが、何らかの内通者がいたのでしょうか……。あるいは、週刊誌のゴシップ記事ていどのことなのでしょうか。ともあれ、当時そういう噂があったということだな、と考えることはできます。
一方、「最後の皇女」はというと、この親子のやり取りの引用元を記述していないのです。しかも、読み比べるとエリザベートの「台詞」の後半から大幅に追加されているのが分かります。この後も、「最後の皇女」では「赤い皇女」には記述のない親子喧嘩が一ページほど続きます……。親子ともに感情をあらわにした言葉遣いで訳出しているのも相まって「どこからが創作なの……?」と構えてしまうのです。なので、「最後の皇女」だけに載っているエピソードについては、「興味深いけど自作には採用しない」という判断をしたものが結構あったりします。もしも塚本先生の創作だとしたら、「歴史から題材を取って小説に書き起こす」という体裁が崩れてしまいますので……。
上記に上げた例以外にも、「最後の皇女」には「誰が見てきたんですか……?」というような場面・エピソードが多々描かれます。エリザベートとふたり目の夫のレポルト・ペツネック氏のごく私的なやり取りなどですね。日記や手紙の引用なら分かるのですが、当事者以外に目撃者・証言者がいないはずの場面の描写がしばしば挿入されるのです。
そのすべてが塚本先生の想像・創作なのかというと──実はそうでもないんじゃないか、と思っています。ソースはこれなんじゃないかなあ、と密かに疑っている本があるのです。
少し長くなったので、根拠の薄い推測であることを断りつつ、また次回に続きます。
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