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参考文献について
二冊のエリザベート本②
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「『エリザベート』 ハプスブルク家最後の皇女」よりも「赤い皇女エリーザベト」をお勧めする理由。それは、シンプルに前者が後者の参考文献のひとつだから、ですね。すなわちより一次資料に近いと期待できるし、訳や孫引きによって失われたニュアンス・情報量も少ないであろうと考えられるからです。
ちょっと小声になりますが、「赤い皇女」の訳者あとがきから引用させていただきましょう。
「皇女エリーザベトについて記された書物が、すでに本邦においても出版されており、そのなかには本書の原著の一部を抜粋したところがかなり認められる。従って、本書の記述と類似している部分が散見されるが、本書はあくまでもヴァイセンシュタイナーの原著の全訳であることを明記しておきたい」(P304)
……なんか思うところがありそうでちょっと怖いですね。まあ、「最後の皇女」の初版当時は「赤い皇女」は本邦未訳だったということで、著者の塚本先生も資料の収集には苦労されたということなのだと思いますが。両著を日本語で読み比べできる今の読者は幸運ですね。
余談ですし今回語っている両著とは関係ないですが、本を読んでいて「〇〇氏はこう言っているが私は違うと思う」という類の記述を読むとハラハラドキドキすると同時に、著者の研究対象への自負が窺えてワクワクしたりもするのが私です。そうして「どれどれ……」と読む本を増やしていくと知見も広がって良いのかもしれないですね。
参考文献の参考文献にさらに触れると、巻末に記載の「参考文献一覧」については「最後の皇女」のほうが手厚いです。私の手元にあるのは文庫版ですが、七ページにわたるリストが収録されています。半分以上は英語・ドイツ語の文献で入手しづらく読みづらくはあるのですが、日本語だけでもこの時期のこの場所を知るには何を読めば良いのか、大いに参考になるでしょう。
「赤い皇女」のほうは、残念ながら翻訳者の方が参考にした文献しか記載されておらず、しかも歴史全般を扱ったものやエリザベート皇后の伝記などが十冊程度、になります。一冊を起点に知識を広げていけるかどうか、という点では少々物足りないかもしれません。ただ、本文の記述を見ると新聞や雑誌からの引用が非常に多いです。ならば参考文献として一々列挙できるような性質のものではなかったのだとの推測も可能でしょう。さらには、執筆当時存命だった方からインタビューで聞き取った情報も含まれています。このような「生」の情報が貴重なものであることは言うまでもありません。これは原著者がオーストリア人であるがゆえの成果であり、母国語で読むことができる私たちはやはり幸運に感謝しなければいけませんね。
ということで、「赤い皇女」には「(人名)は~~と語った」「(誌名)は~~と報じている」などの記述が非常に目につきます。日本の一読者としては、そのソースのすべてを当たることはもちろん不可能なのですが、「引用元があるんだな」「引用元は同時代の人/文献だな)」などの推測は可能です。そしてそこから「信憑性がある証言っぽいな」「これは噂レベルっぽいな」というジャッジを下すことも。
ところが「最後の皇女」について言うと、小説的な記述が多くて戸惑う部分もありました。「これはどこからどこまでが本当?」「何をソースにして記述しているの?」「この場面を描写できるのはいったい何者……?」と。小説なら空想で補った描写でもまったく構わないのですが、ノンフィクションだと思って読むと頭に疑問符が飛び交ってしまうのですね。
次回は、「最後の皇女」の小説的描写ってどういうこと、という話と、どうしてそうなっているかの私なりの推測を語ります。
ちょっと小声になりますが、「赤い皇女」の訳者あとがきから引用させていただきましょう。
「皇女エリーザベトについて記された書物が、すでに本邦においても出版されており、そのなかには本書の原著の一部を抜粋したところがかなり認められる。従って、本書の記述と類似している部分が散見されるが、本書はあくまでもヴァイセンシュタイナーの原著の全訳であることを明記しておきたい」(P304)
……なんか思うところがありそうでちょっと怖いですね。まあ、「最後の皇女」の初版当時は「赤い皇女」は本邦未訳だったということで、著者の塚本先生も資料の収集には苦労されたということなのだと思いますが。両著を日本語で読み比べできる今の読者は幸運ですね。
余談ですし今回語っている両著とは関係ないですが、本を読んでいて「〇〇氏はこう言っているが私は違うと思う」という類の記述を読むとハラハラドキドキすると同時に、著者の研究対象への自負が窺えてワクワクしたりもするのが私です。そうして「どれどれ……」と読む本を増やしていくと知見も広がって良いのかもしれないですね。
参考文献の参考文献にさらに触れると、巻末に記載の「参考文献一覧」については「最後の皇女」のほうが手厚いです。私の手元にあるのは文庫版ですが、七ページにわたるリストが収録されています。半分以上は英語・ドイツ語の文献で入手しづらく読みづらくはあるのですが、日本語だけでもこの時期のこの場所を知るには何を読めば良いのか、大いに参考になるでしょう。
「赤い皇女」のほうは、残念ながら翻訳者の方が参考にした文献しか記載されておらず、しかも歴史全般を扱ったものやエリザベート皇后の伝記などが十冊程度、になります。一冊を起点に知識を広げていけるかどうか、という点では少々物足りないかもしれません。ただ、本文の記述を見ると新聞や雑誌からの引用が非常に多いです。ならば参考文献として一々列挙できるような性質のものではなかったのだとの推測も可能でしょう。さらには、執筆当時存命だった方からインタビューで聞き取った情報も含まれています。このような「生」の情報が貴重なものであることは言うまでもありません。これは原著者がオーストリア人であるがゆえの成果であり、母国語で読むことができる私たちはやはり幸運に感謝しなければいけませんね。
ということで、「赤い皇女」には「(人名)は~~と語った」「(誌名)は~~と報じている」などの記述が非常に目につきます。日本の一読者としては、そのソースのすべてを当たることはもちろん不可能なのですが、「引用元があるんだな」「引用元は同時代の人/文献だな)」などの推測は可能です。そしてそこから「信憑性がある証言っぽいな」「これは噂レベルっぽいな」というジャッジを下すことも。
ところが「最後の皇女」について言うと、小説的な記述が多くて戸惑う部分もありました。「これはどこからどこまでが本当?」「何をソースにして記述しているの?」「この場面を描写できるのはいったい何者……?」と。小説なら空想で補った描写でもまったく構わないのですが、ノンフィクションだと思って読むと頭に疑問符が飛び交ってしまうのですね。
次回は、「最後の皇女」の小説的描写ってどういうこと、という話と、どうしてそうなっているかの私なりの推測を語ります。
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