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ich rede nichts(私は語らない)

何ものにも縛られず

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 ええ、もちろん今言ったのも真っ赤な嘘かもしれないわね。でも、信じてもらえなくても良いの。むしろ疑ってくれなくては。私が貴方とこんなに長くおしゃべりしたのも、虚実を交えて私の人生を紡いだのも、結局のところそのためなのよ。ハプスブルクという一族にまつわる幻想を──駄目にしてやる、ということでもないけれど、何と言ったら良いのかしら──そう、訳が分からなくしてやろうと思ったのよ。

 私はずっと、祖父母や両親や、そのほかの先祖や一族の人たちについていろいろな物語が紡がれるのを見て来たわ。正しいように見えるもの、それらしいもの、人々が好むように脚色されたものや、好奇心や悪意、時には善意によって捻じ曲げられたものを、数えきれないほど、たくさん。その人たちだってひとりの人間に過ぎないというのに、目を惹く逸話だけが取り上げられて、イメージにそぐわない些細な悩みだとか失敗だとかは無視されるか、良いように解釈されてしまうの。まるで粘土か何かのようではなくて? もとの形がどんなだったかなんてお構いなしに、芸術家気取りの──貴方みたいな! ──人たちが、私たちを捏ね上げるのよ。奔放で情熱的な女……祖母や父譲りの狂気……ハプスブルク家の反逆者……赤い皇女。ええ、私だって他人の「作品」になることを避けられないのよ。きっと──いいえ、絶対にそうなるのが分かっているわ。そう遠くない未来に、私がこの地上から去ったなら。

 私は、縛られるのが嫌だった。血筋にも伝統にも。自由になりたかった。いつから、どれだけはっきりとそう願うようになったのかは教えないけれど。それは、生きている間だけではなく、死んだ後でも同じことよ。私のやったとされて咎められあげつらわれることのうち、どれが事実で、どれが嘘か。どれが知らずにしでかしたことで、どれがわざとだったのか。すべて、誰にも教えない。何度も何度も言った通り、私は何も語らない(Ichイッヒ redeレーデ nichtsニヒツ)!
 私──ハプスブルク家の最後の皇女はこう語った、というお墨付きは、きっと私の意図を離れて私を勝手に捏ね回すために使われてしまうのよ。どれだけこと細かに、誤解の余地なく語ったつもりでも、そうなるの。私が生きている間でさえもそうだったのだから、死んだ後ならなおさらでしょう。私の父を見ればよく分かるわ。「うたかたの恋」だなんて映画にされて……母の回想録だって、あの方の言い分を載せたものでしかないのよ。私の言葉も存在も、これから生きる人たちが面白がったり、自分の主張を補強するための材料に使われるの。もしかしたら私のためにやってやるんだ、という人もいるかもしれないけれど、目的が何であろうと私が私でないものにされるのは我慢できない。私が思ったこと感じたことを捻じ曲げられるのは、絶対に、嫌。

 ──だから、違うのよ。自分で、自分の理想の偶像を作り上げようということではないの。それなら私は嘘を吐いたと白状してはならないでしょう。もっと冷静に、もっと賢く。あたかもすべて承知の上で振る舞っていたと、貴方に信じさせなければならなかったでしょう。でも、違ったでしょう? 私はね、私の言葉なんて信用できないと思わせたかったの。自ら築き上げた嘘の虚像に真実を紛れ込ませて、見分けがつかないようにしてしまおうと思ったのよ。私が死んだ後、私についてどんな話を聞いたとしても、貴方は「でも」と思ってしまうでしょう。どんなに確からしいこと、信用できる証言でも、はっきりと写真や手紙に残ったことでも、貴方は疑ってしまうでしょう。あの婆さんはあんなにも生き生きと嘘を吐いていた、若いころからずっと「そう」してきたんじゃないか、って。そう考え始めてしまったら、どんな物語も色あせてしまうでしょう? 私の、嘘の物語をもてはやす人を見たら、水を差したくなってしまうのではないかしら。是非ともそうして欲しいものなのだけど!
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