ich rede nichts 赤い皇女は語らない

悠井すみれ

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ich rede nichts(私は語らない)

本当のところ

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 例えば、そうね。私の最初の夫、オットー・ヴィンデッシュ=グレーツは、とても素晴らしい貴公子だったのよ。ひと目見ただけで恋に落ちずにはいられないほど。彼の人柄なんて確かめる必要もないと思い込んでしまったほど。美しい人は内面も優れているに違いないと信じてしまうほどに、少女のころの私は愚かで盲目だったのかもしれない。その愚かさゆえに結婚に突き進んでしまったのかもしれないし、盲目さゆえに人目を憚らずに嫉妬に駆られて見苦しい振る舞いを繰り返したのかもしれないわね。貴族社会から逃れるための策略? そんな屁理屈を信じられるなんて、本当におめでたい人なのね! 二十歳かそこらの世間知らずの小娘が、そこまで知恵が回るはずはないでしょう。帝位継承権を放棄する意味も、皇室の庇護から離れる意味も、あのころの私は分かっていなかった。祖父の死後、離婚の調停について助けを求めた時、オットー・フォン・ハプスブルクの父のカール帝は、丁重に、けれどきっぱりと私を拒絶したわ。一族から離れた者にはもはや関与しない、と。結婚した後も祖父が何かと援助してくれたのは、直接の血の繋がりがあったからこその特別扱いだったのを、私はその時になるまでまったく気付いていなかったのよ。

 エゴン・レルヒとの浮名だって、「本当のところ」はどうだったのかしらね。彼と出会ったのは、前夫のオットーとの仲がいよいよ険悪になったころだった。弱ったところに魅力的な男性と出会ってしまって、愚かな女がすっかりよろめいてしまったということではなかったのかしら。身分も立場もかなぐり捨てて、海と空の間で彼と抱き合う日々を、私は本当に夢見ていたのかもしれないわね。だって、何もかも男に有利な社会だったのを承知していた癖に、わざわざ自分の声望を貶めようとするなんて、策だとしたらあまりにもお粗末ではなかったかしら。それよりは、恋する女は愚かだったと、ごく簡単に考えた方が納得しやすいのではないかしら。

 ほかにも、疑い出せばきりがないはずよ。母に見捨てられたのを、私は本当に割り切れたのかしら。娘に対する裏切りだと思うのが自然な感情ではないのかしら。夫の行いに傷つけられた妻の想いを、母なら分かってくれると思ったのに。エレメール伯爵と結婚したことで、そもそも母は私から離れてしまっていたのよ。だから、窮地にある時こそは手を差し伸べて欲しいと思ったのに。母の回想録を差し止めようとしたのだって、父の醜聞が広まるのを憂えたからではなかったかもしれないわね。そうすることで、母に意趣返ししようとしていたのかもしれないじゃない? 我を通し続けた私だもの、徹頭徹尾、自分の感情が動機になっていたかもしれないわね? さあ、どちらが本当らしく聞こえるかしら?

 私が嘘を吐いた理由? さあ、何でしょうね。そもそも嘘を吐いたのが本当だとも言っていないのだけれど。私がそうであったら良いと思うこと、そうだったことにしたいこと──そうね、それは少しだけ正解、ということにしてあげましょうか。人生の終わりにこれまでの旅路を振り返って、私は過ちの多さに恥じ入った。それを覆い隠そうとして、まるで深い考えがあったかのように語ってみせた。とても、もっともらしいわね。浅ましくていじましくて、きっと貴方も気に入りそう。
 オットー・フォン・ハプスブルクは、誰もが認める高潔な紳士なのでしょう。最後の皇太子の「称号」に相応しくあるため、一族の名を汚さないため、私のように激情に任せた行動など決してしない。血筋だけで言えば、フランツ・ヨーゼフ帝の直系の孫である私の方が「正統」なのでしょうに面白いことだけれど。

 でも、私は嘘だけを語った訳ではないわ。オットーとの結婚が失敗だったのは潔く認めたし、レルヒとの関係を後悔していないとも言った。こんな私が好きだとも言ったでしょう。たとえ愚かな過ちを繰り返したとしても、私は私の人生を悔いてはいない。若いころの激情と逸脱こそが、今の私を作ってくれた。ゴルディ──尊敬すべき、レオポルト・ペツネックにも、そのおかげで出会うことができた。だから、嘘で過去を塗り潰してしまいたい、だなんて的外れということになるでしょうね。
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