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ファシズムの足音
緑色のファシズム
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とにかく──だから、ここからの話は、私がこの屋敷から見聞きして、感じて、考えたことよ。もう三〇年も前のこと、私とゴルディはこの屋敷で色々な報せを受け取り、慌ただしく飛び出したり、息を潜めて事態の経緯を見守ったり、党の同志と密やかに語り合ったりしたの。そう思うと、遠い昔の別の世界のことでもないと思えるのではないかしら。
一九二七年の暴動に関する社会民主党の対応は、今となってはきっと間違いだったのでしょう。党の主導部は、内乱に発展することを恐れてストライキを抑制し、事後には軍事組織である共和国防衛同盟を強化することをしなかった。すべて、オーストリア人同士で争うのを避けようとしてのことよ。オーストリア人──そんな自覚がある人は、あのころはまだとても少なかった。オーストリアは、祖父の帝国から諸民族が次々と離れていった、その残りの部分でしかなかったのだもの。オーストリアという国、その国民であるという意識が薄かったのよ。だからドイツとの合邦を望む声が絶えなかった。チェコスロヴァキアやハンガリーのように、念願の自分たちの国を手に入れた民族たち、意気揚々と、自らの国を発展させようという理想に燃えていた彼らとは訳が違ったの。
だから国内で争っている場合ではないはずだった。……でも、党の姿勢は労働者からは弱腰と見られたし、右派は増長するばかりだった。ゴルディは、社会民主党も軍備を整えるべきだと強く訴えていたわ。私は……そして党の指導者の多くも、戦争が怖かったのでしょうね。だって、第一次世界大戦が終わって、やっと十年が経ったかどうかのところだったのよ。またあんな不安な日々を送るなんて、誰も望んでいなかったの。でも、あの時に勇気をもって立ち上がっていれば未来は──現在は、変わったのかしら。もしも、を考え始めたら止まらなくなってしまうわね。でも、当時を知らない貴方が社民党の態度を批判するのは耐え難いわ。私たちは決して、国難に際して手をこまねいていた訳でもないし、楽観的過ぎた訳でもない。私自身の話よりもよほど、そこのところを話しておきたいものね。
今になって振り返れば、オーストリアにファシズムが忍び寄り始めた契機は一九三二年になるのでしょうね。その年に首相に就任したエンゲルベルト・ドルフスはオーストリアで勢力を伸ばそうとするナチスに対して、国の独立性を守るべく奮闘した、と言われているのかしら。こう言うとまるで立派な人物のようね。でも、ドルフスは同時にオーストリアの民主政治を殺した独裁者よ。ヒトラーほど邪悪ではなかったとしても、その事実は変わらないわ。ドルフスが敵意を向けたのはオーストリア・ナチスだけではなかった。共産党も社会民主党も、キリスト教社会党以外の政党から発言を封じ、急速に中央集権体制の確立を進めていったのですもの。社会民主党が率いるウィーン市の財源は取り上げられ、共和国防衛同盟の活動は禁止された。ついには議会を閉鎖して武力を背景に国を牛耳ったのよ。ドルフスがイタリアのムッソリーニからも支援を受けていたのはさっきも言ったわね。そもそもは各地の自警団としてはじまったはずの郷土防衛運動も、権力者の私兵として再編されて護国団と呼ばれるようになった。武力を振りかざして反対勢力を弾圧する──それはもはや、立派なファシズムではないのかしら。ナチスの褐色の制服ではなく、オーストリアの民族衣装にちなんだ緑色の制服を纏ってはいても、それはほんのささいな違いでしかないのではないかしら。
一九二七年の暴動に関する社会民主党の対応は、今となってはきっと間違いだったのでしょう。党の主導部は、内乱に発展することを恐れてストライキを抑制し、事後には軍事組織である共和国防衛同盟を強化することをしなかった。すべて、オーストリア人同士で争うのを避けようとしてのことよ。オーストリア人──そんな自覚がある人は、あのころはまだとても少なかった。オーストリアは、祖父の帝国から諸民族が次々と離れていった、その残りの部分でしかなかったのだもの。オーストリアという国、その国民であるという意識が薄かったのよ。だからドイツとの合邦を望む声が絶えなかった。チェコスロヴァキアやハンガリーのように、念願の自分たちの国を手に入れた民族たち、意気揚々と、自らの国を発展させようという理想に燃えていた彼らとは訳が違ったの。
だから国内で争っている場合ではないはずだった。……でも、党の姿勢は労働者からは弱腰と見られたし、右派は増長するばかりだった。ゴルディは、社会民主党も軍備を整えるべきだと強く訴えていたわ。私は……そして党の指導者の多くも、戦争が怖かったのでしょうね。だって、第一次世界大戦が終わって、やっと十年が経ったかどうかのところだったのよ。またあんな不安な日々を送るなんて、誰も望んでいなかったの。でも、あの時に勇気をもって立ち上がっていれば未来は──現在は、変わったのかしら。もしも、を考え始めたら止まらなくなってしまうわね。でも、当時を知らない貴方が社民党の態度を批判するのは耐え難いわ。私たちは決して、国難に際して手をこまねいていた訳でもないし、楽観的過ぎた訳でもない。私自身の話よりもよほど、そこのところを話しておきたいものね。
今になって振り返れば、オーストリアにファシズムが忍び寄り始めた契機は一九三二年になるのでしょうね。その年に首相に就任したエンゲルベルト・ドルフスはオーストリアで勢力を伸ばそうとするナチスに対して、国の独立性を守るべく奮闘した、と言われているのかしら。こう言うとまるで立派な人物のようね。でも、ドルフスは同時にオーストリアの民主政治を殺した独裁者よ。ヒトラーほど邪悪ではなかったとしても、その事実は変わらないわ。ドルフスが敵意を向けたのはオーストリア・ナチスだけではなかった。共産党も社会民主党も、キリスト教社会党以外の政党から発言を封じ、急速に中央集権体制の確立を進めていったのですもの。社会民主党が率いるウィーン市の財源は取り上げられ、共和国防衛同盟の活動は禁止された。ついには議会を閉鎖して武力を背景に国を牛耳ったのよ。ドルフスがイタリアのムッソリーニからも支援を受けていたのはさっきも言ったわね。そもそもは各地の自警団としてはじまったはずの郷土防衛運動も、権力者の私兵として再編されて護国団と呼ばれるようになった。武力を振りかざして反対勢力を弾圧する──それはもはや、立派なファシズムではないのかしら。ナチスの褐色の制服ではなく、オーストリアの民族衣装にちなんだ緑色の制服を纏ってはいても、それはほんのささいな違いでしかないのではないかしら。
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