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赤いウィーンの赤い皇女
リングシュトラーセを歩いて
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そうね……私とゴルディが交際を始めた一九二〇年代の、最初のころならまだ楽しく、懐かしく話せることも残っているわね。社会民主党が議会で与党の地位にあったのはほんの一時だけのことで、すぐに下野することになってしまった。でも、ウィーンの市議会では社会民主党は第一党の座を守ることができていた。社会民主党指導のもと、福祉の充実を図った市政は赤いウィーンと呼ばれたものよ。私は、赤いウィーンの赤い皇女だったという訳ね。
住民だろうと観光客だろうと、ウィーンにいて、リングシュトラーセを歩いたことがない人はいないでしょう。ウィーンの中心部に円状に築かれた大通り、ぐるりと一周するだけで主要な建物を眺めることができる──あの構想を描いたのは私の祖父だったのよ。オスマン帝国からウィーンを守ってきた城壁も、時代が下るにつれてむしろ都市の発展を妨げるものになってしまっていたから。ウィーンの美観と整備のため、市内と市外を結びつけるため、祖父は城壁の撤去と、その跡地に公共施設の建築を命じたのよ。もちろん、私が生まれるずっと前のことだけど、ウィーンの街中に出かけると、祖父はよく昔の話を聞かせてくれたものだったわ。マリア・テレジア像を挟んで鏡合わせになった自然史博物館と美術史博物館、国会議事堂にウィーン市庁舎、そんな壮麗な建物の数々ができる前、更地に大きな穴が掘られていた工事現場だった時があること、そこを視察した時のこと。どの建物にも、設計者や責任者とどんな話をしてどんな意図や願いを込めて着工したかの思い入れをたっぷり聞かせてもらったわ。ウィーンは、きっと祖父にとっても誇りだったのでしょうね。
祖父はね、新しいものがお嫌いな方だった。伝統を重んじる方、と言ったほうが良いのかしら。だから自動車なんて使わないで、どこへ行くのも馬車を使うのが常だった。少女時代の私も、祖父のお供でどこかしらに出かけるときは馬車に揺られて行ったものよ。私たちが乗っていると分かると、道を行く人が手を振ったり声を掛けたりしてくれたの。私はずっと祖父を誇らしく思っていたし、ウィーンという街を愛していた。ハプスブルク家の長年にわたっての本拠地で、文化も伝統も豊かな美しい街。私にとっては何ものにも代えがたい故郷。でもね、それは結局馬車の高みから見下ろしていた景色に過ぎないのだと、見えていなかったもの、祖父でさえ目が届かなかったことがあまりにもたくさんあったのだと、四十を過ぎて私はやっと知ったのよ。
あのころのリングシュトラーセはね、左右の政党がひっきりなしにデモを行う舞台になっていた。幅五〇メートルの大通りは、本来は有事の際の軍用道路になるように設計されていたもの、大勢が列を作って行進するのにも、こう言って良いのか分からないけど、ちょうど良かったのよね。私も、メーデーなんかの折にデモの列に混ざったことが何度もあるわ。かつては馬車で、馬の蹄や車輪の音を響かせながら悠々と通ったところを、今度は自分の足で歩いたの! もはや外国になってしまったハンガリーで暮らしていた母には、娘の評判は耐え難かったようね。ただでさえ離婚裁判ではオットーの肩を持って私の無軌道を責めていた母だったけれど、労働者に混ざって闊歩する私の評判を聞いて、あの方は私は死んだものとして扱うことに決めたらしいわ。再婚相手のエレメール伯爵も同じく、居城の中では私の名を口にすることさえ厳しく禁じられたそうよ。それくらい、私の生まれには似つかわしくないことだったということなのだけど──でも、いくつになっても、誰に何と言われても、新たな目で世界を見るのは新鮮な驚きで、そんな風に心を動かすことができるのは素晴らしいことよ! たとえ私が新たに知ったのが、目を覆うような貧困だったとしても、ね。
住民だろうと観光客だろうと、ウィーンにいて、リングシュトラーセを歩いたことがない人はいないでしょう。ウィーンの中心部に円状に築かれた大通り、ぐるりと一周するだけで主要な建物を眺めることができる──あの構想を描いたのは私の祖父だったのよ。オスマン帝国からウィーンを守ってきた城壁も、時代が下るにつれてむしろ都市の発展を妨げるものになってしまっていたから。ウィーンの美観と整備のため、市内と市外を結びつけるため、祖父は城壁の撤去と、その跡地に公共施設の建築を命じたのよ。もちろん、私が生まれるずっと前のことだけど、ウィーンの街中に出かけると、祖父はよく昔の話を聞かせてくれたものだったわ。マリア・テレジア像を挟んで鏡合わせになった自然史博物館と美術史博物館、国会議事堂にウィーン市庁舎、そんな壮麗な建物の数々ができる前、更地に大きな穴が掘られていた工事現場だった時があること、そこを視察した時のこと。どの建物にも、設計者や責任者とどんな話をしてどんな意図や願いを込めて着工したかの思い入れをたっぷり聞かせてもらったわ。ウィーンは、きっと祖父にとっても誇りだったのでしょうね。
祖父はね、新しいものがお嫌いな方だった。伝統を重んじる方、と言ったほうが良いのかしら。だから自動車なんて使わないで、どこへ行くのも馬車を使うのが常だった。少女時代の私も、祖父のお供でどこかしらに出かけるときは馬車に揺られて行ったものよ。私たちが乗っていると分かると、道を行く人が手を振ったり声を掛けたりしてくれたの。私はずっと祖父を誇らしく思っていたし、ウィーンという街を愛していた。ハプスブルク家の長年にわたっての本拠地で、文化も伝統も豊かな美しい街。私にとっては何ものにも代えがたい故郷。でもね、それは結局馬車の高みから見下ろしていた景色に過ぎないのだと、見えていなかったもの、祖父でさえ目が届かなかったことがあまりにもたくさんあったのだと、四十を過ぎて私はやっと知ったのよ。
あのころのリングシュトラーセはね、左右の政党がひっきりなしにデモを行う舞台になっていた。幅五〇メートルの大通りは、本来は有事の際の軍用道路になるように設計されていたもの、大勢が列を作って行進するのにも、こう言って良いのか分からないけど、ちょうど良かったのよね。私も、メーデーなんかの折にデモの列に混ざったことが何度もあるわ。かつては馬車で、馬の蹄や車輪の音を響かせながら悠々と通ったところを、今度は自分の足で歩いたの! もはや外国になってしまったハンガリーで暮らしていた母には、娘の評判は耐え難かったようね。ただでさえ離婚裁判ではオットーの肩を持って私の無軌道を責めていた母だったけれど、労働者に混ざって闊歩する私の評判を聞いて、あの方は私は死んだものとして扱うことに決めたらしいわ。再婚相手のエレメール伯爵も同じく、居城の中では私の名を口にすることさえ厳しく禁じられたそうよ。それくらい、私の生まれには似つかわしくないことだったということなのだけど──でも、いくつになっても、誰に何と言われても、新たな目で世界を見るのは新鮮な驚きで、そんな風に心を動かすことができるのは素晴らしいことよ! たとえ私が新たに知ったのが、目を覆うような貧困だったとしても、ね。
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