ich rede nichts 赤い皇女は語らない

悠井すみれ

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運命の出会い

愛し、尊敬できる人

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 貴方たちのご同類がたくさん集まっていたのも、そうなると都合が良いことだったわ。ことの顛末が、すぐに新聞で大々的に報じられたということだから。私のインタビューだって載ったのよ。前日までだったら、貴族出身の女の小賢しい悪あがきとしか取られなかったかもしれないけれど、力ない民衆が味方してくれた後なら話は変わる。一夜にして、私は子供を守り抜いたヒロインになることができたのよ! オットーの横暴さや意地汚さを改めて訴え、守ってくれた皆さんに感謝を述べた記事は大統領の耳にまで届いたそうよ。

 そうなってからは、話はとても早かった。こんな前時代的な司法がまかり通っているのはおかしいと、大統領は考えてくれた。そして、自ら法務大臣に取り計らってくれたの。その結果、本来なら公務執行妨害にもなりかねなかったあの日の顛末は不問にされた。それどころか、子供たちは母親が養育すべきとの判決が改めて下ったの! 離婚裁判の結果としては和解ならず、ということになるのだけど、それが何だというのかしら? 今さらあのオットーと、どんな形であっても和解なんて望まなかったもの。とにかくも子供たちを手放さずに済んで、財産の分与にも合意が得られたのだからそれで十分。私は、勝利を収めたのよ。

 社会民主党の力を借りたことについては、新聞には漏らさなかったけれど。だって、あらかじめ彼らの助力を仰いでいたと知られるよりは、民衆から自発的に声が上がったことにした方が収まりの良い──貴方たちや、世間の人たちが好むような話になったでしょうから。実際に起きたことと、「そうだった」のだと語られることは必ずしも同じではないでしょう。私はそれを、とうに知っていたのよ。昔に限らなくても、今だってそうでしょう? 違うのかしら?

 ともあれ、私の社会民主党の人たちへの感謝の念は一入ひとしおだった。力がないはずの民衆も、政治を、時代を変える原動力になり得るのだと、我が身を持って経験もした。一度限りの利用し合う関係ではなくて、これからの時代がどう動いていくかを、彼らの間に混ざってみたいと思うようになった。彼らを受け入れないであろう、私が生まれた階級の人たちが驚き狼狽える様も見たかった。私が赤い皇女と呼ばれるようになった切っ掛けと動機は、総括するとそんなところね。こうして順を追って話してみれば、何も意外なことではないでしょう。

 そしてこの離婚裁判こそが、夫との馴れ初めでもあった。オットーの時のような打算でもない、レルヒの時のような仮初の、倫に外れた恋でもない。心から尊敬できる男性と、私はやっと出会えたのよ。今の私が夫と呼ぶただひとりの人──その人の名は、レオポルト・ペツネック。それまでに私の人生を彩った人たちに比べれば、なんて簡素な名前でしょう。彼は、歴史的な由来も逸話も一切持たない家の、つまりは貧しい農家の出身の人だった。でも、人の知性や品格には出自など関係ないのは、オットーを見るだけでも明らかでしょう。ゴルディ──レオポルトの愛称よ──は生まれながらの貴族よりもよほど高潔で思慮深く、礼儀正しい人だった。党の掲げる思想からいえば矛盾ともいえるけれど、親しい人たちが彼を侯爵というあだ名で呼んだのも、とても頷けることだった。

 窮地を救ってもらったから彼を愛するようになったのだと思うの? 貴族階級に背を向けて、民衆の側に立ったのを明らかにするためにわざわざ貧しい出自の人に近付いた、とか? オットー並みの下劣な発想だと言ってあげましょう。そんなことを口にできるのは、貴方が彼を知らないからよ。そんな一時の感情で私が心を動かすと考えるなんて、私以上に彼への侮辱よ。まして、今度こそは打算や計算や策略でのことではなかったのだもの。レオポルト・ペツネックは、私に彼が生きて来た世界、王宮にあって私が知らなかった世界を教えてくれたの。確かに最初は、オットー・ヴィンデッシュ=グレーツにどう立ち向かうかの相談から始まったし、彼と話すことといえば裁判の手続きだとか、館に来てもらってどこにどう潜めば良いかとか、そんなことばかりだったけれど。次第に、私たちはお互いについてを語り合うようになったのよ。貧しい農家に生まれ、早くに両親を失った彼がどのように教育の機会を掴んできたか。教員の資格を取ったこと、教えた子供たちの境遇や進路について。第一次大戦では、ロシアで何を見て来たか。オットーとは話すことさえ考えつかなかったことを、私たちは心の扉を開くようにして教え合ったわ。
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