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崩壊する世界

お預け

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 それでも、私はまだ戦うつもりだったわ。私はその時を見据えて、準備してきたはずなのですもの。貴族社会から離れて自分の足で自分の人生を歩もうとしてきた、その覚悟が試される時だと分かっていたわ。ええ、戦争が終わったということは、オットーが戦場から帰るということですもの。弁護士を介してではなく、あの男と直接、子供や財産を巡って争うことになるのは目に見えていた。祖父の執り成しがもう望めないのはもちろんのこと、ハプスブルク出身の女の凋落を世間が待ち望んでいるのだって。時代そのものが逆風となって襲ってくる中で、全力を尽くさなければ何もかもを奪われてしまうでしょう。

 そうならないために、切り抜けるために、私が何をしようとしたのか──当然のように、聞けるものだと思っているのね、貴方。

 まあ、お預けを食らわされた犬のような顔をするのね、とても愉快だわ。私の犬たちだってもっと締まりのある顔をしているものよ。貴方、昨日と今日と、続けて招かれたからといって私が心を許したとでも思った? 単に、これだけは言っておきたいと思っただけなのに。ね、分かったでしょう? 貴方はきっと、オットーが流した噂を信じていたのでしょう。第一次世界大戦のさ中に、私は不倫の恋にうつつを抜かしていただなんて。私はね、そのひどい誤解を解きたかっただけなのよ。貴方が欲しがることを何もかも教えてあげる訳ではないと、最初に言ったのを忘れたかしら。

 ああ……少しはしおらしい振りをして。まだ思い違いがあるなら正したい、って。自分が間違えているかもしれないと、顧みるのはきっととても大切なことよ。貴方に分かってもらうことが私に必要かどうかはまた別として! でも、私、少し機嫌が良くなっているわね。だって、貴方は私の話に興味を持って惹きこまれてくれたようなのだもの。どうせ、私の過去の過ちをほじくり返して反省や後悔の言葉を引き出そうとしていたのでしょうに。それを何に、どう使おうとしていたかは知らないけれど、貴方としてはあてが外れたのではなかったのかしら。それでも、そんな顔をするなんて! どう、先入観なんてなしに、言われたことをそのまま受け入れるのも悪いことではないでしょう?

 とても愉快だから、そのうち話の続きをしてあげても良いかしら、って気分になってしまうわね。だからといって、今のところは次の約束なんてしないわ。今日はもうずいぶん長く話してしまったし、いつならもう少しおしゃべりしても良い気分になるか、私にだって分からないもの。私を懐柔する術を見つけるか、それか、私を取引する気にさせるか、ではないかしら? 祖父たちの遺産のお陰で、私はいまだにお金に不自由していないし、もうこの世にも人生にも望むものはないから、良い案を思いつくのは難しいかもしれないけれど。
 でも──少しは期待しているわ。ひとりでいると悲しくて寂しくて耐えられなくなる時があるのだもの。どうして私はまだ生きているのかと、いっそ神様を詰りたいくらい。少しでも私の気持ちを上向かせてくれるなら、貴方なんかにそんなことができるなら。人生の最後の暇潰しに、付き合おうという気にさせて欲しいものね。そうよ、私だっておしゃべりをしたくない訳ではないの。ただ、その相手は誰でも良いという訳ではないということよ。

 つまりは──貴方も頭を使いなさい、ということよ! こんな婆さんに喋らせるばかりでなくてね。記者というものは、本来はもっと知性も好奇心もある人たちではないのかしら。気の利いた質問のひとつもひねり出して、私の口を滑らせなさいな。人と人との会話というのは、そういうものでしょう? さあ、だから今日はお帰りなさい。帰って、私が食いつくような話題をせいぜい考えてご覧なさいな。
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