ich rede nichts 赤い皇女は語らない

悠井すみれ

文字の大きさ
上 下
31 / 73
崩壊する世界

お預け

しおりを挟む
 それでも、私はまだ戦うつもりだったわ。私はその時を見据えて、準備してきたはずなのですもの。貴族社会から離れて自分の足で自分の人生を歩もうとしてきた、その覚悟が試される時だと分かっていたわ。ええ、戦争が終わったということは、オットーが戦場から帰るということですもの。弁護士を介してではなく、あの男と直接、子供や財産を巡って争うことになるのは目に見えていた。祖父の執り成しがもう望めないのはもちろんのこと、ハプスブルク出身の女の凋落を世間が待ち望んでいるのだって。時代そのものが逆風となって襲ってくる中で、全力を尽くさなければ何もかもを奪われてしまうでしょう。

 そうならないために、切り抜けるために、私が何をしようとしたのか──当然のように、聞けるものだと思っているのね、貴方。

 まあ、お預けを食らわされた犬のような顔をするのね、とても愉快だわ。私の犬たちだってもっと締まりのある顔をしているものよ。貴方、昨日と今日と、続けて招かれたからといって私が心を許したとでも思った? 単に、これだけは言っておきたいと思っただけなのに。ね、分かったでしょう? 貴方はきっと、オットーが流した噂を信じていたのでしょう。第一次世界大戦のさ中に、私は不倫の恋にうつつを抜かしていただなんて。私はね、そのひどい誤解を解きたかっただけなのよ。貴方が欲しがることを何もかも教えてあげる訳ではないと、最初に言ったのを忘れたかしら。

 ああ……少しはしおらしい振りをして。まだ思い違いがあるなら正したい、って。自分が間違えているかもしれないと、顧みるのはきっととても大切なことよ。貴方に分かってもらうことが私に必要かどうかはまた別として! でも、私、少し機嫌が良くなっているわね。だって、貴方は私の話に興味を持って惹きこまれてくれたようなのだもの。どうせ、私の過去の過ちをほじくり返して反省や後悔の言葉を引き出そうとしていたのでしょうに。それを何に、どう使おうとしていたかは知らないけれど、貴方としてはあてが外れたのではなかったのかしら。それでも、そんな顔をするなんて! どう、先入観なんてなしに、言われたことをそのまま受け入れるのも悪いことではないでしょう?

 とても愉快だから、そのうち話の続きをしてあげても良いかしら、って気分になってしまうわね。だからといって、今のところは次の約束なんてしないわ。今日はもうずいぶん長く話してしまったし、いつならもう少しおしゃべりしても良い気分になるか、私にだって分からないもの。私を懐柔する術を見つけるか、それか、私を取引する気にさせるか、ではないかしら? 祖父たちの遺産のお陰で、私はいまだにお金に不自由していないし、もうこの世にも人生にも望むものはないから、良い案を思いつくのは難しいかもしれないけれど。
 でも──少しは期待しているわ。ひとりでいると悲しくて寂しくて耐えられなくなる時があるのだもの。どうして私はまだ生きているのかと、いっそ神様を詰りたいくらい。少しでも私の気持ちを上向かせてくれるなら、貴方なんかにそんなことができるなら。人生の最後の暇潰しに、付き合おうという気にさせて欲しいものね。そうよ、私だっておしゃべりをしたくない訳ではないの。ただ、その相手は誰でも良いという訳ではないということよ。

 つまりは──貴方も頭を使いなさい、ということよ! こんな婆さんに喋らせるばかりでなくてね。記者というものは、本来はもっと知性も好奇心もある人たちではないのかしら。気の利いた質問のひとつもひねり出して、私の口を滑らせなさいな。人と人との会話というのは、そういうものでしょう? さあ、だから今日はお帰りなさい。帰って、私が食いつくような話題をせいぜい考えてご覧なさいな。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】月よりきれい

悠井すみれ
歴史・時代
 職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。  清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。  純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。 嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。 第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。 表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。

幕末レクイエム―誠心誠意、咲きて散れ―

馳月基矢
歴史・時代
幕末、動乱の京都の治安維持を担った新撰組。 華やかな活躍の時間は、決して長くなかった。 武士の世の終わりは刻々と迫る。 それでもなお刀を手にし続ける。 これは滅びの武士の生き様。 誠心誠意、ただまっすぐに。 結核を病み、あやかしの力を借りる天才剣士、沖田総司。 あやかし狩りの力を持ち、目的を秘めるスパイ、斎藤一。 同い年に生まれた二人の、別々の道。 仇花よ、あでやかに咲き、潔く散れ。 schedule 公開:2019.4.1 連載:2019.4.7-4.18 ( 6:30 & 18:30 )

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

水野勝成 居候報恩記

尾方佐羽
歴史・時代
⭐タイトルを替えました。 ⭐『福山ご城下開端の記』もよろしくお願いします。 ⭐福山城さま令和の大普請、完成おめでとうございます。 ⭐2020年1月21日、5月4日に福山市の『福山城築城400年』Facebookでご紹介いただきました。https://m.facebook.com/fukuyama400/ 備後福山藩初代藩主、水野勝成が若い頃放浪を重ねたあと、備中(現在の岡山県)の片隅で居候をすることになるお話です。一番鑓しかしたくない、天下無双の暴れ者が、備中の片隅で居候した末に見つけたものは何だったのでしょうか。 →本編は完結、関連の話題を適宜更新。

真田源三郎の休日

神光寺かをり
歴史・時代
信濃の小さな国衆(豪族)に過ぎない真田家は、甲斐の一大勢力・武田家の庇護のもと、どうにかこうにか生きていた。 ……のだが、頼りの武田家が滅亡した! 家名存続のため、真田家当主・昌幸が選んだのは、なんと武田家を滅ぼした織田信長への従属! ところがところが、速攻で本能寺の変が発生、織田信長は死亡してしまう。 こちらの選択によっては、真田家は――そして信州・甲州・上州の諸家は――あっという間に滅亡しかねない。 そして信之自身、最近出来たばかりの親友と槍を合わせることになる可能性が出てきた。 16歳の少年はこの連続ピンチを無事に乗り越えられるのか?

鬼を討つ〜徳川十六将・渡辺守綱記〜

八ケ代大輔
歴史・時代
徳川家康を天下に導いた十六人の家臣「徳川十六将」。そのうちの1人「槍の半蔵」と称され、服部半蔵と共に「両半蔵」と呼ばれた渡辺半蔵守綱の一代記。彼の祖先は酒天童子を倒した源頼光四天王の筆頭で鬼を斬ったとされる渡辺綱。徳川家康と同い歳の彼の人生は徳川家康と共に歩んだものでした。渡辺半蔵守綱の生涯を通して徳川家康が天下を取るまでの道のりを描く。表紙画像・すずき孔先生。

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

来し方、行く末

紫乃森統子
歴史・時代
月尾藩家中島崎与十郎は、身内の不義から気を病んだ父を抱えて、二十八の歳まで嫁の来手もなく梲(うだつ)の上がらない暮らしを送っていた。 年の瀬を迎えたある日、道場主から隔年行事の御前試合に出るよう乞われ、致し方なく引き受けることになるが…… 【第9回歴史・時代小説大賞で奨励賞を頂きました。ありがとうございます!】

処理中です...