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崩壊する世界
皇帝の死
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私は、本当に祖父の悩みを増やしたくはなかったの。祖父の残りの日々が短いのを予感していたから、すべてひとりでやり遂げるつもりで覚悟していたの。それが、どんなに困難な戦いになるかはよくよく承知していたけれど! 生まれた家から離れるということ、ハプスブルク家の者ではなくなるということがどういうことか、あのころ私はやっと悟ったのでしょうね。祖父の威光に頼らずに世界に立ち向かうことを思うと怖くなったの。それは、帝国が直面していた戦いよりもよほど分の悪い勝負だったでしょう。荒波に翻弄される小舟のようなものよ。でも、家や夫という窮屈な港に囲い込まれるよりはずっとずっとマシなはずだった。
ある意味では、私は打ちのめされたのよ。貴方が期待しているように。私が求めた自由というものの代償は、思っていたよりもずっと高かった。私にとってどうでも良かった帝位継承権は手始めに過ぎなくて、夫に支配されることの窮屈さや、それを振り払おうとした時の世間からの冷ややかな目、私の振る舞いによって失望させてしまった祖父の溜息にも耐えなければならなかった。でも、その値の法外さを知った後でも、私は止める気にはならなかった。大人しく慎ましやかな人生を送る気にはならなかった。そう……だから、やっぱり私の話は貴方を喜ばせるためのものではないわ。私は、諦めたり負けを認めたりはしなかったもの!
第一次世界大戦中、私はふたつの戦争を同時に戦っていたのよ。ひとつは、ほかの多くの人たちと同じ、国同士の戦争。前線に出向くことはなくても、高貴なるものの義務として、私も赤十字の病院で兵たちを看たわ。子供たちを抱えて、食料不足に頭を悩ませもしたわ。もと皇女だからといって、私は何ら特権に与(あずか)っていた訳ではないの。そしてもうひとつの戦争は、私が十年来従事してきた、自由を得るためのそれよ。国のかたち、民族の在り方が絶え間なく変わり、何もかもが不確かな中でますます困難になる戦い。でも、だからこそ立ち向かわなければならなかった。祖父の庇護がなくなってしまう日はいつか必ず来ると、分かっていたのですもの。自分の力で道を切り開かなければと、私は一心に念じ、そして考えていたのよ。
分かっていてもなお、祖父を看取った時には深い悲しみと同時に、計り知れない不安を感じずにはいられなかったけれど。祖父は、高熱を出してせき込みながら、それでも最後まで政務に向き合おうとしていた。叔母様や私がお見舞いに行って、休んでくださいとお願いしても、それどころではないと仰っていた。早く元気にならなければと、そればかりで──あの方は、いつまででも皇帝の地位にあり続けるつもりだったのでしょう。そうして、帝国を支えようとなさっていたの。人の身には永遠などないと、誰しも分かっていたはずなのに。その時になってみると、私たちの誰も、本当に覚悟ができていたのではなかったのだと思い知らされた。
祖父はほとんど帝国そのものと言って良い存在だったのよ。即位の当初こそ、革命の鎮圧のために血を流して恐れられたこともあったけれど、それでも七十年近い在位の間を通して、諸民族の幸福と平和を願い、諸国を纏め上げることに専念して来られた方だった。それを誰もが知っていたからこそ、民族主義の炎が各地で燃え上がってはいても、帝国のために多くの兵が戦場に赴いてくれたのよ。帝国の鎹であり屋台骨であった方がいなくなったらどうなるか──父の予言が実現する時がとうとう来た、と思ったの。祖父が亡くなった後は帝国は崩壊するのみだと、父は言い残していた。父は、ご自身がこの地上を去られた後は、フランツ・フェルディナント大公が帝位継承者になると考えていたはずよ。でも、その大公も非業の死を遂げられて、祖父の後を継いだのは若く未熟なカール大公だった。父が予想したよりも、実際の事態はずっと悪かったのよ。
ある意味では、私は打ちのめされたのよ。貴方が期待しているように。私が求めた自由というものの代償は、思っていたよりもずっと高かった。私にとってどうでも良かった帝位継承権は手始めに過ぎなくて、夫に支配されることの窮屈さや、それを振り払おうとした時の世間からの冷ややかな目、私の振る舞いによって失望させてしまった祖父の溜息にも耐えなければならなかった。でも、その値の法外さを知った後でも、私は止める気にはならなかった。大人しく慎ましやかな人生を送る気にはならなかった。そう……だから、やっぱり私の話は貴方を喜ばせるためのものではないわ。私は、諦めたり負けを認めたりはしなかったもの!
第一次世界大戦中、私はふたつの戦争を同時に戦っていたのよ。ひとつは、ほかの多くの人たちと同じ、国同士の戦争。前線に出向くことはなくても、高貴なるものの義務として、私も赤十字の病院で兵たちを看たわ。子供たちを抱えて、食料不足に頭を悩ませもしたわ。もと皇女だからといって、私は何ら特権に与(あずか)っていた訳ではないの。そしてもうひとつの戦争は、私が十年来従事してきた、自由を得るためのそれよ。国のかたち、民族の在り方が絶え間なく変わり、何もかもが不確かな中でますます困難になる戦い。でも、だからこそ立ち向かわなければならなかった。祖父の庇護がなくなってしまう日はいつか必ず来ると、分かっていたのですもの。自分の力で道を切り開かなければと、私は一心に念じ、そして考えていたのよ。
分かっていてもなお、祖父を看取った時には深い悲しみと同時に、計り知れない不安を感じずにはいられなかったけれど。祖父は、高熱を出してせき込みながら、それでも最後まで政務に向き合おうとしていた。叔母様や私がお見舞いに行って、休んでくださいとお願いしても、それどころではないと仰っていた。早く元気にならなければと、そればかりで──あの方は、いつまででも皇帝の地位にあり続けるつもりだったのでしょう。そうして、帝国を支えようとなさっていたの。人の身には永遠などないと、誰しも分かっていたはずなのに。その時になってみると、私たちの誰も、本当に覚悟ができていたのではなかったのだと思い知らされた。
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