ich rede nichts 赤い皇女は語らない

悠井すみれ

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崩壊する世界

後世への反論

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 戦場に発ったのは、レルヒも、私の公然の恋人についても同じだった。私は、オットーよりもよほど彼の方を心配していたでしょうね。だって、彼が潜水艦勤務だったのだもの。騎兵隊に属して陸の上で戦うオットーよりも、ずっと危険に思えたのよ。オットーは敵の姿も見えるでしょうし、何なら話だって通じるでしょうけれど、レルヒの敵は冷たい鉄と海水の向こうで、言葉を交わすことは難しいのでしょうから。今の時代は、そんな戦争の方が当たり前なのでしょうけれどね。でも、当時はまだ古式ゆかしい合戦の空気もまだ残っていたのよ。もしかしたら──いいえ、多分、これも私が何も知らなかったからそのような印象を持っているだけかもしれないけれど。いつの時代でもどんな形でも、きっと戦争は恐ろしくて悲しいことよ。そうでしょう?

 戦争が始まった年は、私はウィーンで祖父の傍にとどまっていたわ。支えや慰めになれたら良かったけれど、実際には宮廷の噂や祖父の周辺から戦場で何が起きているかを教えてもらって、おこぼれに預かるような有様だった。貴方たちのことも笑えないわね。でも、不安だったのよ。子供たちがどうなるか、帝国がどうなるのか、未来が何も見えなくて怖くてしかたなかったの。戦争に参加したあらゆる国々の母親と、その点では私は何も変わらなかったのよ。──だから、「何か」に縋ったからといってそんなに非難されるようなことなのかしら。
 何か、なんていうのもまた回りくどかったわね。エゴン・レルヒのことよ。仮にも正式な夫であるオットーを案じもせず、幼い子供たちも、計り知れない重責を黙然と負う祖父もおいて、私が彼との逢瀬に耽溺していた──そう言われていることについて話しているのよ。そこのところが、私が一番言っておきたいところなのだから!
 非難されるべきだ、と貴方も思うのね。はっきりと口に出さなくて結構、顔を見るだけで十分よ。戦時下に子供を抱えたあらゆる母への侮辱だとでもいうのでしょう。似たようなことを言われたことがあるから分かる。食うに困らない金持ちだから「そんな」余裕があるのだろう、とも。貴方が私を何度も訪ねるのも、結局、そこの辺りを責めたいからなのでしょう。平和な時代の後知恵で、私を追い詰めようというのでしょう。だから私は、反撃する力を溜めるためにわざわざひと晩時間を置いたのよ!

 繰り返すけれど、そもそも私はレルヒを愛していた訳ではないの。夫と別れるのにちょうど良い醜聞を演出するために、いかにも私のような立場の女が惹かれそうな、魅力的な若者を選んだというだけよ。そのことはもう話したでしょう。でも、同じ醜聞でも、夫が戦地に行っている間に愛人と過ごしていただなんてあまりにも人聞きが悪すぎるでしょう。その程度の計算ができないほど私が愚かだというの? そんな話は、みんな嘘よ。オットーが私を陥れるために流した風説に過ぎないのよ。

 証人がいるからといって何の保証にもならないでしょう。貴方たちはよく知っているでしょうけれど、お金のためなら何でもするような類の人はいるものよ。ええ、確かにレルヒは休暇の合間を縫って私や子供たちに会いに来てくれた。愛人のところに入り浸りだったオットーよりもよほど、子供たちは彼に懐いていたわ。でも、それはもはや友情や思いやりのためのことだった。夫に見捨てられた女と子供たちを、彼は哀れんでくれたのよ。そうね、彼だって本心では私に未練を残していたり、何かしらの「見返り」を期待していたりもしたかもしれないけれど。でも、私は礼儀正しく彼とは節度を保ったわ。少なくとも、戦争が始まってからは、ね。確かに、オットーや世間に見せつけるために、私は妻や母に相応しからぬことをしたこともあった。レルヒを男性として好ましく思ったことがあるのも、戦時中の不安の中で、彼の存在に慰めを見出したのも認めましょう。でも、国家存亡の危機の中、祖国が先の見えない戦いを続ける中で、ひとりの男性に寄りかかり切ってしまおうなんて決して思わなかった。彼の名誉のためにも、これだけははっきりと言っておくわ。彼にだって大事な軍務があったというのに!
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